前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
「汴洲(べんしう)」は今の中国河南省開封市一帯。六世紀半ばから何度かの統合・改称を経て十世紀前半まで存在した。
或る時、汴洲に、罵詈雑言や偽証、流言、根拠のない出鱈目に打ち込んで法を無視してばかりいる女性がいた。五十七歳の時に病を患い、数日のうちに重症化して死んだ。付き添い人はおらず、看取った人もいなかった。それが六日経った時、なぜか生き返った。雨が降るごとく号泣し、体を大地に投げ打ち、懺悔して自分自身を責め苛んだ。
「六日ヲ経テ活(よみがへり)テ、涙ヲ流ス事如雨(あめのごとく)シテ、身ヲ大地(だいぢ)ニ投(なげ)テ、過(とが)ヲ悔(くい)テ自(みづか)ラ身ヲ責ム」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第六・第二十九・P.63」岩波書店)
それを見た人が、なぜわあわあ泣いているのかと理由を尋ねてみたところ、女性はこう語った。「わたしは一度死んだのですが、信じ難い不思議な光景を見たのです。そこではぐつぐつと煮えたぎる鉄が焔となって燃え上がっていました。地獄の閻魔様に仕える獄卒(ごくそつ=鬼)がいてわたしを地獄の中へぽいと投げ込んだのですが、地獄のはずが花を湛えた池へがらりと変ってしまいました。煮えたぎる焔をぶっかけられるものと観念していたら、逆に涼しげな冷たい水なのです。そして救済されたと思われる沢山の罪人がみんな蓮華の上に座っています。それを見た獄卒はめったにない変異に気づき、閻魔王にこの事態を告げに行きました」
「我レ、死(しし)テ不思儀・希有(けう)ノ事ヲ見ツ。我レ、初メ死セシ時、鉄(くろがね)ノ火有(あり)テ地獄ニ迸(ほどはし)リ入ル。獄卒(ごくそつ)有(あり)テ我レヲ地獄ノ中ニ投(なぐ)ルニ、地獄返(かへり)テ華ノ池ト成(なり)ヌ。火湯(くわたう)涼(すずし)キ水ノ如シ。多(おほく)ノ罪人皆華ノ上ニ坐ス。獄率(ごくそつ)、此レヲ見テ希有ノ心ヲ発(おこ)シテ、閻魔王(えんまわう)ニ此ノ由ヲ申ス」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第六・第二十九・P.63」岩波書店)
「火湯(くわたう)涼(すずし)キ水ノ如シ」の一節は「観無量寿経」を原典に用いたらしい。
「地獄猛火、化為清凉風、吹諸天華。
(書き下し)地獄(じごく)の猛火、化(け)して清凉(しようりよう)の風となり、もろもろの天華(てんげ)を吹く」(「浄土三部経(下)・観無量寿経・P.77」岩波文庫)
閻魔王は「一巻ノ書(ふみ)」を取り出し、よく検証し、そして述べた。「この女人(によにん)は昔、誓弘和尚(せいぐわじやう)の僧房で金剛界(こんがうがい)ノ大曼陀羅(だいまんだら)灌頂壇場(くわんぢやうだんぢやう)を礼拝したことがあったとある。それゆえ、地獄に堕ちてきたにもかかわらず炎熱地獄のはずが清涼池に転じたと考えられる。よって、そなたは罪人ではない。速やかに人間の世界に還りなさい」。
「此(この)女人(によにん)、昔(むか)シ誓弘和尚(せいぐわじやう)ノ室(むろ)ニシテ、金剛界(こんがうがい)ノ大曼陀羅(だいまんだら)灌頂壇場(くわんぢやうだんぢやう)ヲ礼拝(らいはい)シタリキ。其ノ功徳(くどく)ニ依(より)テ、此ノ女人ノ地獄ニ堕(お)ツル故ニ、此ノ事有ル也。汝(なむ)ヂ、罪人ニ非(あら)ズ、速(すみやか)ニ人間ニ可還(かへるべ)シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第六・第二十九・P.63」岩波書店)
「金剛界(こんがうがい)」は密教ですべての煩悩を打ち破る最も堅固な知恵の力を現わす面。それを構造的に絵図化したものを「曼陀羅(まんだら)」という。「灌頂壇場(くわんぢやうだんぢやう)」は密教の法を伝授する儀式を行う祭儀場。
さて。閻魔王が調べたのは女性の過去の言動を記録した書(「一巻ノ書(ふみ)」)である。閻魔王は記録に目を通し、天秤にかけた。ニーチェがいうように。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)
そこで債権・債務関係は相殺されていると見做されたため、この女性は人間の世界へ舞い戻されることが決定された。「今昔物語」編纂期すでに売買、交換、取引、交易などは当たり前のように盛んに行われていたことを物語っている。もちろん古代中国でシルクロードはもっと以前に出来上がっていたし海上交易ルートも繁盛していた。北方の遊牧民を介して大陸を横断する草原の道も既にあった。
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「汴洲(べんしう)」は今の中国河南省開封市一帯。六世紀半ばから何度かの統合・改称を経て十世紀前半まで存在した。
或る時、汴洲に、罵詈雑言や偽証、流言、根拠のない出鱈目に打ち込んで法を無視してばかりいる女性がいた。五十七歳の時に病を患い、数日のうちに重症化して死んだ。付き添い人はおらず、看取った人もいなかった。それが六日経った時、なぜか生き返った。雨が降るごとく号泣し、体を大地に投げ打ち、懺悔して自分自身を責め苛んだ。
「六日ヲ経テ活(よみがへり)テ、涙ヲ流ス事如雨(あめのごとく)シテ、身ヲ大地(だいぢ)ニ投(なげ)テ、過(とが)ヲ悔(くい)テ自(みづか)ラ身ヲ責ム」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第六・第二十九・P.63」岩波書店)
それを見た人が、なぜわあわあ泣いているのかと理由を尋ねてみたところ、女性はこう語った。「わたしは一度死んだのですが、信じ難い不思議な光景を見たのです。そこではぐつぐつと煮えたぎる鉄が焔となって燃え上がっていました。地獄の閻魔様に仕える獄卒(ごくそつ=鬼)がいてわたしを地獄の中へぽいと投げ込んだのですが、地獄のはずが花を湛えた池へがらりと変ってしまいました。煮えたぎる焔をぶっかけられるものと観念していたら、逆に涼しげな冷たい水なのです。そして救済されたと思われる沢山の罪人がみんな蓮華の上に座っています。それを見た獄卒はめったにない変異に気づき、閻魔王にこの事態を告げに行きました」
「我レ、死(しし)テ不思儀・希有(けう)ノ事ヲ見ツ。我レ、初メ死セシ時、鉄(くろがね)ノ火有(あり)テ地獄ニ迸(ほどはし)リ入ル。獄卒(ごくそつ)有(あり)テ我レヲ地獄ノ中ニ投(なぐ)ルニ、地獄返(かへり)テ華ノ池ト成(なり)ヌ。火湯(くわたう)涼(すずし)キ水ノ如シ。多(おほく)ノ罪人皆華ノ上ニ坐ス。獄率(ごくそつ)、此レヲ見テ希有ノ心ヲ発(おこ)シテ、閻魔王(えんまわう)ニ此ノ由ヲ申ス」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第六・第二十九・P.63」岩波書店)
「火湯(くわたう)涼(すずし)キ水ノ如シ」の一節は「観無量寿経」を原典に用いたらしい。
「地獄猛火、化為清凉風、吹諸天華。
(書き下し)地獄(じごく)の猛火、化(け)して清凉(しようりよう)の風となり、もろもろの天華(てんげ)を吹く」(「浄土三部経(下)・観無量寿経・P.77」岩波文庫)
閻魔王は「一巻ノ書(ふみ)」を取り出し、よく検証し、そして述べた。「この女人(によにん)は昔、誓弘和尚(せいぐわじやう)の僧房で金剛界(こんがうがい)ノ大曼陀羅(だいまんだら)灌頂壇場(くわんぢやうだんぢやう)を礼拝したことがあったとある。それゆえ、地獄に堕ちてきたにもかかわらず炎熱地獄のはずが清涼池に転じたと考えられる。よって、そなたは罪人ではない。速やかに人間の世界に還りなさい」。
「此(この)女人(によにん)、昔(むか)シ誓弘和尚(せいぐわじやう)ノ室(むろ)ニシテ、金剛界(こんがうがい)ノ大曼陀羅(だいまんだら)灌頂壇場(くわんぢやうだんぢやう)ヲ礼拝(らいはい)シタリキ。其ノ功徳(くどく)ニ依(より)テ、此ノ女人ノ地獄ニ堕(お)ツル故ニ、此ノ事有ル也。汝(なむ)ヂ、罪人ニ非(あら)ズ、速(すみやか)ニ人間ニ可還(かへるべ)シ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第六・第二十九・P.63」岩波書店)
「金剛界(こんがうがい)」は密教ですべての煩悩を打ち破る最も堅固な知恵の力を現わす面。それを構造的に絵図化したものを「曼陀羅(まんだら)」という。「灌頂壇場(くわんぢやうだんぢやう)」は密教の法を伝授する儀式を行う祭儀場。
さて。閻魔王が調べたのは女性の過去の言動を記録した書(「一巻ノ書(ふみ)」)である。閻魔王は記録に目を通し、天秤にかけた。ニーチェがいうように。
「人間歴史の極めて長い期間を通じて、悪事の主謀者にその行為の責任を負わせるという《理由》から刑罰が加えられたことは《なかった》し、従って責任者のみが罰せられるべきだという前提のもとに刑罰が行われたことも《なかった》。ーーーむしろ、今日なお両親が子供を罰する場合に見られるように、加害者に対して発せられる被害についての怒りから刑罰は行なわれたのだ。ーーーしかしこの怒りは、すべての損害にはどこかにそれぞれその《等価物》があり、従って実際にーーー加害者に《苦痛》を与えるという手段によってであれーーーその報復が可能である、という思想によって制限せられ変様せられた。ーーーこの極めて古い、深く根を張った、恐らく今日では根絶できない思想、すなわち損害と苦痛との等価という思想は、どこからその力を得てきたのであるか。私はその起源が《債権者》と《債務者》との間の契約関係のうちにあることをすでに洩らした。そしてこの契約関係は、およそ『権利主体』なるものの存在と同じ古さをもつものであり、しかもこの『権利主体』の概念はまた、売買や交換や取引や交易というような種々の根本形式に還元せられるのだ」(ニーチェ「道徳の系譜・第二論文・P.70」岩波文庫)
そこで債権・債務関係は相殺されていると見做されたため、この女性は人間の世界へ舞い戻されることが決定された。「今昔物語」編纂期すでに売買、交換、取引、交易などは当たり前のように盛んに行われていたことを物語っている。もちろん古代中国でシルクロードはもっと以前に出来上がっていたし海上交易ルートも繁盛していた。北方の遊牧民を介して大陸を横断する草原の道も既にあった。
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