白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

熊楠による熊野案内/妖術法師の上下関係

2021年04月15日 | 日記・エッセイ・コラム
前回同様、粘菌特有の変態性、さらに貨幣特有の変態性とを参照。続き。

或る時、京で「外術(げずつ)」=「仏法以外の外道の術」を好んで生業にしている下賤の法師がいた。例えば、履いている下駄や草履をさっと子犬に変えて這わせてみたり、懐(ふところ)から狐を取り出して鳴かせてみたり、あるいは馬や牛の尻から中に入って口から出てきて見せたり、という芸を披露していた。

「履(はき)たる足駄(あしだ)・尻切(しりきれ)などを急(き)と犬の子などに成して這(はわ)せ、又懐(ふところ)より狐を鳴(なか)せて出し、又馬・牛の立(たて)る尻より入て、口より出(いず)など為(す)る事をぞしける」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.157」岩波文庫)

数年ほど続けていたが、隣に住んでいる若い男性はそれを見て大変うらやましく思うようになった。とうとう法師の家に行き、この術を習いたいと熱心に頼み込んだがすぐに教えてくれすはずもない。そこで折り入って習いたいと重ね重ね頼み込んでみた。すると法師はいう。「もし本当に習いたい気持ちがあるのなら、けっして他人に知られないよう厳格に七日間、精進潔斎して身を浄め、新しい桶に「交飯(かしきがて)」(まぜご飯)をきれいに用意し、その桶を自ら持って貴いお方のところへ赴き、そこでこの術を習うべし。私にできることはそれだけのこと。要するにそなたをそこへ案内するばかり」。そう聞いた隣りの若い男性は教えられた通り、精進し始め、注連縄(しめなわ)を張って誰にも会わず七日間家に籠って身を浄めることに励んだ。そして新しい桶を用意して交飯(かしきがて)を桶の中にきれいに詰めた。

その間、法師は家にやって来ていう。「そなた、本当に習いたいと心底から願っているのなら、けっして腰に刀を持つことのないよう気を付けなさい」。何度も繰り返しそう戒めた。

「汝(なん)ぢ実(まこと)に此事を習取(ならいと)らむと思ふ志(こころざし)有らば、努々(ゆめゆめ)腰に刀を持つ事無(なか)れ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.158」岩波文庫)

若い男性は思う。刀を腰に差さないなんて簡単なこと。外していればよいだけの話。修行のためならもっと厳しい決まり事があったとて守るというのに。「なぜ刀のことばかりこんなに何度も繰り返し気を付けるよう言うのか。腑に落ちない。もし刀を持たずに赴いて、まさかとは思うが妙なことに遭遇でもしたらそれこそ無益というべきだろう」。

「刀不差(ささ)ざらむ事は安き事にては有ども、此の法師の此(か)く云ふ、極(きわめ)て怪し。若(も)し刀を不差(ささず)して、怪しき事有らば、益無(やくな)かるべし」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.158~159」岩波文庫)

と考えてこっそり短刀を用意して繰り返し刃を研いでおくことにした。そのうち、明日になれば精進はもう七日に満ちるという日の夕方、法師が家にやって来た。そしていう。「けっして他人に見られないよう、交飯の桶を自分で持ち、出かけるべし。さらに言っておくが、決して刀は身に付けないように」。

「努々(ゆめゆめ)人に不知(しら)せで、彼(かの)交飯(かしきがて)の桶を、汝ぢ自(みずから)持て、可出立(いでたつべ)き也。尚々(なおなお)刀持つ事無かれ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.159」岩波文庫)

ようやく午前零時頃。法師は男性を連れて二人きりで家を出た。男性は気になっていたので短刀をこっそり懐に忍び隠しておいた。辺りはまだ真っ暗。法師は先に立ってどことも知れぬ山の中を踏み分けて行く。歩き続けて既に午前十時頃にもなったろうか、遥々歩いて来たものだと思っていると、山の中に、理想的に建造された僧坊が見えた。法師は低く仕立てられた小柴垣(こしばがき)のそばにひざまずき、僧坊の中に聞こえるように咳払いをして来訪を知らせた。すると、ふすまを引き開けて誰か出てきた。ずいぶん老いて睫毛が長く、大変身分の高い僧のようだ。法師に来訪の要件を尋ねてやり取りしている。法師は事情を説明し、若い男性を連れてきた主旨を述べた。すると小柴垣のそばで待っていた若い男性に向かって僧坊の主人が問うた。「そなた、まさか刀を持っておるまいな」。

「此尊(このみこと)は若(も)し刀や差(さし)たる」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.160」岩波文庫)

若い男性はそのようなことはまったくないと答えた。僧房の主人の様相を窺っていると、胸の内に暗雲が垂れ込めてくるような不気味さを漂わせている。主人は僧房から若い僧を呼び出し、縁側に立って、来訪した若い男性を指していう。「刀を持っていないかどうか、こやつの懐を捜(さぐ)ってみよ」。

「其男の懐(ふところ)に刀(かたな)差たると捜(さぐ)れ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.160」岩波文庫)

命じられた若い僧は懐を捜りに近づいてきた。男性は思う。「おれの懐には短刀が入れてある。きっと捜り出すだろう。そうなればよいことなどあるはずがない。たちまち殺されるに違いない。どのみち死ぬのならこの老僧にしがみ付いて死んでやろう」。若い僧がすぐそばまで来た。その時、ひそかに懐から短刀を抜き放ち、縁側に立っている老僧に飛びかかった。と同時に老僧の姿はぱっと消え失せた。

「若(わかき)僧寄来(よりきたり)て、男の懐を捜(さぐら)むと為(す)るに、男の思はく、『我が懐に刀有(あり)。定(さだめ)て捜出(さぐりいで)なむとす。其後は我(わ)れ吉(よ)き事不有(あら)じ。然れば、我が身忽(たちまち)に徒(いたずら)に成なむず。同(おなじ)死にを、此老僧に取付(とりつき)て死なむ』と思(おもい)て、若き僧の既に来る時に、蜜(ひそか)に懐なる刀を抜(ぬき)て儲(もうけ)て、延(えん)に立たつ老僧に飛び懸(かか)る時に、老僧急(き)と失(うせ)ぬ」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.160」岩波文庫)

同じく、僧房も消えてしまって見当たらない。不審に思って周囲を見渡してみる。どこか知らないけれども何か大きなお堂の中らしい。

「其の時に見れば、坊も不見(みえ)ず。奇異(あさまし)く思(おもい)て見廻(みめぐら)せば、何(いず)くとも不思(おぼえ)ず大(おお)きなる堂の内に有り」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.160」岩波文庫)

先に立って男性を連れてきた法師はとても悔しがりながら、人のことをすっかり無駄にしてしまった奴だ、と泣きじゃくって延々と抗議している。男性はこれ以上言うこともない。遥々歩いてきたものだと思っていたわけだが、しっかり周囲の様子を見渡してみると、何とそこは山の奥深くでもなんでもなく、京中の一条通と西洞院通との交差点付近にある大峰寺。

「導(みちびき)たる法師手を打(うち)て云(いわく)、『永く人(ひとを)徒(いたずら)に成(なし)つる主かな』とて、泣き逆(さか)ふ事無限(かぎりな)し。男更に陳(の)ぶる方無し。吉(よ)く見廻(みめぐらせ)ば、『遥(はるか)に来(きたり)ぬ』と思ひつれども、早う一条と西の洞院(とういん)とに有る大峰(おおみね)と云寺に来たる也けり」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.160~161」岩波文庫)

この、「一条と西の洞院(とういん)とに有る大峰(おおみね)と云寺」は、今の京都市上京区西洞院通と一条通との交差点をやや北へ入った大峰図子町(おおみねずしちょう)付近にあった大峰寺を指す。

また陽成院(やうぜいいん)亡き後、南北を走る西洞院通と東西を走る一条通から二条通の間に位置する大峰図子町(おおみねずしちょう)に隣接する小川町辺りは急速に荒廃し始めており、浮草や菖蒲が生い茂る湿度の高い薄暗い土地へ舞い戻っていた。そんな或る日、手入れもされず放置されるがままに取り残されていた池から年老いた翁姿の「水精(みづのたま)」が出現し、衰弱しきった様子でかつての棲家の現状について切々と語って聞かせるエピソードが、「巻第二十七・第五話・冷泉院水精(れいぜんゐんのみづのたま)、成人形被捕語(ひとのかたちとなりてとらへらるること)」に見える。

「陽成院(やうぜいのゐん)ノ御(おはし)マシケル所ハ、二条ヨリハ北、西ノ洞院(とうゐん)ヨリハ西、大炊(おほひ)ノ御門(みかど)ヨリハ南、油ノ小路ヨリハ東、二町(ふたまち)ニナム住(すま)セ給ケル」(新日本古典文学体系「今昔物語集5・巻第二十七・第五・P.98」岩波書店)

たいへんわかりにくい書き方なので今の住所に変換するとほぼこうなる。

京都市中京区夷川通(えびすがわどおり)小川東入東夷川通付近。北側に児童公園がある。

事情がさっぱりわからない男性はそのまま自宅に帰った。法師は泣く泣く家に帰り、二、三日ほど生きていたが突然死してしまった。天狗でも祀っていたのだろうか。詳細は不明。

「男我れにも非(あら)ぬ心地(ここち)して家に返(かえり)ぬ。法師は泣々(なくな)く家に返(かえり)て、二、三日許(ばかり)有て俄(にわか)に死にけり。天狗を祭(まつり)たるにや有けむ、委(くわし)く其の故(ゆえ)を不知(しら)ず」(「今昔物語集・本朝部(中)・巻第二十・第九・P.161」岩波文庫)

さて。自在に変化することができるという点で法師は貨幣に似ている。ただし、諸商品の無限の系列からの排除として見た場合、上にではなく下に、である。下賤の法師という社会的位置付けがまず先に既定事実として描かれている。一方、どことも知れぬ山中に立派な僧房と若い僧などを出現させ、身に危険が及ぶや消え失せた老主人は上に排除された貨幣に等しい位置を占めている。そこでは妖術と引き換えに持ち運ばれてきた「新品の桶・桶一杯の交飯」との交換条件が前提されていた。だからもし刀が出てこなかったとすれば、一方から「新品の桶・桶一杯の交飯」が差し出され、もう一方から「妖術習得法」が与えられていたことになる。ただ、この交換が等価交換かどうかはまだわからない。一方の或るものともう一方の別のものとが互いに等置されて始めて、そこに等価性が出現するからである。

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