白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/李山竜(りのさんりよう)の冥界下り

2021年04月29日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

唐の時代。王城諸門警護に当たる官庁は左右に分かれて置かれており、右側を「右監門(うかんもん)」といった。「李(り)ノ山竜(さんりよう)」はその武官。もともとは「憑洲(ひようしう)」(今の中国陜西省大茘県)出身。「武徳(ぶとく)ノ間」(六一八年~六二六年)に突然死した。

ところが、死んだはずの山竜の「胸・掌(たなごころ)」だけはまだ暖かいままだった。家人らは不審に思い、しばらくの間、火葬せずに置いていた。

「但シ、山竜ガ胸・掌(たなごころ)許(ばか)リ煖(あたた)カ也。家ノ人、此レヲ怪(あやし)ムデ暫ク不喪(もせ)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.143」岩波書店)

七日が過ぎようとしていた時、山竜が突然生き返った。そして親族らに語って聞かせるには、冥界で種々の役割に従事する役人に捕えられ、閻魔王の前の階段の下に引き出されたという。冥界は広大な敷地を誇っており、地上の首都同様、様々な官庁が林立している。その庭は甚だ広大で、庭の中に手枷(てかせ)・足枷(あしかせ)を嵌められ、鎖に繋がれた罪人がひしめき合っている。

閻魔王は山竜に問う。「そなたは生前、何か良きことを行ったか」。山竜は答える。「私の郷(さと)で講演があるときには欠かさず施主と等量のお布施を供えてきました」。しかしそれだけなら金さえあれば誰にでも出来ることであり、閻魔王としては耳に蛸ができるほど聞き飽きたありふれた返答でしかない。そこで閻魔王はさらに山竜に問いかけた。「ただ、そなた自身にとってひたすら何か良きことを行ったことがあるか」。山竜は答えた。「法花経二巻を誦(じゅ)してきて、そらんじることができます」。すると閻魔王はおっしゃった。「それは大変貴い行いである。速やかに階段を登りなさい」。

「王ノ宣(のたま)ハク、『汝ガ身ニ只何(いか)ナル善根(ぜんごん)ヲカ造レル』ト。山竜答(こたへ)テ云(いは)ク、『我レ、法花経(ほくゑきやう)二巻ヲ誦(じゆ)セリ』ト。王ノ宣(のたま)ハク、『甚ダ貴シ。速(すみやか)ニ階(はし)ニ可登(のぼるべ)シ』ト」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.144」岩波書店)

山竜は閻魔庁の階段を登った。また、閻魔庁の東北(うしとら)は鬼門の方角だが、そこに法会を行うための講座が設置されている。王は山竜に向かってそこで経を読誦すべしと命じる。講座に着いた山竜は王に向かい合う形でさっそく経を誦み始めた。「妙法蓮華経(めうほふれんぐゑきやう)序品(じよほん)第一」は法華経の巻頭部分。その箇所を読誦するや否や閻魔王はおっしゃった。「もう止(や)めてよい」。山竜はわけのわからないまま王の指示に従って講座を降り再び階段の下にひかえた。階段の下に戻って無数の罪人が鎖に繋がれている庭を見渡してみると、ついさっきまでひしめていていたはずの罪人らはすべて、瞬時に消え失せて誰一人見当たらない。

「山竜誦(じゆ)シテ云(いは)ク、『妙法蓮華経(めうほふれんぐゑきやう)序品(じよほん)第一』ト読(よみし)カバ、王ノ宣(のたま)ハク、『読誦ノ法師、速(すみやか)ニ止(や)メ』ト。山竜、王ノ言(こと)ニ随(したがひ)テ、即チ止(やめ)テ座ヲ下(おり)ヌ。亦、階(はし)ノ本(もと)ニテ庭ヲ見ルニ、誡メ置(おき)タリツル多(おほく)ノ罪人、忽(たちまち)ニ失(う)セテ不見(みえ)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.144」岩波書店)

閻魔王はいう。「そなたが経を誦する功徳はただ単に自分一人の利益にのみ限られるものではない。庭に満ち溢れて苦を受けていた多くの衆生はそなたの誦した経を聞き、囚われの身から解放されることができた。どうしてこれを限りなき善根でないと言えようか。今やそなたを解き放とう。速やかに人間の世界へ還(かえ)りなさい」。

「君ガ経ヲ誦(じゆ)スル功徳(くどく)、只自(みづ)カラノ利益(りやく)ノミニ非(あら)ズ。庭ノ中ノ多(おほく)ノ苦ノ衆生(しうじやう)、皆、経ヲ聞クニ依(より)テ、囚(とらはれ)ヲ免(まぬ)カルル事ヲ得(え)ツ。豈(あ)ニ此レ、無限(かぎりな)キ善根(ぜんごん)ニ非(あら)ズヤ。今、我レ、君ヲ放ツ。速ニ人間(にんげん)ニ還(かへ)リ去(い)ネ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.144」岩波書店)

山竜は王に向かって深く礼拝し、閻魔庁を去ってもともと生きていた世界へ還ろうと数十歩ほど歩いたところ、王は部下の獄卒に命じて山竜に地獄巡りをさせるよう命じた。山竜は一人の獄卒に連れ沿われ地獄を案内されることになった。

80メートルばかり歩いただろうか、一つの鉄(くろがね)で築かれた城に着いた。城は豪壮で鉄の屋根が上部を覆っている。小型の窓がたくさんあり、お盆くらいのもあれば鉢くらいのもある。見ていると、男女様々な者らが窓の中へ飛び込んでいくのだが、出てくることはない。山竜は不可解に思い獄卒にわけを尋ねてみた。獄卒はいう。「これが八大地獄(等活地獄・黒縄地獄・衆合地獄・叫喚地獄・大叫喚地獄・焦熱地獄・大焦熱地獄・阿鼻地獄)の世界だ。獄中には多くの仕切りがある。というのも罪状がそれぞれ異っているように、それに応じて各自が受ける罰も異なるからだ。ここに飛び込んでいく様々な者は、そもそもの罪状に応じて地獄で罪の報酬を受けることになる」。

「百余歩(ふ)ヲ行(あるき)テ見レバ、一ノ鉄(くろがね)ノ城(じやう)有リ。甚ダ広ク大キ也。其ノ上(う)ヘニ野有(あり)テ、其ノ城(じやう)ヲ覆ヘリ。旁(かたはら)ニ多(おほく)ノ小キ窓有リ、或ハ、大(おほき)ナル事、小キ盆ノ如シ。或ハ鉢ノ如シ。見レバ、諸(もろもろ)ノ男女、飛(とび)テ窓ノ中ニ入(いり)テ、亦出(いづ)ル事無シ。山竜怪(あやしみ)テ使ニ問フ、『此レハ何(いか)ナル所』ト。使ノ云(いは)ク、『此ハ此レ、大地獄(だいぢごく)也。獄ノ中ニ多(おほく)ノ隔(へだて)有リ。罪ヲ罰(ばつ)セル事各(おのおの)異(こと)也。此ノ諸(もろもろ)ノ人ハ、本ノ業(ごふ)ニ随(したがひ)テ、地獄ニ趣(おもむき)テ其ノ罪ヲ受クル也』ト」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.145」岩波書店)

山竜は哀れと畏怖の情に襲われ、恐れながら「南無仏(なもぶつ)」と唱えた。獄卒は「さあ、行こう」と先を促した。さらに一つの城門にたどり着いた。銅(あかがね)をどろどろに溶かして流し込む釜茹で用の大きな鍋がある。その傍で二人の罪人が居眠っている。山竜はなぜ居眠っているのかと問うてみた。二人はいう。「我々はこの釜茹での鍋がぐつぐつ沸騰している中へ入った。どうしようもなく堪え難い。ところがそなたが『南無仏(なもぶつ)』と唱えて下さったのを承(うけたまわ)り、地獄にいる罪人はみんな一日だけ休息を取ることができた。疲れ果てていたので居眠っていたというわけです」。

「我等、此ノ鑊(かなへ)ノ沸(わ)ケル中ニ入レリ。難堪(たへがた)キ事無限(かぎりな)シ。而(しか)ルニ、君ノ『南無仏(なもぶつ)ト称シ給ヘルヲ聞クニ依(より)テ、地獄ノ中ノ罪人皆、一日、息(やす)ム事ヲ得テ、痩(つか)レ睡(ねぶ)レル也』」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.145」岩波書店)

それを聞いた山竜はまた哀れと畏怖の情に襲われ「南無仏(なもぶつ)」と唱えた。そこで山竜を案内していた獄卒がいう。「冥途の官庁はとても数が多い。閻魔王はもうそなたを解き放ちなされた。ついては、ここから出て行くに当たって赦免状を請い受けておかれるのがよい。というのは、これまでの事情を知らない他の官庁の役人は再びそなたを捕縛しようとするだろうから」。

「官府、其ノ数(かず)多シ。王、今、君ヲ放チ給フ。君去ラムニハ、王ニ免(ゆる)ス書(ふみ)ヲ可申(まうすべ)シ。若(も)シ其ノ書(ふみ)ヲ不取(とら)ズハ、恐タクハ他ノ官ノ者、此ノ由ヲ不知(しら)ズシテ、亦、君ヲ捕ヘムト為(せむ)」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.145~146」岩波書店)

そんなわけで閻魔王は書面を書き、獄卒に手渡していう。「五道等ノ暑ヲ可取(とるべ)シ」。「五道(ごどう)」は「地獄道・餓鬼道・畜生道・人道・天道」を指す。初期仏教に阿修羅道はなかった。それら五箇所の冥界の長官からそれぞれ署名を貰い受けてこいという意味。獄卒は山竜を連れて冥界の二箇所の官庁から署名を貰って廻った。なかなか骨の折れる組織構造だが、それはもちろん、地上の都の官庁組織に対応していることから必然的にそうなる。ダンテ「神曲」で世界が三層構造を取っているように。ともかく、山竜は地獄巡りを終えて冥界から還ろうとしていると、見知らぬ三人の者が現れた。そしていう。「閻魔王はそなたを解放されてここから出ることをお許しになられたようだ。我々はもはやそれを止めることはできない。ただ、多くても少なくても構わないのだが、我々が欲しいと望むものを送ってもらいたい」。

言い終わる間もなく獄卒が説明に入った。「王はそなたを解き放ちなさった。ところでこの三人を覚えてはいないか。そなたが冥界にやって来たとき最初にそなたを捕えた従者だ。一人は棒主(ばうのぬし)といってそなたの頭を棒で殴った役人。二人目は縄主(なはのぬし)といって赤い縄でそなたをぐるぐる巻きに縛り付けた役人。三人目は袋主(ふくろのぬし)といって袋を持ってきてそなたの息を吸い込み窒息の苦しみを与えた役人。そなたが地上へ還ることを許されたのを知って、こんなふうに何でもいいから物を請うているのだ」。

「王、君ヲ放チ給フ。此ノ三人ヲ不知(しら)ズヤ。三人ハ此レ、前(さき)ニ君ヲ捕ヘシ使者也。一(ひとり)ヲバ此レ棒主(ばうのぬし)ト云フ、棒ヲ以テ君ガ頭(かしら)ヲ撃ツ。一(ひとり)ヲバ此レ縄主(なはのぬし)ト云フ、赤キ縄ヲ以テ君ヲ縛ル。一(ひとり)ヲバ此レ袋主(ふくろのぬし)ト云フ、袋ヲ以(もて)君ガ気(いき)ヲ吸フ者也」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.146」岩波書店)

これは賄賂の要求なのではとやや不審に思いはするものの、恐怖心で一杯になっている山竜はともかく家に帰ってから供物を送ろうと約束する。しかし供物を送るにしてもどのような方法でなのか。三人の冥界の役人はいう。「水辺(みずのほとり)あるいは樹下(うゑきのもと)で焼くこと」。そういうと三人の役人は山竜を許して帰らせてくれた。

「三人ノ云(いは)ク、『水ノ辺(ほと)リ、若(もし)ハ、樹(うゑき)ノ下(もと)ニシテ此ヲ焼(やけ)』ト云(いひ)テ、山竜ヲ免(ゆる)シテ還ラシム」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.146」岩波書店)

山竜が元の家に還ってきたと思うとなるほど魂は地上に戻ったようである。観察するに、家人らは泣く泣く山竜の葬儀の準備にかかっている。そこで山竜は自分の屍(しかばね)に寄り添うと立ちどころに蘇った。

「山竜、家ニ還(かへり)ヌト思フニ活(よみがへり)テ、見レバ、家ノ人泣キ合(あひ)テ、我レヲ葬(さう)セムズル具(ぐ)ヲ営ム。山竜、屍(しにがばね)ノ傍ニ至(いたり)ヌレバ、即チ活(よみがへり)ヌ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.147」岩波書店)

後日、約束した通り冥界の用途に紙で仕立てた銭を作り、合わせて酒や肉類を用意し、水辺でそれらの物を焼いた。するとたちまち冥界にいるはずの三人の役人が出現して言った。「そなたは約束を忘れなかったばかりか、さらに食物を供えて贈物としてくれた」。言い終わると三人の姿は跡形もなく消え失せた。

「後(のち)ノ日、紙ヲ剪(きり)て銭帛(せんはく)ヲ造リ、幷(ならび)ニ酒肉ヲ以テ、自(みづ)カラ水ノ辺(ほとり)ニシテ此ヲ焼ク。忽(たちまち)ニ見レバ三人来(きたり)テ云(いは)ク、『君、信ヲ不失(うしなは)ズシテ、重(かさね)テ遺愧(ゆいき)ノ賀ヲ相(あ)ヒ贈(お)クル』ト云ヒ畢(をはり)テ後、三人不見(みえ)ズ」(新日本古典文学体系「今昔物語集2・巻第七・第三十・P.147」岩波書店)

さて。「水辺」が「此方(こなた)」と「彼方(かなた)=異界」との境界線とされているのはこれまで見てきた説話と同様。さらにこの説話は典型的な「冥界下り」の条と言える。古代世界の民族創生神話では必ずといっていいほど試練として課されている。最も有名なのはホメロス「オデュッセイア」の主人公・オデュッセウスの場合だが、オデュッセウスの評価を巡って、必ずしも「英雄」だとばかりも言えないとする見方も根強い。なぜかといえば、オデュッセウスが次々と打倒していく敵は多少なりとも戯画化されており、その正体は何かというと、そもそも古代地中海沿岸で暮らしていた種々の先住民がモデルだからである。なので、例えばアドルノなどは「ユダヤ人思想家」としてナチス・ドイツに殺されかけた経験があり、思想家としてのニーチェを高く評価する一方、逆にそれを乱用しナチス党をオデュッセウス一行に喩えて英雄視した、ニーチェ以後の様々な思想家らを徹底的に批判している。しかしそれはヨーロッパ近代国家成立以後の事情であり、古代神話の読解にはまた別の秩序〔価値体系〕への場所移動が必要になる。差し当たり参考にしたいのは熊楠の愛読書の一つ・アープレーイユス「黄金の驢馬」。こうある。

「さて熱心な読者よ、あなた方は、その部屋で二人が交わした会話や、そこで起こったことについて知りたいと強く望まれることでしょう。話すことが許されていれば喜んで話しましょう。お耳に入れてよいなら喜んでお聞かせするでしょう。しかしそれについての不謹慎なお喋(しゃべ)りによって私の舌は、あるいは大それた好奇心によってあなた方の耳は、共にひとしく罰をこうむること必定です。しかし、そうなると、今度はあなた方が、熱い敬虔な関心を抱いたまま宙ぶらりんの気持ちであれこれと憶測し、煩悶(はんもん)することになるでしょう。私もそれは望みません。そこで一つ話を聞いて下さい。でも、この話はみんな真実だと思って下さい。ーーー私は死の境界にやってきて、冥界の女王プロセルピナの神殿の敷居をまたぎ、あらゆる要素を通ってこの世に還ってきました。真夜中に太陽が晃々(こうこう)と輝いているのを見ました。冥界の神々にも天上の神々にも目(ま)のあたりに接し、膝下に額(ぬか)ずいてきました」(アープレーイユス「黄金の驢馬・巻の11・P.461~462」岩波文庫)

なぜ「冥界下り」が必要になるのか。エリアーデはこう述べる。

「密儀へのイニシエーションによって、この地上で早くも神との合一をはたすのである。言いかえれば、《生きている》個人が『神聖化された』のであって、死後の霊魂が神聖化されたのではない」(エリアーデ「世界宗教史4・第二十六章・P.126」ちくま学芸文庫)

《生きている》個人の『神聖化』というイニシエーション。この試練。それをくぐり抜けたものだけが「金」になるとエリアーデはいう。諸商品の無限の系列から《排除される》限りで貨幣が出現する過程とまったく違わない。

「一般的等価形態は価値一般の一つの形態である。だから、それはどの商品にでも付着することができる。他方、ある商品が一般的等価形態(形態3)にあるのは、ただ、それが他のすべての商品によって等価物として排除されるからであり、また排除されるかぎりでのことである。そして、この排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間から、はじめて商品世界の統一的な相対的価値形態は客観的な固定性と一般的な社会的妥当性とをかちえたのである。そこで、その現物形態に等価形態が社会的に合生する特殊な商品種類は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣として機能する。商品世界のなかで一般的等価物の役割を演ずるということが、その商品の独自な社会的機能となり、したがってまたその商品の社会的独占となる。このような特権的な地位を、形態2ではリンネルの特殊的等価物の役を演じ形態3では自分たちの相対的価値を共通にリンネルで表現しているいろいろな商品のなかで、ある一定の商品が歴史的にかちとった。すなわち、金である」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.130~131」国民文庫)

オシリスの蘇りもまた、死ぬと同時にばらばらに切断されあちこちに撒き散らされる。

「イシスは旅をつづけてブトに着くと、そこで育った息子のホロのもとに棺を置きました。だが、月の光の下で夜狩りをしていたテュポンがちょうどそこへ来ました。彼はオシリスの遺骸に気がつくと、それを十四に切断してばらまきました。それを知るとイシスは、パピルスの舟に乗って沼地を渡って探し回りました。だがらパピルスの舟で渡る人は、鰐(わに)も襲わないのだと言われています。鰐も女神様ゆえに、そんなことをするのは恐ろしい、あるいは女神様を崇めているのでしょう。しかしこのために、エジプト中にオシリスの墓というのがたくさんあることになりました。イシスは、切断された部分を見つけてはそこに葬ったので、ということです。しかし、それは違うという人もあります。その人たちの意見によりますと、イシスは、なるべく多くの町でオシリスが拝まれるようにと、彼の象を造って、さながら遺骸そのものを与えるかのように、各都市に配ったというのです。こうすれば、もしテュポンがホロスとの戦いに勝って、そこでオシリスの本当の墓を捜し出そうとしても、あまりたくさんのオシリスの墓のことを聞かされ、時には見せられなどして、もうやめておこうという気になるだろうから、なのだそうです。オシリスの体の部分で最後まで見つけることができなかったのは、ただ一つ、彼の陰部でした。海中にほうり込まれたとたんに、レピドトスたのパグロスだのオクシュリュンコスだのいう魚どもがたかって、食べてしまったからです。ですからこれらの魚はエジプトではいちばん嫌われているのです。イシスはその隠部の似像を造って崇めました。エジプト人は今でもこれを祀るお祭をしております」(プルタルコス「エジプト神イシスとオシリスの伝説について・十八・P.40~41」岩波文庫)

だが遂にオシリスは生まれ変わって蘇る。古代ギリシアの祭祀・ディオニュソス祭(古代ローマではサトゥルヌナリア祭)は死と再生の物語を何度も繰り返し反復していくことになる。

「クレア様、オシリスがディオニュソスと同じ神だということを、誰があなた以上に知っていましょうか。あなたはデルポイでディオニュソスを信じる女性たちを束ねていらっしゃる方ですし、お父上とお母上からオシリスの秘儀を授かっておいでなのですから。しかし一般の人々のために、これらの神が同じものだという証拠を提供すべきだとするなら、秘儀にかかわるゆえに口にしてはならぬことは、そのままそこに置いておくことにして、アピスを葬る際に祭司たちが人々の目の前でやることをここでは申しましょう。とにかく彼らがアピスの遺体を舟に載せて運ぶ時、あれはバッコスの祭とほとんど違わないのですから。鹿の毛皮をまといます、ティルソスをかざします、口々に叫びます。そして激しく体を動かします。ちょうどディオニュソスの祭の恍惚に身を任せた人々のようにです。こんな風ですからディオニュソスの方でも、多くのギリシア人が牛の姿をしたディオニュソス像を描きますし、エリスの女たちはディオニュソスに祈りつつ、『牛の脚もて、神よ、来りませ』と呼びかけます。ーーーギリシアのティタネスの伝説や夜祭の行事は、オシリスの切断、よみがえり、生まれ変わりの話と一致しております」(プルタルコス「エジプト神イシスとオシリスの伝説について・三五・P.68~69」岩波文庫)

今なお世界各地で行われている様々な祭祀はディオニュソス祭の変化形として見ることができる。その期間ばかりは一切の秩序〔価値体系〕は溶けて消え失せる。そういう期間が金輪際なくなってしまうと人間は社会的に窒息するほかない。その意味で近代以降の世界的な行事、例えば「五輪」はディオニュソス祭の神聖さといささかの関係も持ち得ないどころか、むしろ逆に人間を社会的に窒息させる方向へ押し進める機能を担っている。大規模な生態系破壊をますます押し進めていく自殺行為をなぜ国民の側が引き受けなければならないのだろうか。理解できないというしかない。

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