前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。
「染殿(そめどの)の后(きさき)」は藤原明子。文徳天皇の女御。藤原良房女(よしふさのむすめ)。また、「染殿(そめどの)」は藤原良房(よしふさ)の邸宅を指す。今の京都御苑の東北部分にあった。京都御苑の東側に隣接して「染殿町(そめどのちょう)」の名が残る。
この后(きさき)=女御は始終「物(もの)の怪(け)」に憑依されてばかりいた。だから世間に名高い僧がいると聞けば呼んで加持祈祷が行われた。しかし少しも効き目がなかった。そんな時、大和葛木(やまとのかずらき)の山の頂(いただき)にある金剛山(こんごうせん)で修行し、名声を博している一人の貴い聖人がいた。「大和葛木(やまとのかずらき)」は今の大阪府と奈良県との境界線に位置する葛城金剛山系。その霊験は世に並ぶ者がないという。天皇と良房にもその評判が耳に入り、勅使を派遣し、明子の病(やまい)平癒のために京へ出てくるよう宣旨が飛んだ。聖人は何度も辞退した後、宣旨ゆえ、京へ参上した。
后=女御・明子の前に出た聖人が加持を始める。その効き目は著しく、まず后に近侍する侍女(じによ)に「物の怪」が乗り移り、侍女は狂気に陥る。走りながら泣き叫び意味不明のことを喚き散らした。聖人はますます念入りに加持祈祷を続ける。侍女は呪縛され金縛りになる。そのまま聖人は激しい詰問で責め立てる。すると、侍女の着物の懐(ふところ)からひょいと一匹の老いた狐が転がり出てきた。転倒して床にぱたりと臥した。走って逃げることもできない。そこで聖人は狐を捕えさせ、二度とこのような真似をしてはいけないと教え諭した。明子の父・良房はそれを見てこれまでになく痛く感激した。明子の症状は二日ほどで平癒した。
「御前に召て、加持(かじ)を参(まいら)するに、其験(しる)し新たにして、后(きさきの)一人の侍女(じによ)忽(たちまち)に狂(くるい)て哭(な)き嘲(あざけ)る。侍女に神詑(つき)て走り叫ぶ。聖人弥(いよい)よ此を加持するに、女被縛(しばられ)て打ち被責(せめらる)る間、女の懐(ふところ)の中より一の老狐(ろうこ)出て、転(くるべき)て倒れ臥(ふし)て、走り行(ゆく)事能(あたうべ)からず。其時に、聖(ひじり)、人を以て狐を令繋(つながしめ)て、此(これ)を教ふ。父の大臣此れを見て、喜給(よろこびたま)ふ事無限(かぎりな)し。后の病(やまい)、一両日(いちりようにち)の間に止給(やみたま)ひぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.151~152」岩波文庫)
良房はたいそう喜び、今しばらく后の宮に滞在していてほしいと聖人に頼んだ。聖人は仰せに従ってしばらくの間、后の宮に滞在することにした。そのうち季節は夏になった。とにかく暑い日が続く。衣替えも済み、后はいつものように単衣(ひとえ)だけで過ごしている。ふと風が吹いた。几帳の垂れた箇所が風に吹かれて絹がふわっとめくれ上がった。その隙間を通して聖人の位置から后の夏の単衣姿がちらりと垣間見えた。聖人は薄く透けて見える単衣姿の后を見た瞬間、「深く后に愛欲の心を発(おこ)しつ」。欲望の焔を燃え上がらせ、心底から焼き尽くされてしまいそうな愛欲が立ち上ってくるのを感じた。とはいえ后は天皇の女御である。聖人は后をどうすることもできず、かといって、自分の愛欲の焔を押し沈めることもできない。遂に精神状態制御不能に陥り、心を奪われ分別を失い、周囲の隙を伺って御帳の中へ上がり込み、后が横になっていらっしゃるところを狙い、その腰にしがみついた。后はびっくりなさって、どうしようと思い迷い、汗びっしょりになって怖がられている。だが后の力では振り払うことができない。
「遂に心澆(あわ)て狂(くるい)て、人間(ひとま)を量(はかり)て、御帳(みちよう)の内に入て、后の臥(ふさ)せ給へる御腰に抱付(いだきつき)ぬ。后驚き迷(まどい)て、汗水(あせみず)に成て恐(お)ぢ給ふと云へども、后の力に辞(いな)び難得(えがた)し」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.152」岩波文庫)
聖人は全力で后を捕まえて離さずとうとう凌辱してしまった。側仕えの女房らはその光景を見て慌てふためきその場は騒然となった。一方、宮中には后の治療に当たるため、「当麻(たいま)の鴨継(かもつぐ)」という侍医(じい)がいた。女房らが突然騒ぎ立て出した叫び声を聞きつけて后の宮に駆けつけると、御帳の中から聖人が出てきた。鴨継は聖人を捕まえ、天皇に事情を説明するに及んだ。
「聖人力を尽して凌(りよう)じ奉(たてまつ)るに、女房達(にようぼうたち)此(こ)れを見て騒(さわぎ)てののしる時に、侍医(じい)当麻(たいま)の鴨継(かもつぐ)と云ふ者有り。宣旨を奉(うけたまわり)て、后の御病(やまい)を療(りよう)ぜむが為に、宮の内に候(さぶらい)けるが、殿上の方に、俄(にわかに)騒ぎののしる音(こえ)しければ、鴨継驚(おどろき)て走入(はしりいり)たるに、御帳の内より此聖人出たり。鴨継、聖人を捕へて、天皇に此由(このよし)を奏(そう)す」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.152~153」岩波文庫)
天皇は激怒し、聖人は獄に繋がれた。ところが聖人は獄に縛り付けられても何一つ言わない。それどころか天を仰ぎ涙ながらに宣誓する。「私はここで速やかに死んで鬼となり、后が生きておられるうちにこの世に再び出現し、必ず后とこれ以上ないほど親密な仲になりましょうぞ。それこそ本懐というもの」。
「我忽(たちまち)に死(しに)て鬼と成て、此(この)后の世に在(まし)まさむ時に、本意の如く后に睦(むつ)びむ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.153」岩波文庫)
警護の者がそれを聞き、その内容を良房に告げた。良房はたまげて天皇に説明して差し上げた。何が起こるかわからない。そこで聖人を免(ゆる)して獄から解き放ち、元いた金剛山へ戻ってもらうことになった。聖人は金剛山へ帰って行った。聖人は山へ返りはしたが、一度燃え上がった愛欲の焔はますます燃え盛るばかり。どうにかして后に近づくことはできないか。いろいろ考えてみるものの、現実的に、京の宮中へ入ることはもはや土台無理とわかっている。この世で不可能なことはあの世ではもっと不可能。それなら第三の方法はないものか。ある。一度本当に死んで鬼となり、再び蘇るという宣誓通りの方法が。聖人はただちに断食に入った。
十数日後、聖人は餓死した。死ぬや否や立ちどころに鬼となって再出現した。以下しばらく鬼に変じた聖人の姿形が描かれる。何かとんでもなくおどろおどろしい「物の怪」のように思えはするが、よく耳にする昔話に出てくる鬼とほとんど同じ。「裸・ざんばら髪・身長2メートル半ば・黒漆を塗り付けたようなすべすべした黒色の肌・金属製の椀のような眼球・口が大きく開いている・剣(つるぎ)のような歯・上下に牙が伸び出ている・赤い褌(ふんどし)姿・打出(うちで)の小槌(こづち)を腰に差している」。それが突如、いつも后がいらっしゃる几帳のすぐそばに立ち現れた。
「物を不食(くわ)ざりければ、十余日を経て、餓(う)へ死にけり。其後忽(たちまち)に鬼と成ぬ。其(その)形、身(み)裸(はだか)にして、頭(かしら)は禿(かぶろ)也。長(た)け八尺許(ばかり)にして、膚(はだえ)の黒き事漆(うるし)を塗れるが如し。目は鋎(かなまり)を入(いれ)たるが如くして、口広く開(ひらき)て、剣(つるぎ)の如くなる歯生(おい)たり。上下に牙を食ひ出したり。赤き裕衣(とうさぎ)を掻(かき)て、槌(つち)を腰に差したり。此鬼俄(にわか)に后の御(おわし)ます御几帳(みきちよう)の喬(そば)に立たり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.153~154」岩波文庫)
虚を突かれた人々は皆、言葉を失い、失神し、気絶し、あるいは衣を被って臥し隠れた。聖人はもはや鬼と化している。后に近づき、あれよという間もなく正気を失わせてしまった。すると后は綺麗に身づくろいし始め、満面の笑みを浮かべて扇で顔を隠しつつ恥じらいの仕草を見せ、御帳の中へお入りになり鬼と二人で横になってしまわれている。
「此の鬼魂(おにのたましい)、后を怳(ほ)らし狂はし奉(たてまつり)ければ、后糸吉(いとよ)く取り䟽(つくろ)ひ給て、打ち咲(えみ)て、扇(おおぎ)を差隠(さしかく)して、御帳(みちよう)の内に入り給て、鬼と二人臥(ふ)させ給ひにけり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.154」岩波文庫)
女房らが耳を澄ませて聞いていると、鬼は、ただひたすら会いたくてたまらなかったという。后はそれを聞いてうれしそうな笑みを浮かべつつ受け止めていらっしゃる。しばらくして日暮れになった頃、鬼はようやく御帳から出て去った。女房らが后のもとに駆けつけると后は一体なにごとがあったのかという気色さえ見せず、いつものところにいらっしゃるばかり。ただ、少しだけ怖そうな目つきになっていた。事情を聞かされた天皇は、この先、后がどうなってしまうのかと心配でたまらない。それから鬼は毎日欠かさずやって来るようになった。そしてまた后の側もそのたびに正気を失いこの鬼を愛しくてたまらない者と思い込んで疑っておられぬ様子。
「其後、此鬼毎日(ひごと)に同じ様にて参るに、后亦(また)心肝(き)も失せ不給(たまわ)ずして、移(うつ)し心も無く、只此鬼を媚(うつくし)き者(ものと)思食(おぼしめし)たりけり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.155」岩波文庫)
一方、鬼は自分を獄に繋がせた当麻鴨継(たいまのかもつぐ)の所業を忘れてはおらず、人の口を借りて「必ず怨念をはらしてやる」と言った。それを聞かされた鴨継は急死した。同時に鴨継には三、四人の男子があったのだが、彼らはすべて頭がおかしくなりばたばたと狂死してしまった。
「而る間、此鬼、人に託(つき)て云く、『我必ず彼(か)の鴨継が怨(あた)を可報(むくゆべ)し』と。鴨継此(これ)を聞て、心に恐(お)ぢ怖(おそる)る間、其後幾(いくばく)の程を不経(へ)ずして、鴨継俄(にわか)に死にけり。亦(また)、鴨継が男三、四人有けり。皆狂病(おうびよう)有て死けり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.155」岩波文庫)
天皇と良房は極度とも言える恐れを抱き、ありとあらゆる名僧・高僧を呼び集め、物の怪退散の加持祈祷を念入りに行わせた。その効き目があったのか、三ヶ月ほどの間、鬼は一向に姿を見せなくなった。そのうち后の容態ももとに戻ってきたようで、天皇は后の宮に赴かれることとなった。大臣や公卿からすべての百官揃ってお見舞い申し上げていたその当日。そして天皇が后を見舞われているまさしくその時、消え失せたはずの鬼が宮の部屋の隅からにわかに躍り出てきた。すぐに御帳の中へ侵入する。「何と奇怪な」と天皇の目に映るや否や后は例のごとく鬼に惑わされたかのような風情に成り変わり、鬼の後からいそいで御帳の中へ入ってしまわれた。
「而る程間(ほどのあいだ)、例の鬼俄(にわか)に角(すみより)躍出(おどりいで)て、御帳(みちよう)の内に入にけり。天皇此れを、『奇異(あさまし)』と御覧ずる程に、后(きさき)例(れいの)有様にて、御帳の内に怱(いそ)ぎ入給ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.156」岩波文庫)
しばらくすると鬼は「南面(みなみおもて)」=「建物正面」に躍り出た。
「暫許(しばしばかり)有て、鬼南面(みなみおもて)に躍出(おどりいで)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.156」岩波文庫)
大臣・公卿ら列席中のすべての高級官僚はこの鬼を見て、恐れ迷い言葉を失った。鬼に続いて后も出てらした。そしてみんなが見ている目の前で后は鬼と抱き合い、どこと言わず何と言わずすべてをあらわにして性行為に及んだ。それが済むと鬼は起き上がり、続いて后も起き上がられて、御帳の中へ再びお入りになった。
「大臣・公卿より始(はじめ)て百官(ひやつかん)皆現(あらわ)に此の鬼を見て、恐れ迷(まどい)て、『奇異(あさまし)』と思ふ程に、后又取次(とりつづ)きて出させ給て、諸(もろもろ)の人の見る前に、鬼と臥させ給て、艶(えもいわ)ず見苦(みぐるし)き事をぞ、憚(はばか)る所も無く為(せさ)せ給て、鬼起(おき)にければ、后も起て入らせ給ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.156」岩波文庫)
さて。この説話は何の理由もなく「今昔物語」に掲載されているわけではない。ただ単なるスキャンダルだけならもっとほかに幾らでもあっただろう。妖怪〔鬼・ものの怪〕が他人を呪い殺害するというエピソードは既に「源氏物語」に登場しており、宮廷内部でさえ種類によりけりとはいえ、突如として魔物が出現して去る場所になっていた。以前取り上げたように、早朝の議場では、血塗れの頸(くび)だけを残して姿形も見せず消え失せる事件などが起きてもいる。しかしこの説話で登場する聖人は、狐を引っ張り出した箇所で、世にも名高い「聖(ひじり)」だと書かれている。山岳地帯を主とする修行者である。他にも修行者が大量に呼び出されている。だがこの聖だけが特権的な位置を獲得した。諸商品の無限の系列の中で、ただ一つの商品が貨幣として出現するのと同様の事態がここでも見られる。
「一般的等価形態は価値一般の一つの形態である。だから、それはどの商品にでも付着することができる。他方、ある商品が一般的等価形態(形態3)にあるのは、ただ、それが他のすべての商品によって等価物として排除されるからであり、また排除されるかぎりでのことである。そして、この排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間から、はじめて商品世界の統一的な相対的価値形態は客観的な固定性と一般的な社会的妥当性とをかちえたのである。そこで、その現物形態に等価形態が社会的に合生する特殊な商品種類は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣として機能する。商品世界のなかで一般的等価物の役割を演ずるということが、その商品の独自な社会的機能となり、したがってまたその商品の社会的独占となる。このような特権的な地位を、形態2ではリンネルの特殊的等価物の役を演じ形態3では自分たちの相対的価値を共通にリンネルで表現しているいろいろな商品のなかで、ある一定の商品が歴史的にかちとった。すなわち、金である」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.130~131」国民文庫)
これはしかし、一つの排除であり、「鬼への排除」とでも呼べそうな排除の構造を示している。その条件として全員一致の承認という過程が含まれる。
「ただ社会的行為だけが、ある一定の商品を一般的等価物にすることができる。それだから、他のすべての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外して、この除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表わすのである。このことによって、この商品の現物形態は、社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によって、この除外された商品の独自な社会的機能になる。こうして、この商品はーーー貨幣になるのである(「彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権力とを獣に与える。この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」『ヨハネの黙示録』)」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・・P.159」国民文庫)
天皇や良房を始め、聖人の呪法について、一度は全員一致で認めたことを考慮しよう。鬼と出るか神と出るか、いずれなのか、その条件は説話の早い段階で既に整っている。そして第二に「狂気」の力が最大限引き出されている点。それがこの説話を「今昔物語」に書き残させる有力な条件として認められるだろう。大阪府と奈良県との県境を横切る金剛山はもともと修験道の聖地だった。そこで修行したいと望む者は古代から数えきれないほどいた。だから聖たちもまた一杯いた。聖は聖でも尊敬され崇め奉られる者がいる一方、ついうっかりタブーを犯してしまい、国ごと危機に陥れてしまう今の日本政府の高級官僚のような輩もいたわけで、誰がどうとか、そう簡単に区別できるものではない。また、愛欲という言葉に込められた意味に関し、説話は近代日本よりも早い時点で生殖のためにのみあるものではない、と高らかに前提している点は注目に値する。ニーチェはいう。
「生殖は、性欲の《或る》種の満足の、一つの往々生じる偶然的な帰結であって、性欲の意図では《ない》のだ、性欲の必然的な結果ではないのだ。性欲は生殖とはいかなる必然的な関係をももってはいない。たまたま性欲によってあの成果がいっしょに達成されるのだ、栄養が食欲によってそうされるように」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八九六・P.491」ちくま学芸文庫)
フロイトもまた。
「たいていの人にとって、『意識的』ということは『心的』ということと同じなのですが、われわれは『心的』という概念を広げようと企てて、意識的でない心的なものを承認する必要に迫られたのでした。これとまったく類似していることですが、他の人たちは『性的』と『生殖機能に属している』ーーーあるいはもっと簡単に言おうと思うなら『性器的』ーーーとを同一視していますが、われわれは、『性器的』でない、すなわち生殖とはなんの関係もない『性的』なものを承認せざるをえないのです」(フロイト「精神分析入門・下・P.9」新潮文庫)
そのような人間という生き物に特有の狂気とは何か。聖人の変化を見てみよう。第一に「貴き聖人」から「凡人」への転化。高貴な身分の女性の夏の衣裳は中が透けて見えるほど大変薄く、こまやかで柔らかく仕立て上げられた単衣が通例だった。聖人がそもそも持っており、それまで修行へばかり向けられていた力の全量〔リビドー備給〕は、夏の衣裳を身にまとった后へと方向転換した。一塵の風によって開かれた隙間が、后の夏服を見た聖人を凡人へ転化させたのである。第二に「凡人」から「鬼」への転化。しかし力の全量〔リビドー備給〕には何らの変化もない。そのためには一度「死ぬ」ことが前提となっている。実際に死んだ。だからそれまでの身体はもう捨てられており、聖人だった頃の身体には未練一つ残っていない。ただ、アルトーのいう「器官なき身体」=「或る種の強度」とその移動だけがばくばくと蠕動している。それは原則的に誰の目にも見えない。見える時は見せている時であって、鬼の場合、先に引用した通りの姿形を取って演じられるほかない。そして鬼と化して消え失せた元聖人は黄金に光り輝く力の全量〔リビドー備給〕を衆人環視の中で見せつけた後、それ以前はどのような経緯ゆえにそうなったのか、さっぱり忘れさせてしまう効果を発揮して去る。貨幣のように。
さらに「鬼への排除」とはどういう事情を伴うかについて。「排除」と「否定」との違いについてフロイトはいう。
「患者の内界に抑圧された感覚が《外界》に投影される、という言い方は正しくない。むしろわれわれは、内界で否定されたものが《外界から》再び戻ってくると考えるべきである」(フロイト「シュレーバー症例」『フロイト著作集9・P.338』人文書院)
聖人は后へ向かう愛欲を抱いた瞬間、力の全量〔リビドー備給〕はその質を置き換えた。そして排除されるとともに、それが社会的外部への排除である限りで、いつもは外部へ排除・追放されたままあちこちをさまよっている物どもの力の全量〔リビドー備給〕を一身に引き受けつつ「《外界から》再び戻ってくる」という経過を経る。そこで始めて聖人の力の全量〔リビドー備給〕は「鬼魂(おにのたましい)」として加工され、ただ単なる「鬼」から「鬼’」として還流する。この過程は、説話にあるように、強迫神経症的に何度も繰り返される。
「無意識のうちには、欲動活動から発する《反復強迫》の支配が認められる。これはおそらく諸欲動それ自身のもっとも奥深い性質に依存するものであって、快不快原則を超越してしまうほどに強いもので心的生活の若干の面に魔力的な性格を与えるものであるし、また、幼児の諸行為のうちにはまだきわめて明瞭に現われており、神経症患者の精神分析過程の一段階を支配している。そこで、われわれとしては、以上一切の推論からして、まさにこの内的反復強迫を思い出させうるものこそ無気味なものとして感ぜられると見ていいように思う」(フロイト「無気味なもの」『フロイト著作集3・P.344』人文書院)
そしてまた、ただ単なる「鬼」から「鬼’」としての還流は、その間に一体何が起こったのか、すべて消えてしまっていて見えないという動きを取る。
「資本の現実の運動では、復帰は流通過程の一契機である。まず貨幣が生産手段に転化させられる。生産過程はそれを商品に転化させる。商品の販売によってそれは貨幣に再転化させられ、この形態で、資本を最初に貨幣形態で前貸しした資本家の手に帰ってくる。ところが、利子生み資本の場合には、復帰も譲渡も、ただ資本の所有者と第二の人とのあいだの法律上の取引の結果でしかない。われわれに見えるのは、ただ譲渡と返済だけである。その間に起きたことは、すべて消えてしまっている」(マルクス「資本論・第三部・第五篇・第二十一章・P.63」国民文庫)
なお、人々の心境をいとも簡単に誘惑し搦め取ってしまう威力について。それがごく普通の人々にはわけのわからない呪術とやらに映って見えているばかりなのだ。妖魔などいないにもかかわらず。むしろそこにあるのは或る一定の力とその移動である。しかし聖人を鬼に変えた力はその「過剰=逸脱」であり、古代ギリシアでは古くから知られていて、なおかつヨーロッパではフランスのジュネ文学、あるいはロシアのドストエフスキー文学、さらには日本の漱石作品に至るまで幅広く見られるありふれた傾向の類種だと言える。
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「染殿(そめどの)の后(きさき)」は藤原明子。文徳天皇の女御。藤原良房女(よしふさのむすめ)。また、「染殿(そめどの)」は藤原良房(よしふさ)の邸宅を指す。今の京都御苑の東北部分にあった。京都御苑の東側に隣接して「染殿町(そめどのちょう)」の名が残る。
この后(きさき)=女御は始終「物(もの)の怪(け)」に憑依されてばかりいた。だから世間に名高い僧がいると聞けば呼んで加持祈祷が行われた。しかし少しも効き目がなかった。そんな時、大和葛木(やまとのかずらき)の山の頂(いただき)にある金剛山(こんごうせん)で修行し、名声を博している一人の貴い聖人がいた。「大和葛木(やまとのかずらき)」は今の大阪府と奈良県との境界線に位置する葛城金剛山系。その霊験は世に並ぶ者がないという。天皇と良房にもその評判が耳に入り、勅使を派遣し、明子の病(やまい)平癒のために京へ出てくるよう宣旨が飛んだ。聖人は何度も辞退した後、宣旨ゆえ、京へ参上した。
后=女御・明子の前に出た聖人が加持を始める。その効き目は著しく、まず后に近侍する侍女(じによ)に「物の怪」が乗り移り、侍女は狂気に陥る。走りながら泣き叫び意味不明のことを喚き散らした。聖人はますます念入りに加持祈祷を続ける。侍女は呪縛され金縛りになる。そのまま聖人は激しい詰問で責め立てる。すると、侍女の着物の懐(ふところ)からひょいと一匹の老いた狐が転がり出てきた。転倒して床にぱたりと臥した。走って逃げることもできない。そこで聖人は狐を捕えさせ、二度とこのような真似をしてはいけないと教え諭した。明子の父・良房はそれを見てこれまでになく痛く感激した。明子の症状は二日ほどで平癒した。
「御前に召て、加持(かじ)を参(まいら)するに、其験(しる)し新たにして、后(きさきの)一人の侍女(じによ)忽(たちまち)に狂(くるい)て哭(な)き嘲(あざけ)る。侍女に神詑(つき)て走り叫ぶ。聖人弥(いよい)よ此を加持するに、女被縛(しばられ)て打ち被責(せめらる)る間、女の懐(ふところ)の中より一の老狐(ろうこ)出て、転(くるべき)て倒れ臥(ふし)て、走り行(ゆく)事能(あたうべ)からず。其時に、聖(ひじり)、人を以て狐を令繋(つながしめ)て、此(これ)を教ふ。父の大臣此れを見て、喜給(よろこびたま)ふ事無限(かぎりな)し。后の病(やまい)、一両日(いちりようにち)の間に止給(やみたま)ひぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.151~152」岩波文庫)
良房はたいそう喜び、今しばらく后の宮に滞在していてほしいと聖人に頼んだ。聖人は仰せに従ってしばらくの間、后の宮に滞在することにした。そのうち季節は夏になった。とにかく暑い日が続く。衣替えも済み、后はいつものように単衣(ひとえ)だけで過ごしている。ふと風が吹いた。几帳の垂れた箇所が風に吹かれて絹がふわっとめくれ上がった。その隙間を通して聖人の位置から后の夏の単衣姿がちらりと垣間見えた。聖人は薄く透けて見える単衣姿の后を見た瞬間、「深く后に愛欲の心を発(おこ)しつ」。欲望の焔を燃え上がらせ、心底から焼き尽くされてしまいそうな愛欲が立ち上ってくるのを感じた。とはいえ后は天皇の女御である。聖人は后をどうすることもできず、かといって、自分の愛欲の焔を押し沈めることもできない。遂に精神状態制御不能に陥り、心を奪われ分別を失い、周囲の隙を伺って御帳の中へ上がり込み、后が横になっていらっしゃるところを狙い、その腰にしがみついた。后はびっくりなさって、どうしようと思い迷い、汗びっしょりになって怖がられている。だが后の力では振り払うことができない。
「遂に心澆(あわ)て狂(くるい)て、人間(ひとま)を量(はかり)て、御帳(みちよう)の内に入て、后の臥(ふさ)せ給へる御腰に抱付(いだきつき)ぬ。后驚き迷(まどい)て、汗水(あせみず)に成て恐(お)ぢ給ふと云へども、后の力に辞(いな)び難得(えがた)し」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.152」岩波文庫)
聖人は全力で后を捕まえて離さずとうとう凌辱してしまった。側仕えの女房らはその光景を見て慌てふためきその場は騒然となった。一方、宮中には后の治療に当たるため、「当麻(たいま)の鴨継(かもつぐ)」という侍医(じい)がいた。女房らが突然騒ぎ立て出した叫び声を聞きつけて后の宮に駆けつけると、御帳の中から聖人が出てきた。鴨継は聖人を捕まえ、天皇に事情を説明するに及んだ。
「聖人力を尽して凌(りよう)じ奉(たてまつ)るに、女房達(にようぼうたち)此(こ)れを見て騒(さわぎ)てののしる時に、侍医(じい)当麻(たいま)の鴨継(かもつぐ)と云ふ者有り。宣旨を奉(うけたまわり)て、后の御病(やまい)を療(りよう)ぜむが為に、宮の内に候(さぶらい)けるが、殿上の方に、俄(にわかに)騒ぎののしる音(こえ)しければ、鴨継驚(おどろき)て走入(はしりいり)たるに、御帳の内より此聖人出たり。鴨継、聖人を捕へて、天皇に此由(このよし)を奏(そう)す」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.152~153」岩波文庫)
天皇は激怒し、聖人は獄に繋がれた。ところが聖人は獄に縛り付けられても何一つ言わない。それどころか天を仰ぎ涙ながらに宣誓する。「私はここで速やかに死んで鬼となり、后が生きておられるうちにこの世に再び出現し、必ず后とこれ以上ないほど親密な仲になりましょうぞ。それこそ本懐というもの」。
「我忽(たちまち)に死(しに)て鬼と成て、此(この)后の世に在(まし)まさむ時に、本意の如く后に睦(むつ)びむ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.153」岩波文庫)
警護の者がそれを聞き、その内容を良房に告げた。良房はたまげて天皇に説明して差し上げた。何が起こるかわからない。そこで聖人を免(ゆる)して獄から解き放ち、元いた金剛山へ戻ってもらうことになった。聖人は金剛山へ帰って行った。聖人は山へ返りはしたが、一度燃え上がった愛欲の焔はますます燃え盛るばかり。どうにかして后に近づくことはできないか。いろいろ考えてみるものの、現実的に、京の宮中へ入ることはもはや土台無理とわかっている。この世で不可能なことはあの世ではもっと不可能。それなら第三の方法はないものか。ある。一度本当に死んで鬼となり、再び蘇るという宣誓通りの方法が。聖人はただちに断食に入った。
十数日後、聖人は餓死した。死ぬや否や立ちどころに鬼となって再出現した。以下しばらく鬼に変じた聖人の姿形が描かれる。何かとんでもなくおどろおどろしい「物の怪」のように思えはするが、よく耳にする昔話に出てくる鬼とほとんど同じ。「裸・ざんばら髪・身長2メートル半ば・黒漆を塗り付けたようなすべすべした黒色の肌・金属製の椀のような眼球・口が大きく開いている・剣(つるぎ)のような歯・上下に牙が伸び出ている・赤い褌(ふんどし)姿・打出(うちで)の小槌(こづち)を腰に差している」。それが突如、いつも后がいらっしゃる几帳のすぐそばに立ち現れた。
「物を不食(くわ)ざりければ、十余日を経て、餓(う)へ死にけり。其後忽(たちまち)に鬼と成ぬ。其(その)形、身(み)裸(はだか)にして、頭(かしら)は禿(かぶろ)也。長(た)け八尺許(ばかり)にして、膚(はだえ)の黒き事漆(うるし)を塗れるが如し。目は鋎(かなまり)を入(いれ)たるが如くして、口広く開(ひらき)て、剣(つるぎ)の如くなる歯生(おい)たり。上下に牙を食ひ出したり。赤き裕衣(とうさぎ)を掻(かき)て、槌(つち)を腰に差したり。此鬼俄(にわか)に后の御(おわし)ます御几帳(みきちよう)の喬(そば)に立たり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.153~154」岩波文庫)
虚を突かれた人々は皆、言葉を失い、失神し、気絶し、あるいは衣を被って臥し隠れた。聖人はもはや鬼と化している。后に近づき、あれよという間もなく正気を失わせてしまった。すると后は綺麗に身づくろいし始め、満面の笑みを浮かべて扇で顔を隠しつつ恥じらいの仕草を見せ、御帳の中へお入りになり鬼と二人で横になってしまわれている。
「此の鬼魂(おにのたましい)、后を怳(ほ)らし狂はし奉(たてまつり)ければ、后糸吉(いとよ)く取り䟽(つくろ)ひ給て、打ち咲(えみ)て、扇(おおぎ)を差隠(さしかく)して、御帳(みちよう)の内に入り給て、鬼と二人臥(ふ)させ給ひにけり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.154」岩波文庫)
女房らが耳を澄ませて聞いていると、鬼は、ただひたすら会いたくてたまらなかったという。后はそれを聞いてうれしそうな笑みを浮かべつつ受け止めていらっしゃる。しばらくして日暮れになった頃、鬼はようやく御帳から出て去った。女房らが后のもとに駆けつけると后は一体なにごとがあったのかという気色さえ見せず、いつものところにいらっしゃるばかり。ただ、少しだけ怖そうな目つきになっていた。事情を聞かされた天皇は、この先、后がどうなってしまうのかと心配でたまらない。それから鬼は毎日欠かさずやって来るようになった。そしてまた后の側もそのたびに正気を失いこの鬼を愛しくてたまらない者と思い込んで疑っておられぬ様子。
「其後、此鬼毎日(ひごと)に同じ様にて参るに、后亦(また)心肝(き)も失せ不給(たまわ)ずして、移(うつ)し心も無く、只此鬼を媚(うつくし)き者(ものと)思食(おぼしめし)たりけり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.155」岩波文庫)
一方、鬼は自分を獄に繋がせた当麻鴨継(たいまのかもつぐ)の所業を忘れてはおらず、人の口を借りて「必ず怨念をはらしてやる」と言った。それを聞かされた鴨継は急死した。同時に鴨継には三、四人の男子があったのだが、彼らはすべて頭がおかしくなりばたばたと狂死してしまった。
「而る間、此鬼、人に託(つき)て云く、『我必ず彼(か)の鴨継が怨(あた)を可報(むくゆべ)し』と。鴨継此(これ)を聞て、心に恐(お)ぢ怖(おそる)る間、其後幾(いくばく)の程を不経(へ)ずして、鴨継俄(にわか)に死にけり。亦(また)、鴨継が男三、四人有けり。皆狂病(おうびよう)有て死けり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.155」岩波文庫)
天皇と良房は極度とも言える恐れを抱き、ありとあらゆる名僧・高僧を呼び集め、物の怪退散の加持祈祷を念入りに行わせた。その効き目があったのか、三ヶ月ほどの間、鬼は一向に姿を見せなくなった。そのうち后の容態ももとに戻ってきたようで、天皇は后の宮に赴かれることとなった。大臣や公卿からすべての百官揃ってお見舞い申し上げていたその当日。そして天皇が后を見舞われているまさしくその時、消え失せたはずの鬼が宮の部屋の隅からにわかに躍り出てきた。すぐに御帳の中へ侵入する。「何と奇怪な」と天皇の目に映るや否や后は例のごとく鬼に惑わされたかのような風情に成り変わり、鬼の後からいそいで御帳の中へ入ってしまわれた。
「而る程間(ほどのあいだ)、例の鬼俄(にわか)に角(すみより)躍出(おどりいで)て、御帳(みちよう)の内に入にけり。天皇此れを、『奇異(あさまし)』と御覧ずる程に、后(きさき)例(れいの)有様にて、御帳の内に怱(いそ)ぎ入給ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.156」岩波文庫)
しばらくすると鬼は「南面(みなみおもて)」=「建物正面」に躍り出た。
「暫許(しばしばかり)有て、鬼南面(みなみおもて)に躍出(おどりいで)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.156」岩波文庫)
大臣・公卿ら列席中のすべての高級官僚はこの鬼を見て、恐れ迷い言葉を失った。鬼に続いて后も出てらした。そしてみんなが見ている目の前で后は鬼と抱き合い、どこと言わず何と言わずすべてをあらわにして性行為に及んだ。それが済むと鬼は起き上がり、続いて后も起き上がられて、御帳の中へ再びお入りになった。
「大臣・公卿より始(はじめ)て百官(ひやつかん)皆現(あらわ)に此の鬼を見て、恐れ迷(まどい)て、『奇異(あさまし)』と思ふ程に、后又取次(とりつづ)きて出させ給て、諸(もろもろ)の人の見る前に、鬼と臥させ給て、艶(えもいわ)ず見苦(みぐるし)き事をぞ、憚(はばか)る所も無く為(せさ)せ給て、鬼起(おき)にければ、后も起て入らせ給ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第七・P.156」岩波文庫)
さて。この説話は何の理由もなく「今昔物語」に掲載されているわけではない。ただ単なるスキャンダルだけならもっとほかに幾らでもあっただろう。妖怪〔鬼・ものの怪〕が他人を呪い殺害するというエピソードは既に「源氏物語」に登場しており、宮廷内部でさえ種類によりけりとはいえ、突如として魔物が出現して去る場所になっていた。以前取り上げたように、早朝の議場では、血塗れの頸(くび)だけを残して姿形も見せず消え失せる事件などが起きてもいる。しかしこの説話で登場する聖人は、狐を引っ張り出した箇所で、世にも名高い「聖(ひじり)」だと書かれている。山岳地帯を主とする修行者である。他にも修行者が大量に呼び出されている。だがこの聖だけが特権的な位置を獲得した。諸商品の無限の系列の中で、ただ一つの商品が貨幣として出現するのと同様の事態がここでも見られる。
「一般的等価形態は価値一般の一つの形態である。だから、それはどの商品にでも付着することができる。他方、ある商品が一般的等価形態(形態3)にあるのは、ただ、それが他のすべての商品によって等価物として排除されるからであり、また排除されるかぎりでのことである。そして、この排除が最終的に一つの独自な商品種類に限定された瞬間から、はじめて商品世界の統一的な相対的価値形態は客観的な固定性と一般的な社会的妥当性とをかちえたのである。そこで、その現物形態に等価形態が社会的に合生する特殊な商品種類は、貨幣商品になる。言いかえれば、貨幣として機能する。商品世界のなかで一般的等価物の役割を演ずるということが、その商品の独自な社会的機能となり、したがってまたその商品の社会的独占となる。このような特権的な地位を、形態2ではリンネルの特殊的等価物の役を演じ形態3では自分たちの相対的価値を共通にリンネルで表現しているいろいろな商品のなかで、ある一定の商品が歴史的にかちとった。すなわち、金である」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第一章・P.130~131」国民文庫)
これはしかし、一つの排除であり、「鬼への排除」とでも呼べそうな排除の構造を示している。その条件として全員一致の承認という過程が含まれる。
「ただ社会的行為だけが、ある一定の商品を一般的等価物にすることができる。それだから、他のすべての商品の社会的行動が、ある一定の商品を除外して、この除外された商品で他の全商品が自分たちの価値を全面的に表わすのである。このことによって、この商品の現物形態は、社会的に認められた等価形態になる。一般的等価物であることは、社会的過程によって、この除外された商品の独自な社会的機能になる。こうして、この商品はーーー貨幣になるのである(「彼らは心をひとつにしている。そして、自分たちの力と権力とを獣に与える。この刻印のない者はみな、物を買うことも売ることもできないようにした。この刻印は、その獣の名、または、その名の数字のことである」『ヨハネの黙示録』)」(マルクス「資本論・第一部・第一篇・第二章・・P.159」国民文庫)
天皇や良房を始め、聖人の呪法について、一度は全員一致で認めたことを考慮しよう。鬼と出るか神と出るか、いずれなのか、その条件は説話の早い段階で既に整っている。そして第二に「狂気」の力が最大限引き出されている点。それがこの説話を「今昔物語」に書き残させる有力な条件として認められるだろう。大阪府と奈良県との県境を横切る金剛山はもともと修験道の聖地だった。そこで修行したいと望む者は古代から数えきれないほどいた。だから聖たちもまた一杯いた。聖は聖でも尊敬され崇め奉られる者がいる一方、ついうっかりタブーを犯してしまい、国ごと危機に陥れてしまう今の日本政府の高級官僚のような輩もいたわけで、誰がどうとか、そう簡単に区別できるものではない。また、愛欲という言葉に込められた意味に関し、説話は近代日本よりも早い時点で生殖のためにのみあるものではない、と高らかに前提している点は注目に値する。ニーチェはいう。
「生殖は、性欲の《或る》種の満足の、一つの往々生じる偶然的な帰結であって、性欲の意図では《ない》のだ、性欲の必然的な結果ではないのだ。性欲は生殖とはいかなる必然的な関係をももってはいない。たまたま性欲によってあの成果がいっしょに達成されるのだ、栄養が食欲によってそうされるように」(ニーチェ「生成の無垢・上巻・八九六・P.491」ちくま学芸文庫)
フロイトもまた。
「たいていの人にとって、『意識的』ということは『心的』ということと同じなのですが、われわれは『心的』という概念を広げようと企てて、意識的でない心的なものを承認する必要に迫られたのでした。これとまったく類似していることですが、他の人たちは『性的』と『生殖機能に属している』ーーーあるいはもっと簡単に言おうと思うなら『性器的』ーーーとを同一視していますが、われわれは、『性器的』でない、すなわち生殖とはなんの関係もない『性的』なものを承認せざるをえないのです」(フロイト「精神分析入門・下・P.9」新潮文庫)
そのような人間という生き物に特有の狂気とは何か。聖人の変化を見てみよう。第一に「貴き聖人」から「凡人」への転化。高貴な身分の女性の夏の衣裳は中が透けて見えるほど大変薄く、こまやかで柔らかく仕立て上げられた単衣が通例だった。聖人がそもそも持っており、それまで修行へばかり向けられていた力の全量〔リビドー備給〕は、夏の衣裳を身にまとった后へと方向転換した。一塵の風によって開かれた隙間が、后の夏服を見た聖人を凡人へ転化させたのである。第二に「凡人」から「鬼」への転化。しかし力の全量〔リビドー備給〕には何らの変化もない。そのためには一度「死ぬ」ことが前提となっている。実際に死んだ。だからそれまでの身体はもう捨てられており、聖人だった頃の身体には未練一つ残っていない。ただ、アルトーのいう「器官なき身体」=「或る種の強度」とその移動だけがばくばくと蠕動している。それは原則的に誰の目にも見えない。見える時は見せている時であって、鬼の場合、先に引用した通りの姿形を取って演じられるほかない。そして鬼と化して消え失せた元聖人は黄金に光り輝く力の全量〔リビドー備給〕を衆人環視の中で見せつけた後、それ以前はどのような経緯ゆえにそうなったのか、さっぱり忘れさせてしまう効果を発揮して去る。貨幣のように。
さらに「鬼への排除」とはどういう事情を伴うかについて。「排除」と「否定」との違いについてフロイトはいう。
「患者の内界に抑圧された感覚が《外界》に投影される、という言い方は正しくない。むしろわれわれは、内界で否定されたものが《外界から》再び戻ってくると考えるべきである」(フロイト「シュレーバー症例」『フロイト著作集9・P.338』人文書院)
聖人は后へ向かう愛欲を抱いた瞬間、力の全量〔リビドー備給〕はその質を置き換えた。そして排除されるとともに、それが社会的外部への排除である限りで、いつもは外部へ排除・追放されたままあちこちをさまよっている物どもの力の全量〔リビドー備給〕を一身に引き受けつつ「《外界から》再び戻ってくる」という経過を経る。そこで始めて聖人の力の全量〔リビドー備給〕は「鬼魂(おにのたましい)」として加工され、ただ単なる「鬼」から「鬼’」として還流する。この過程は、説話にあるように、強迫神経症的に何度も繰り返される。
「無意識のうちには、欲動活動から発する《反復強迫》の支配が認められる。これはおそらく諸欲動それ自身のもっとも奥深い性質に依存するものであって、快不快原則を超越してしまうほどに強いもので心的生活の若干の面に魔力的な性格を与えるものであるし、また、幼児の諸行為のうちにはまだきわめて明瞭に現われており、神経症患者の精神分析過程の一段階を支配している。そこで、われわれとしては、以上一切の推論からして、まさにこの内的反復強迫を思い出させうるものこそ無気味なものとして感ぜられると見ていいように思う」(フロイト「無気味なもの」『フロイト著作集3・P.344』人文書院)
そしてまた、ただ単なる「鬼」から「鬼’」としての還流は、その間に一体何が起こったのか、すべて消えてしまっていて見えないという動きを取る。
「資本の現実の運動では、復帰は流通過程の一契機である。まず貨幣が生産手段に転化させられる。生産過程はそれを商品に転化させる。商品の販売によってそれは貨幣に再転化させられ、この形態で、資本を最初に貨幣形態で前貸しした資本家の手に帰ってくる。ところが、利子生み資本の場合には、復帰も譲渡も、ただ資本の所有者と第二の人とのあいだの法律上の取引の結果でしかない。われわれに見えるのは、ただ譲渡と返済だけである。その間に起きたことは、すべて消えてしまっている」(マルクス「資本論・第三部・第五篇・第二十一章・P.63」国民文庫)
なお、人々の心境をいとも簡単に誘惑し搦め取ってしまう威力について。それがごく普通の人々にはわけのわからない呪術とやらに映って見えているばかりなのだ。妖魔などいないにもかかわらず。むしろそこにあるのは或る一定の力とその移動である。しかし聖人を鬼に変えた力はその「過剰=逸脱」であり、古代ギリシアでは古くから知られていて、なおかつヨーロッパではフランスのジュネ文学、あるいはロシアのドストエフスキー文学、さらには日本の漱石作品に至るまで幅広く見られるありふれた傾向の類種だと言える。
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