「僕」が大家の部屋の中を見て驚くシーンがある。
「半世紀ぐらい前のパンクバンドのギグのポスターや写真もありました。上唇の片側をきゅっと持ち上げて、全世界を憎悪しているような目つきでこちらを凝視しているジョニー・ロットンのポートレートもあります。壁の上部に、赤いプラスチックの額に入れて『時計じかけのオレンジ』のワンシーンをイラストにしたポスターが飾られていました。主人公のアレックスが不良グループの仲間たちと横一列に並び、白づくめの格好で下半身を強調するオムツのようなものを着用して、ストリートを練り歩いているシーンです。アレックスは両手で黒いステッキの両端を握り、ゆらりと上半身を前かがみにし、下から睨むような姿勢でこちらを見ています。僕は一瞬、説明のつかない感情に襲われました。違和感と呼べば弱すぎ、恐怖感と言えば大袈裟ですが、ネガティブな感情であるのは間違いないと思いました。困惑、が一番ふさわしい言葉かもしれません。『時計じかけのオレンジ』のアレックスと三人の仲間たちは、このシーンの後で他人の家に押し入って悪行の限りを尽くすのです。夫の前で妻をレイプする陰惨なシーンもあったように記憶しています。そんな非人道的な暴力を、アイコン化してポスターにしていいのでしょうか」(ブレイディみかこ「世界は誤訳でまわってる(3)」『群像・10・P.235~236』講談社 二〇二四年)
日本でもずいぶん昔に流行ったことはある。そしてこの種の流行は何十年かに一度は繰り返されてきたことも、今の五十代以上の人間なら知っているに違いない。大家の説明を聞いた「僕」は拍子抜けする。
「『ネットオークションとかで、べらぼうな値段がついてて、びっくりしたポスターが何枚もあるんだ。物は捨てずに取っとくもんだぞ、サン。知らないうちにレアものになってたりして、年を取ったら資産になってる』」(ブレイディみかこ「世界は誤訳でまわってる(3)」『群像・10・P.242』講談社 二〇二四年)
さて、八月号でのマックスの言動を思い出そう。スーパーマーケットのキャシュマシーンがシステムエラーを起こした際、マックスを先頭に何人かの人々が列をなして「この銀行は本当はもう破綻している」と言い出し、その危機感とも戦慄ともつかぬ緊張に漲った空気が一気に周囲に広がった。しばらくして誰かが発したただ単なるシステムエラーなんじゃないかというひと言がぽつりと転がり出た途端、なんだそう言われればそうかも知れないというふうに潮が引くように興奮は醒めていった。
しかしなぜマックスはそんな精神状態に陥っていたのか。いや実は今なお陥っているのだが。
「マックスが巨額の税金を滞納しているのは、最初から金融ハルマゲドンを信じていたからではなく、娘の学費を払うためだったのではないか。僕はそのとき直感的にそう思ったのです。だとすれば、金融システムが破綻して世の中がぐちゃぐちゃになれば、マックスが抱える金銭問題は一気に解決します。金融破綻で世の中からお金がなくなる、という陰謀論は、世の中からお金がなくなればいいという彼の願望と一致しているのかもしれません」(ブレイディみかこ「世界は誤訳でまわってる(4)」『群像・2・P.198』講談社 二〇二五年)
キャッシュマシーンがシステムエラーを起こした際、「僕」の目に、マックスら何人かは困っているというより逆にどこか喜んでいるように見えていた。しかしマックスの考えを敷衍してみるとかなりおかしい。「僕」はこう考える。
「金融ハルマゲドンや世の中の終わりを信じている人が、子どもをいい学校に行かせたいというのは筋が通らない話です。だって、現在のシステムが崩壊するなら、そのシステムの中で成功できるよう子どもをエリートにしたいとは、ふつう思わないのではないでしょうか」(ブレイディみかこ「世界は誤訳でまわってる(4)」『群像・2・P.199』講談社 二〇二五年)
さらに。「僕」のガールフレンド、ダニエラが熱中している書籍の件。人間の苦の根源はその身体であるがゆえ身体が感じ取るすべての苦痛を脳に伝達する回路を全部遮断する医学的改革を推し進めようと呼びかける内容。
「著書では、人間の身体的痛みを感じなくするための薬品はふつうに使用しているのに、精神的痛みだけはそのまま放置していると書いていました。そして、将来的には薬理学や遺伝子工学などの力で、人間(と動物)の生活から不快な経験を廃絶することができるというわけです。けれども、僕はこれを読んだとき、なんだか形容しがたい恐ろしさを感じたのでした。彼の言う『不快な経験と、それを原因とする精神的苦しみの廃絶』は、不快な経験そのものをなくそうということではないからです。そうではなく、悲しいことや嫌なことがあっても、そう感じないように薬を使ったり、遺伝子をいじって特定の体験がネガティブな感情に結びつかないよう神経を操作する。それが人々を幸福にするというわけです」(ブレイディみかこ「世界は誤訳でまわってる(4)」『群像・2・P.202』講談社 二〇二五年)
そこでまたしても「僕」は疑問を抱く。
「人間を不快にさせる出来事が悪いのではなく、不快に感じる人間のほうが不完全なのだということになってしまう」と。
加害する側ではなく被害者側が受けた被害を感じないような「回路」を科学の力で作ってしまえば世界からどんな問題も嘘のように消えてなくなるという内容。ガールフレンドのダニエラもそのいわゆる「カルト」の一種にはまり込んでいて「僕」にその書籍を読め読めと勧めてくる。
読者にすればダニエラの信奉するロジックには記憶がある。世界から加害をなくすことはできない諦念。それなら被害者が被害を受けたという感覚を受け取れないように身体改造してしまえばいいというテクノロジーへのユートピア的妄想。しかしそれは戦争を終わらせるためには原爆投下が最も手っ取り早いという暴論へいとも容易に転倒してしまう。
またある時のこと。
「僕」はダニエラと二人でプラネタリウムに出かける。ダニエラは本物の夜の海よりプラネタリウムが映し上げる「フェイクの夜空」を見上げながらうっとりする。
欲望がテーマなのだろうか。しかしそれだけ言ってみたとしてもテーマとして大ざっぱすぎるように感じる。むしろ欲望に関わる諸問題のなかで抜き差しならない「誤訳」という問い。人間は、多くの場合、どうしてこうも自ら進んで「誤訳」したがるのだろうかと、これまで何度も繰り返し問い直されてきた問いにまたしても、今度はグローバルな次元で取り組まないわけにはいかなくなってきたということは確かだろうとおもう。
ちなみにマックスとピーターとアレックスは同じ一本の通りに面したそれぞれたった三軒の家の住民に過ぎない。それが「次は労働党だ、労働党しかない」とか「いやいや保守党だ、保守党しかない」とか、もし二十年ほど前ならただ単なる近所付き合いの中の素人政談に過ぎなかった話が、けれどもSNSの爆発的普及によって、世界の政治情勢を一夜にして決してしまうかのような熱を帯びてさらなる加速へ向かおうとしている。