前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
或る年の七月頃、下級の運搬請負人らが多くの馬を連ねて大量の瓜(うり)を大和国(やまとのくに)から京へ向かって運んでいた。当時の瓜は「菓子」として大和国(今の奈良県)の名産。「万葉集」にこうある。
「瓜(うり)食(は)めば子ども思ほゆ栗(くり)食めばまして偲(しの)はゆいづくより来(きた)りしものそまなかひにもとなかかりて安眠(やすい)しなさぬ」(日本古典文学全集「万葉集2・巻第五・八〇二・山上憶良・P.55~56」小学館)
「まなかひ」は両目の交わる箇所のことで「眼前」。「もとな」は「しきりに」。だから、「瓜を食べれば子どもらのことが思い出され栗を食べればなおのこと子どもらのことが偲ばれる。どこから到来したものなのか、しきりに目の前をちらついて落ち着いて眠らせてくれないよ」、となる。
さて、「宇治(うじ)の北ニ、不成(なら)ヌ柿ノ木」があった。何度か述べているように「不成(ならぬ)柿の木」は此方(こなた)と彼方(かなた)との境界線の標(しるし)として考えられていた。この説話にある「宇治(うじ)の北」はおそらく今の京都府宇治市六地蔵付近。奈良街道を北上するとそのまま平安京への入口となる場所であり、そこで起きた怪異譚、と考えられる。
よほど暑い夏の昼間。一行はこの「不成(なら)ぬ柿の木」の木陰で休憩することにした。瓜を一杯に詰んだ籠(かご)を馬から降ろして休ませ、自分たちも木の下で涼んでいる。運搬している瓜の中から私用の瓜を取り出して食べながら休んでいたところ、近くに住んでいるのだろうか、大変年老いた翁(おきな)が暑さを避けるためラフな格好でやって来た。低い下駄を履いて杖をついている。そして運搬人らが瓜を食いながら木陰で休んでいるのをじっと見守っている。そのまましばらく見詰めていたと思ったら、翁は運搬人らにいう。「その瓜を一つ、わたしにも食べさせて下さいな。喉(のど)が乾いてどうにもならんので」。
「其ノ瓜一ツ我レニ食(く)ハセ給ヘ。喉(のむど)乾(かわき)テ術(ずつ)無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.276」岩波書店)
運搬人らはいう。「いや、この瓜は全部が全部自分たちの物なのではなくて、或る人が京への贈り物として運ばせているもの。哀れに思って一つくらい差し上げたいところだが、食べるわけにはいかないのです」。すると翁はいう。「情けというものを持っていらっしゃらない方々なのか。年寄りを見て情けに思ってこそ立派なことであろうに。でも事情がそうならそれはそれ。どうにもくれようはずはない。とすれば、わたしは自分で瓜を作って食べるとしましょう」。
「情(なさけ)不坐(いまさ)ザリケル主達(ぬしたち)カナ。年老タル者ヲバ『哀レ』ト云フコソ吉(よ)キ事ナレ。然(さ)ハレ、何(いか)ニ得サセ給フ。然(さ)ラバ、翁、瓜ヲ作テ食ハム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.276」岩波書店)
翁はそばの木の枝を取って地面を掘り始め、畠のような感じに仕上げた。運搬人らは何をするのだろうと見入っている。翁は運搬人らが食べて捨てている瓜の種を取り集め、畠のように平らにならした地面に植えて廻った。すると程なく地面から瓜の芽が生(は)え出てきた。運搬人らは不思議に思いながらそれを見ていると、生え出した瓜の葉は延びに延びて延び広がってきた。さらに繁りに繁り、花を咲かせ、瓜の実になる。瓜はたちまち大きく成長し、どの実もたいそう立派な果実を結んだ。
「其ノ後(の)チ、程モ無ク、其ノ種瓜(たねうり)ニテ、二葉ニテ生出(おひいで)タリ。此ノ下衆共、此レヲ見テ、奇異(あさまし)ト思テ見ル程ニ、其ノ二葉ノ瓜只生(お)ヒ生テ這凝(はびこり)ヌ。只繁リニ繁テ、花栄(さき)テ、瓜成(なり)ヌ。其ノ瓜、只大キニ大キニ成テ、皆微妙(めでた)キ瓜ニ熟(じゆく)シヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
運搬人らは翁を見ておもう。「な、なんと神か?」。
「此(こ)ハ神ナドニヤ有ラム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
翁はいう。「そなたらが食べさせてくれないのでこんなふうに作り出して食べようと」。そして運搬人らにも共に食べなされと勧める。瓜は沢山できたので街道を歩いて行く人々たちにも声を掛けて一緒にどうかと勧めるとみんな喜んで食べ、すっかり全部食べ尽くしてしまった。そこで翁はいう。「もう帰ることにしよう」。そう言うや立ち去った。どこへ消え失せたのか誰も知らない。
「瓜多カリケレバ、道行ク者共ヲモ呼(よび)ツツ食(くは)スレバ、喜(よろこび)テ食ヒケリ。食畢(くひはて)ツレバ、翁、『今ハ罷(まかり)ナム』ト云テ、立(たち)テ去ヌ。行方(ゆきかた)ヲ不知(し)ラズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
運搬人らがそろそろ出発するかと思い馬に再び荷物を乗せようと籠(かご)の中を覗くと、詰め込んできたはずの瓜は一つ残らずすっかり消え失せている。
「其ノ後、下衆共、馬ニ瓜ヲ負(おほ)セテ行カムトテ見ルニ、籠(こ)ハ有テ其ノ内ニ瓜一ツ無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
運搬人らは「やられた!」と歯噛みした。「実は翁が我々の目をくらましているうちに籠の中の瓜を取り出したのだ」。
「早ウ、翁ノ籠ノ瓜ヲ取リ出シケルヲ、我等ガ目ヲ暗(くら)マシテ、不見(み)セザリケル也ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
人間の目をくらます技術は、平安時代から中世にかけて、とりわけ「傀儡師(くぐつ・くぐつし)」が用いる得意技とされていた。何度か触れてきたが、仏道で行われる仏法に対して外道(げどう)の術は「外術(ぐゑずつ)」と呼ばれた。しかしなぜ外道あるいは外術はなくならなかったのか。むしろ南北朝の動乱に向かってますます盛んに行われるようになったのか。征服した側と征服された側との対立構造はどこまでも禍根を残す。残さない事例など世界中どこを探しても見当たらないに違いない。だが対立しつつも両者ともに崩壊してしまうのを巧妙に避けるため、相互交換の場はかえって安全な形で築き上げられるようになる。そしてどのようなケースでも両者の境(さかい)には、異例の物が目標(めじるし)として刻印されている。説話では「不成(なら)ヌ柿ノ木」。「不成(なら)ヌ」は否定を現わす。けれども全面的な拒絶を意味するのではなく、両者の《あいだ》を境界線として価値観や生活様式が「異なる」ということが意味されている。
もし逆に両者の間に何らの差異もないとしたら、両者は同一共同体ということになり、場所移動による商品価値は一つも異ならない。どの労働力商品もまた同一ということになり、したがって、同一共同体内部ではより一層安価な労働力商品を手に入れることは不可能になる。すると労働力商品を雇用する雇用主にとって、どんな商品にせよ利子を付けて還流してくることは一つもなくなる。だからどの先進諸国も外国貿易に活路を見出し、見出された活路をさらに拡充しようと軍事行動を洗練させていくことになる。ドゥルーズ=ガタリはいう。
「国家はもはや戦争機械を所有するのではなく、国家自身が戦争機械の一部分にすぎぬような戦争機械を再構成した」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・13・捕獲装置・下・P.234」河出文庫)
さて。説話の中で、宇治の北の「不成ぬ柿の木」は或る共同体と別の共同体との境界線に当たる。出現した翁は「神か?」と思われた。本文を見ると最後の箇所で「変化(へんぐゑ)ノ者ナドニテモヤ有ケム」とある。天狗でもなく鬼でもなく神かも知れない。とすれば差し当たり「鬼神」と見ることができるだろう。そして鬼神はいつも「パルマコン」(医薬/毒薬)として双方の両価性を同時に担うのである。貨幣もそうだ。説話の中で貨幣化しているのは翁とその外術とである。貨幣としての「翁とその外術」を介して始めて瓜はすべてその場を通過する人々と交換された。
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或る年の七月頃、下級の運搬請負人らが多くの馬を連ねて大量の瓜(うり)を大和国(やまとのくに)から京へ向かって運んでいた。当時の瓜は「菓子」として大和国(今の奈良県)の名産。「万葉集」にこうある。
「瓜(うり)食(は)めば子ども思ほゆ栗(くり)食めばまして偲(しの)はゆいづくより来(きた)りしものそまなかひにもとなかかりて安眠(やすい)しなさぬ」(日本古典文学全集「万葉集2・巻第五・八〇二・山上憶良・P.55~56」小学館)
「まなかひ」は両目の交わる箇所のことで「眼前」。「もとな」は「しきりに」。だから、「瓜を食べれば子どもらのことが思い出され栗を食べればなおのこと子どもらのことが偲ばれる。どこから到来したものなのか、しきりに目の前をちらついて落ち着いて眠らせてくれないよ」、となる。
さて、「宇治(うじ)の北ニ、不成(なら)ヌ柿ノ木」があった。何度か述べているように「不成(ならぬ)柿の木」は此方(こなた)と彼方(かなた)との境界線の標(しるし)として考えられていた。この説話にある「宇治(うじ)の北」はおそらく今の京都府宇治市六地蔵付近。奈良街道を北上するとそのまま平安京への入口となる場所であり、そこで起きた怪異譚、と考えられる。
よほど暑い夏の昼間。一行はこの「不成(なら)ぬ柿の木」の木陰で休憩することにした。瓜を一杯に詰んだ籠(かご)を馬から降ろして休ませ、自分たちも木の下で涼んでいる。運搬している瓜の中から私用の瓜を取り出して食べながら休んでいたところ、近くに住んでいるのだろうか、大変年老いた翁(おきな)が暑さを避けるためラフな格好でやって来た。低い下駄を履いて杖をついている。そして運搬人らが瓜を食いながら木陰で休んでいるのをじっと見守っている。そのまましばらく見詰めていたと思ったら、翁は運搬人らにいう。「その瓜を一つ、わたしにも食べさせて下さいな。喉(のど)が乾いてどうにもならんので」。
「其ノ瓜一ツ我レニ食(く)ハセ給ヘ。喉(のむど)乾(かわき)テ術(ずつ)無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.276」岩波書店)
運搬人らはいう。「いや、この瓜は全部が全部自分たちの物なのではなくて、或る人が京への贈り物として運ばせているもの。哀れに思って一つくらい差し上げたいところだが、食べるわけにはいかないのです」。すると翁はいう。「情けというものを持っていらっしゃらない方々なのか。年寄りを見て情けに思ってこそ立派なことであろうに。でも事情がそうならそれはそれ。どうにもくれようはずはない。とすれば、わたしは自分で瓜を作って食べるとしましょう」。
「情(なさけ)不坐(いまさ)ザリケル主達(ぬしたち)カナ。年老タル者ヲバ『哀レ』ト云フコソ吉(よ)キ事ナレ。然(さ)ハレ、何(いか)ニ得サセ給フ。然(さ)ラバ、翁、瓜ヲ作テ食ハム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.276」岩波書店)
翁はそばの木の枝を取って地面を掘り始め、畠のような感じに仕上げた。運搬人らは何をするのだろうと見入っている。翁は運搬人らが食べて捨てている瓜の種を取り集め、畠のように平らにならした地面に植えて廻った。すると程なく地面から瓜の芽が生(は)え出てきた。運搬人らは不思議に思いながらそれを見ていると、生え出した瓜の葉は延びに延びて延び広がってきた。さらに繁りに繁り、花を咲かせ、瓜の実になる。瓜はたちまち大きく成長し、どの実もたいそう立派な果実を結んだ。
「其ノ後(の)チ、程モ無ク、其ノ種瓜(たねうり)ニテ、二葉ニテ生出(おひいで)タリ。此ノ下衆共、此レヲ見テ、奇異(あさまし)ト思テ見ル程ニ、其ノ二葉ノ瓜只生(お)ヒ生テ這凝(はびこり)ヌ。只繁リニ繁テ、花栄(さき)テ、瓜成(なり)ヌ。其ノ瓜、只大キニ大キニ成テ、皆微妙(めでた)キ瓜ニ熟(じゆく)シヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
運搬人らは翁を見ておもう。「な、なんと神か?」。
「此(こ)ハ神ナドニヤ有ラム」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
翁はいう。「そなたらが食べさせてくれないのでこんなふうに作り出して食べようと」。そして運搬人らにも共に食べなされと勧める。瓜は沢山できたので街道を歩いて行く人々たちにも声を掛けて一緒にどうかと勧めるとみんな喜んで食べ、すっかり全部食べ尽くしてしまった。そこで翁はいう。「もう帰ることにしよう」。そう言うや立ち去った。どこへ消え失せたのか誰も知らない。
「瓜多カリケレバ、道行ク者共ヲモ呼(よび)ツツ食(くは)スレバ、喜(よろこび)テ食ヒケリ。食畢(くひはて)ツレバ、翁、『今ハ罷(まかり)ナム』ト云テ、立(たち)テ去ヌ。行方(ゆきかた)ヲ不知(し)ラズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
運搬人らがそろそろ出発するかと思い馬に再び荷物を乗せようと籠(かご)の中を覗くと、詰め込んできたはずの瓜は一つ残らずすっかり消え失せている。
「其ノ後、下衆共、馬ニ瓜ヲ負(おほ)セテ行カムトテ見ルニ、籠(こ)ハ有テ其ノ内ニ瓜一ツ無シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
運搬人らは「やられた!」と歯噛みした。「実は翁が我々の目をくらましているうちに籠の中の瓜を取り出したのだ」。
「早ウ、翁ノ籠ノ瓜ヲ取リ出シケルヲ、我等ガ目ヲ暗(くら)マシテ、不見(み)セザリケル也ケリ」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十八・第四十・P.277」岩波書店)
人間の目をくらます技術は、平安時代から中世にかけて、とりわけ「傀儡師(くぐつ・くぐつし)」が用いる得意技とされていた。何度か触れてきたが、仏道で行われる仏法に対して外道(げどう)の術は「外術(ぐゑずつ)」と呼ばれた。しかしなぜ外道あるいは外術はなくならなかったのか。むしろ南北朝の動乱に向かってますます盛んに行われるようになったのか。征服した側と征服された側との対立構造はどこまでも禍根を残す。残さない事例など世界中どこを探しても見当たらないに違いない。だが対立しつつも両者ともに崩壊してしまうのを巧妙に避けるため、相互交換の場はかえって安全な形で築き上げられるようになる。そしてどのようなケースでも両者の境(さかい)には、異例の物が目標(めじるし)として刻印されている。説話では「不成(なら)ヌ柿ノ木」。「不成(なら)ヌ」は否定を現わす。けれども全面的な拒絶を意味するのではなく、両者の《あいだ》を境界線として価値観や生活様式が「異なる」ということが意味されている。
もし逆に両者の間に何らの差異もないとしたら、両者は同一共同体ということになり、場所移動による商品価値は一つも異ならない。どの労働力商品もまた同一ということになり、したがって、同一共同体内部ではより一層安価な労働力商品を手に入れることは不可能になる。すると労働力商品を雇用する雇用主にとって、どんな商品にせよ利子を付けて還流してくることは一つもなくなる。だからどの先進諸国も外国貿易に活路を見出し、見出された活路をさらに拡充しようと軍事行動を洗練させていくことになる。ドゥルーズ=ガタリはいう。
「国家はもはや戦争機械を所有するのではなく、国家自身が戦争機械の一部分にすぎぬような戦争機械を再構成した」(ドゥルーズ&ガタリ「千のプラトー・13・捕獲装置・下・P.234」河出文庫)
さて。説話の中で、宇治の北の「不成ぬ柿の木」は或る共同体と別の共同体との境界線に当たる。出現した翁は「神か?」と思われた。本文を見ると最後の箇所で「変化(へんぐゑ)ノ者ナドニテモヤ有ケム」とある。天狗でもなく鬼でもなく神かも知れない。とすれば差し当たり「鬼神」と見ることができるだろう。そして鬼神はいつも「パルマコン」(医薬/毒薬)として双方の両価性を同時に担うのである。貨幣もそうだ。説話の中で貨幣化しているのは翁とその外術とである。貨幣としての「翁とその外術」を介して始めて瓜はすべてその場を通過する人々と交換された。
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