白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/白川の密室「仏眼寺(ぶつげんじ)持仏堂(じぶつどう)」

2021年04月05日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

「仏眼寺(ぶつげんじ)」という寺院がかつて銀閣寺の近くにあったらしい。京の東山、銀閣寺付近、白川(脚注では鴨川の東側)、七条通、という地名が出てくることから、今の京都市左京区銀閣寺付近から東山区京都国立博物館付近まで、広く取って見ることにしよう。なかでも古くから墓地の密集地だった場所が候補に上げられるだろう。

十世紀前半。仁照阿闍梨(にんしようあじやり)という高名な僧が「仏眼寺(ぶつげんじ)」に住み日夜修行に励んでいた。数年間、仏眼寺(ぶつげんじ)で修行に明け暮れる日々。そんな折、思いも寄らぬことに、七条通りで金銀の箔打ちを生業としている者の妻が仁照の僧房にやって来た。年齢は三十から四十歳くらいに見える。

「年来(としごろ)其寺(そのてら)に行ひて、寺を出る事も無くして有ける程(ほ)どに、思ひ不懸(かけ)ず、七条辺(しちじようのほとり)に有ける薄(はく)打(う)つ者の妻(め)の女の、年三十余四十許(ばかり)也けるが、此の阿闍梨の房(ぼう)に来たり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第六・P.147」岩波文庫)

女性は食料を入れる「餌袋(えぶくろ)」を持ってきている。「干飯(ほしい)」(乾燥させた飯・湯でもどして食べる)、「堅き塩」(精製前の塩の塊)、「和布(きぎめ)」(わかめ等の海藻類)などの差し入れのようだ。女性はいう。「常から聖人さまのおそばでお支えしたいと思っています」。さらに「単衣(ひとえ)の着物とかでしたらちゃんと仕立てて差し上げるのはお安い御用ですから」ともいう。どこか言葉巧みな振る舞いを見せて帰っていった。七条通りは商工業者が集まり住んで賑わっていたから「薄(はく)打(う)つ者の妻(め)」と聞かされてもおかしくないが、差し入れとともに綺麗な着物の御用なら私にどうぞ、という言葉の響きに込められた異例の待遇にちょっとした違和感を覚えた。

それから二十日ばかり経った頃、その女性が再びやって来た。前と同じく餌袋、さらに使用人の女性には折櫃(おりびつ)を持たせている。餌袋の中は「精(しらげ)たる米(よね)」(精白した白米)、折櫃(おりびつ)の中には「餅(もちい)」とか「果物や木の実」などが入っている。阿闍梨はお布施はお布施として通例通りに受け取った。しかし同じことが何度も繰り返されるようになる。

七月の或る日、女性は「瓜(うり)・桃」などを持ってきた。その日、阿闍梨の弟子たちはすべて平安京の方(鴨川より西・桂川より東)へ行っており、仏眼寺に弟子は一人もいない。女性はいう。「いい時にお会いすることができました。実を言いますと、大変大事なことを相談させて頂きたいと思っておりました。だからこうして何度もお訪ねして参っていたので御座います。でもいつもどなたか他の人々がいらっしゃるものだから言い出せずにおりましたところ、今日はどなたもいらっしゃらないご様子。この際、どうしても申し上げたいことが御座います」。

「吉(よ)き折節(おりふし)にこそ参り会候(あいさぶらい)にけれ。実(まこと)には可申(もうすべ)き事の候へば、此(か)く度々(どど)参り候(さぶらい)つるに、人の不絶(たえ)ず候(さぶらい)つれば、不申(もうさ)ざりつるを。大切(たいせち)に可申(もうすべ)き事候(さぶら)ふ也」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第六・P.148」岩波文庫)

女性はそういうと他人が見ていないところへ阿闍梨を呼んで願い事を述べた。「数年ばかりの間、是非ともお仕えしたいと思っていました。どうかお聞き届け下さい」。

「年来(としごろ)思給(おもいたま)へつる本意有り。助けさせ給へ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第六・P.148」岩波文庫)

そんなこといきなり言われてもと阿闍梨は思ったが、女性は体ごとどんどんすり寄ってくる。阿闍梨は離れようとする。が、女性は「私の願いを叶えて下さい」と、ただもうひたすら抱きつき、阿闍梨に体をこすり付けてくる。阿闍梨は激しく動揺して「ちょっと待って下さい。お話は伺いましょう。でもまず先に仏様に申し上げてからのことです」。と言ってその場から一旦離れて落ち着かねばと考えた。それを察した女性は阿闍梨が逃げようとしているのを見抜き、逆に阿闍梨を捕まえて、本尊が安置されているお堂(持仏堂)へ引きずり込んだ。

「女、『助け給(たまえ)』と云て、只凌(りよう)じに凌ずれば、阿闍梨侘(わび)て、『此(かく)なせそ。吉(よ)かなり。云はむ事は聞かむ。安き事也。但し仏に不申(もうさ)ずしてなむ不然(さる)まじき。仏に申して後(のち)に』と云て、立て行けば、女、『逃(にげ)なむと為(す)るなめり』と思て、阿闍梨を捕(とらえ)て、持仏堂(じぶつどう)の方へ具して行ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第六・P.148~149」岩波文庫)

持仏堂の中には人っ子ひとりいない。弟子たちはみんな京の中へ出払っていて、もし仮に何をしたとしても誰に曝かれる心配もない。そして何より阿闍梨の心はもうほんの僅かで女性の側に移ってしまうだろう。そうなればこれまで数十年間怠らず励んできた修行の成果はたった一瞬で吹っ飛んでしまう。無かったことになる。そこで、女性の誘惑へ向かって激しい困惑状態を呈している自分の心を打ち止めておくため、お堂の中の不動明王の前で、床の板敷(いたじき)が破れて裂けてしまうほど何度も頭を擦り付け、私を助けて下さいとひたすら念じた。握りしめた数珠がこなごなに砕かれてしまうほどごりごりと力を込めて祈っている。

その時、女性の体が何かの力で不意に二間ばかり投げ飛ばされ、床に叩き臥せられた。さらに「二の肱(かいな)を捧(ささげ)て」=「両腕を上に差し上げた状態で」、金縛りにされ、独楽(こま)がひとりでに回転するようにぐるぐる廻り始めた。しばらくすると女性は天を貫くほどの大声を上げた。阿闍梨はなおも不動明王の前に頭を擦り付けて念じ入っている。さらに女性は四、五度ばかり狂乱の叫び声を上げた。しかし体の回転は止まらず、お堂の柱に頭を四、五十回も打ちつけたかと思うと誰に向かってともなく喚いた。「もう許して、許して下さい!」。

「其時に女、二間許(ばかり)に投げ被去(のけられ)て、打ち被伏(ふせら)れぬ。二の肱(かいな)を捧(ささげ)て、天縛(てんばく)に懸(かけ)て、転(くる)べく事、独楽(こまつぶり)を廻(めぐら)すが如(ご)とし。暫許(しばしばかり)有て、音(こえ)を雲(くも)ゐの如く高くして叫ぶ。其の間、阿闍梨念珠を攤入(もみいれ)て、仏の御前に尚低(うつふ)し臥(ふし)たり。女四、五度許(ばかり)叫(さけび)て、頭(かしら)を柱に宛てて、破れぬ許(ばかり)打つ事、四、五十度許也。其後、『助け給へ助け給へ』と叫ぶ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第六・P.149」岩波文庫)

そこで阿闍梨は女性に理由を聞いた。女性は答える。「もはや隠すことは許されないでしょう。だから言いますが、私は常々東山の大白川へ通っている天狗なのです。行き帰りの途中にいつもこのお堂の上を通過するわけですが、聖人さまはいつも修行を怠らずひたすら仏の道に打ち込んでおられ、修行中の鈴の音が絶えることもありません。だからせめて一度は堕落させてやりたいと思って、この女性に取り憑いて誘惑しようと隙を見て参りましたが、聖人さまは人一倍修行にご熱心だからでしょう、逆に搦(から)め取られてしまいました。もう懲りたというほかありません。こんなにも滅茶苦茶にされてしまっては翼(つばさ)が全部折れてしまいもはやどんな術を使うこともできません。すみやかに解放して下さい。お願いです」。

「今は隠し可申(もうすべ)き事にも非ず。我は東山の大白川(おおしらかわ)に罷通(まかりかよ)ふ天狗也。其(それ)に、此の御房の上を、常(つねに)飛(とび)て罷(まか)り過(す)ぐる間に、御行(おこな)ひの緩(たゆ)み無くして、鈴の音(ね)の極(いみじ)く貴(とうと)く聞(きこえ)つるは。『此れ、構(かまえ)て落し申さむ』と思て、此の一両年此の女に詑(つき)て謀(はかり)つる事也。其れに、聖人の霊験(れいげん)貴(とうと)くして、此(か)く被搦(からめら)れ奉(たてまつり)ぬれば、年来(としごろ)は妬(ねた)く思給(おもいたまえ)つれども、今は懲申(こりもう)しぬ。速(すみやか)に免(ゆる)し給てよ。惣(すべ)て翼(つばさ)打ち被折(いられ)て、難堪(たえがた)く術(ずつ)無く候ふ。助け給へ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第六・P.149~150」岩波文庫)

阿闍梨が許してやると、女性は途端に正気に戻った様子である。乱れた髪の毛をきれいに整え、特に言うこともなく、なぜかはわからないが腰の辺りを痛く引きずるような格好でお堂を出て家に帰っていった。

「女心醒(こころさめ)て、本(もと)の心に成にければ、髪掻(か)き馴(なら)しなどして、云ふ事無くして、腰打ち引て出て去にけり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第六・P.150」岩波文庫)

さて。そもそも鴨川の東側に当たる白川沿いは天狗の出没地帯として有名だった。天狗の出現条件も揃っている。密集する墓地・坂・白い石を底に敷き詰めたような稀有な河の流れ。だがこの説話では天狗自身の姿はどこにも見当たらない。ただ、任意の女性に取り憑いたというばかり。女性の年齢は三十代に焦点が当てられており、中年の独身男性をあの手この手で長期間に渡って誘惑するには好条件と見做されているのは今とほとんど変わらない。逆に変化したのは三十代女性。第一に「どこにでもいるありふれた人妻」から「妖艶な人妻」への転化。第二に「妖艶な人妻」から「どこにでもいるありふれた人妻」への復帰。ただしこの変化は僧自身の心情の変化にも当てはめて考えることができる。始めは特に何とも思わなかった「どこにでもいるありふれた人妻」から「妖艶な人妻」への転化があり、二人して遊び惚けているうちにだんだん飽きがきて、再び「妖艶な人妻」から「どこにでもいるありふれた人妻」へ戻って見える。弟子のいない日取りは決まっているため、前もって密会する日を決めておくのはいとも容易い。とすれば、一体「天狗」とは何か、という問いがやおら転がり出てくる。この問いの前ではどんな僧も慎重になるほかなかった時代のエピソードではある。当時も三十代で浮気に走る女性は星の数ほどもいた。だが三十代で浮気に走る男性の数はおそらく星の数よりもなお膨大だったと考えられる。にもかかわらず女性に与えられる刑罰の側が、男性と比較して余りにも無惨だったことはヨーロッパの中世へ場所を移してみても何ら変わらない。

なお、なぜ天狗なのかは「翼(つばさ)打ち被折(いられ)て、難堪(たえがた)く術(ずつ)無く」とあり、空を自在に駆け巡る力を根こそぎにされるやギブアップするほかない点で、当時、天狗に与えられていたイメージと一致する。全盛期の平清盛(たいらのきよもり)が拠点を置いたのも鴨川の東側・六波羅(ろくはら)。思春期の童子・三百人ばかりを親衛隊として集め置いて優遇し、警察も見て見ぬふりの横暴に及ばせていた。

「入道相國(シヤウコク)のはかりことに、十四、五、六の童部(わらんべ)を、三百人そろへて、髪(カミ)をかぶろにきりまはし、あかき直垂(ヒタタレ)を着せて召しつかはれけるが、京中に満ち満ちて往反(ワウヘン)しけり。をのづから平家の事をあしざまに申(まうす)者あれば、一人(いちにん)聞き出(いだ)さぬほどこそありけれ、余党(ヨタウ)に触廻(フレメグラ)して、其家(ソノイエ)に乱入(ランニウ)し、資財雑具(シザイザウグ)を追捕(ツイフク)し、其奴(ヤツ)を搦(カラメ)とッて、六波羅へゐて参(まい)る。されば目に見、心に知るといへど、詞(コトバ)にあらはれて申(まうす)なし。六波羅の禿(カブロ)と言ひてンしかば、道井を過ぐる馬車(ムマクルマ)もよぎてぞ通(とを)りける。禁門(キンモン)を出入(シユツニウ)すといへども、姓名(シヤウミヤウ)を尋(タヅネ)らるるに及ばす。京師(ケイシ)の(チヤウリ)、これが為(ため)に目を側(ソバム)と見えたり」(新日本古典文学体系「平家物語・上・巻第一・禿髪(かぶろ)・P.13~14」岩波書店)

なぜ「童子」なのか。男性でもなく女性でもない。言い換えれば時に男性になり時に女性にもなれる。大人でもなく、かといって幼児でもない。言い換えれば時として大人、また時として子ども。捉え所がない。その特権的変幻自在性こそ貨幣に等しいと言えるだろう。

脱中心的に次々と変化する様相は諸商品の無限の系列を示す。

「B 《全体的な、または展開された価値形態》ーーーz量の商品A=u量の商品B、または=v量の商品C、または=w量の商品D、または=x量の商品E、または=etc.(20エレのリンネル=1着の上着、または=10ポンドの茶、または=40ポンドのコーヒー、または=1クォーターの小麦、または=2オンスの金、または=2分の1トンの鉄、または=その他.)

ある一つの商品、たとえばリンネルの価値は、いまでは商品世界の無数の他の要素で表現される。他の商品体はどれでもリンネル価値の鏡になる。こうして、この価値そのものが、はじめてほんとうに、無差別な人間労働の凝固として現われる。なぜならば、このリンネル価値を形成する労働は、いまや明瞭に、他のどの人間労働でもそれに等しいとされる労働として表わされているからである。すなわち、他のどの人間労働も、それがどんな現物形態をもっていようと、したがってそれが上着や小麦や鉄や金などのどれに対象化されていようと、すべてのこの労働に等しいとされているからである。それゆえ、いまではリンネルはその価値形態によって、ただ一つの他の商品種類にたいしてだけではなく、商品世界にたいして社会的な関係に立つのである。商品として、リンネルはこの世界の市民である。同時に商品価値の諸表現の無限の列のうちに、商品価値はそれが現われる使用価値の特殊な形態には無関係だということが示されているのである。第一の形態、20エレのリンネル=1着の上着 では、これらの二つの商品が一定の量的な割合で交換されうるということは、偶然的事実でありうる。これに反して、第二の形態では、偶然的現象とは本質的に違っていてそれを規定している背景が、すぐに現われてくる。リンネルの価値は、上着やコーヒーや鉄など無数の違った所持者のものである無数の違った商品のどれで表わされようと、つねに同じ大きさのものである。二人の個人的商品所持者の偶然的な関係はなくなる。交換が商品の価値量を規制するのではなく、逆に商品の価値量が商品の交換割合を規制するのだ、ということが明らかになる」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.118~120」国民文庫)

特権的に中心化する場合、次のような経過を経る。

「一般的等価形態は価値一般の一つの形態である。だから、それはどの商品にでも付着することができる。他方、ある商品が一般的等価形態(形態3)にあるのは、ただ、それが他のすべての商品によって等価物として排除されるからであり、また排除されるかぎりでのことである。そして、この排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間から、はじめて商品世界の統一的な相対的価値形態は客観的な固定性と一般的な社会的妥当性とをかちえたのである。そこで、その現物形態に等価形態が社会的に合生する特殊な商品種類は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣として機能する。商品世界のなかで一般的等価物の役割を演ずるということが、その商品の独自な社会的機能となり、したがってまたその商品の社会的独占となる。このような特権的な地位を、形態2ではリンネルの特殊的等価物の役を演じ形態3では自分たちの相対的価値を共通にリンネルで表現しているいろいろな商品のなかで、ある一定の商品が歴史的にかちとった。すなわち、金である」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.130~131」国民文庫)

そのような変幻自在性を指して妖怪〔鬼・ものの怪〕、あるいはそれが鳥類の場合に限り、特に「天狗」と見なされたのだろうと思われる。

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