白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/国立仏教施設私物化の惨劇

2021年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

今の奈良県奈良市大安寺町に「大安寺(だいあんじ)」という寺院がある。その起源は奈良時代。東大寺・興福寺・法隆寺・薬師寺などと並ぶ大寺院として天皇の命により出発した。

「秋七月に、詔(みことのり)して曰(のたま)はく、『今年(ことし)、大宮(おほみや)及(およ)び大寺(おほでら)を造作(つく)らしむ』とのたまふ。即(すなは)ち百済川(くだらがは)の側(ほとり)を以(も)て宮処(みやどころ)とす」(「日本書紀4・巻第二十三・舒明天皇十一年・P.108」岩波文庫」)

「大宮(おほみや)」は百済大宮(くだらおおみや)、「大寺(おほでら)」は百済大寺(くだらおおでら)を指す。また、「大寺」は「私寺」に対する「公寺」を意味し、国立仏教施設をいう。さらに。

「九月(ながつき)の癸丑(みづのとのうし)の朔(ついたち)乙卯(きのとのうのひ)に、天皇(すめらみこと)、大臣(おほきみ)に詔(みことのり)して曰(のたま)はく、『朕(われ)、大寺(おほでら)を起(おこ)し造(つく)らむと思欲(おも)ふ。近江(あふみ)と越(こし)との丁(よほろ)を発(おこ)せ』とのたまふ。百済大寺(くだらおほでら)ぞ」(「日本書紀4・巻第二十四・皇極天皇元年・P.186」岩波文庫」)

「近江(あふみ)」は今の滋賀県、「越(こし)」は今の新潟県・富山県・石川県・福井県を指し、「丁(よほろ)」はその時代の国立建造物建設に携わった賦役人のこと。大量の工事関係者が従事したと考えられる。当時の大安寺はとりわけ仏教のための学問研究施設として東大寺と並び称されるほど大規模なものだった。それが平安時代に入ると急速に小規模化した。

いつ頃のことかはっきりしないが、大寺だった当時の大安寺の別当(べっとう=事務局長)の娘で、周囲の群を抜くほど美麗だと評判の女性がいた。或る「蔵人(くろうど)」=「天皇の秘書」がその女性のもとに夜な夜な通うようになった。二人は急速に接近し、蔵人は通い詰めているうちに夜だけでなく昼間も大安寺別当の娘のところに入り浸るようになった。とはいえ、何か咎め立てがあったという記載はまったく見られないので、おそらく公認の間柄だったのだろう。昼間も入り浸っているうちに蔵人は昼寝し始めた。すっかり眠り込んでしまったようで、そのうち夢を見た。どんな夢か。

寺院の事務局はその一家が取り仕切っていた。上中下と様々な身分の者が立ち働いている。蔵人の夢の中でいきなり阿鼻叫喚の大声が響き渡った。何かあったのかと立ち上がり家の中を見て廻っていると、事務局長を務める舅(しゅうと)、その妻、そしてそこに勤務している者らすべてが大きな銀(しろかね)の器(うつわ)を高く捧げ持って嗚咽している。

「立(たち)て行(ゆき)て見れば、舅(しゆうと)の僧、姑(しゆうとめ)の尼君(あまぎみ)より始めて、有限(あるかぎり)の人皆大(おお)きなる器(うつわもの)を捧(ささげ)て泣き迷(まど)ふ也けり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第十九・第二十・P.102」岩波文庫)

蔵人はいぶかしく思う。「あの器には何が入っているのだろう」。よく覗き込んでみると、どの器にも、銅(あかがね)を焔で溶かせたどろどろの湯が盛られている。たとえ鬼を責め立てて無理矢理飲ませようとしてもけっして飲むことはあるまいと思われるような銅(あかがね)の湯を、泣きながらも、みんなで率先してぐいぐい飲み込んでいる。かろうじて飲み下すとまたもう一杯欲しいと自ら頼んで二杯目を飲み干す者もいる。事務局長とその妻とを筆頭に、身分の低い下男下女など末端に至るまで全員がぐらぐら煮えたぎる銅の湯を泣きじゃくりながら、しかし愉悦感に満ちて、繰り返し飲み干し、歓喜の大声を張り上げている。

「慥(たしか)に吉(よ)く見れば、銅(あかがね)の湯を器毎(うつわごと)に盛(も)れり。打ち責(せめ)て鬼の呑(のま)せむそら可呑(のむべ)くも非(あら)ぬ銅の湯を、心と泣々(なくな)く呑(のむ)也けり。辛(から)くして呑畢(のみは)つれば、亦(また)乞(こ)ひ副(そ)へて呑(の)む者も有り。下の下衆(げす)に至(いたる)まで此れを不呑(のま)ぬ者無し」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第十九・第二十・P.102~103」岩波文庫)

そのうち蔵人が臥している横へ事務局で働く女房がやって来て、蔵人の愛人である女性(事務局長の娘)にも銅の湯を勧める。女性は銀(しろかね)の器を手に取ると、うんうんといかにも悩ましげな声を上げながら涙ながらに飲み干した。蔵人が見ていると女性の「目・耳・鼻」から焔が吹き出し煙を上げている。

「此の娘にも大きなる銀(しろかね)の器に銅の湯を一器(ひとつき)入れて、女房有て取(とらせ)ぬれば、此の娘此(こ)れを取て、細く労(ろう)た気(げ)なる音(こえ)を挙(あげ)て泣々(なくな)く呑めば、目・耳・鼻より焔(ほのお)、煙(けぶ)り出づ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第十九・第二十・P.103」岩波文庫)

類話を参照しよう。この場合、銅(あかがね)の湯は「目・耳・鼻」だけでなく、尻からも垂れ流しになっていなければならない。次のように。

「暫(しばし)許(ばかり)有て、尻より流れ出(い)づ。目・耳・鼻より焔(ほのお)ほめめき出(い)づ。身の節毎(ふしごと)に煙(けぶり)出(いで)て、くゆり合たり。各(おのおの)涙を流して叫ぶ音(こえ)悲し。僧毎(ごと)に皆次第に飲まれ畢(はて)つれば、皆解免(ときゆる)して、本(もと)の房々(ぼうぼう)に返し送(おくり)つ。其の後、此の人共、空に飛び畢(はて)て失(うせ)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第十九・第十九・P.100」岩波文庫)

死んだ東大寺の僧が山中の見知らぬ寺院で一日一度受け続けていた罰と同一である。事務局の女房は蔵人の愛人が飲み終えると次に客人である蔵人にも飲むよう勧めてきた。「私もこれを?」と戦慄した時、蔵人はふいに夢から醒めた。夢から醒めてみると建物の台所から女房どもが食べ物を料理してせっせと運んでいる。舅らはそれらをたらふく平らげながらどうでもいいくだらない話に打ち興じ、我が物顔で満足げな様子だ。蔵人ははたと気づいた。「こいつら、寺の物品を私物化して実は遊んでいたのか」。

「寺の別当なるは、寺の物を心に任せて仕(つか)ふ。寺の物を食(くう)にこそは有らめ。其れが此(か)くは見ゆる也けり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第十九・第二十・P.103」岩波文庫)

さて。諸商品の変化を見よう。第一に「国立寺院の公共物」から「銅(あかがね)の湯」への転化。第二に「銅(あかがね)の湯」から「国立寺院の事務局長一家の私物」への転化。流通過程は蔵人の夢の中ということに設定されており、公共物と私物との《あいだ》は「銅(あかがね)の湯」に映って見える構造を取っている。言い換えれば、ニーチェのいう債権者と債務者との等価性は著しく侵害されている。そこで、破られて出来た穴を埋め戻し均衡を取り戻すために、ややもすれば公金を投入し押し隠してしまおうとしても、蔵人(天皇の秘書官)にばれてしまった以上、隠し通すことはもはやできない。

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