白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ435

2025年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年一月七日(火)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

タマさん、ここんとこ朝が早いね。

 

ちょっと早いかも。

 

そのぶんお昼寝が充実してきたかな。

 

そうなんだ。ソファでお昼寝。いつも空いてる場所があってね、飼い主のお下がりのふわふわマフラーが乗っけてある。

 

空いてるってお前さん、それはタマが使うだろうと思ってわざわざ空けてあるの。マフラーの場所も移動したんだよ。

 

そうなの?飼い主も飼い主の妻も全然使わないスペースだからいらないのかなって。

 

いるんだ、タマの居場所はこのへんがいいかなあと思ってね。マフラーも一方の隅に寄せたのさ、なぜかもう一方はほとんど使わないみたいだから。

 

一方ってこっちの隅のエアコンの温風が当たるでしょ?こっちはね、ご飯食べた後に少し気分が大きくなってひとりでぐるぐる遊び回りたい時に使うことにしてるのさ。

 

確かにひとりでうれしそうにほたえてることがあるけど。あれって食後に気分が大きくなってるってこと?

 

ん、猫ってそうじゃないの?

 

あんまり聞かないよ、食後に気が大きくなる猫って話は。

 

じゃあタマ独特の性格だよ。飼い主が気にすることでもないと思う。

 

お前さんね、飼い主に向かって気を遣わなくていいって、ふつうの猫はそんなこと思わないと思うけど。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。タシ・ワダ。裂け目ひとつない世界なんてないと常々わかっていても、ではそれを知った時にどんなふうにわかったとわかるのか。不安定性や不確実性という言葉を様々に翻訳してみても語り尽くせない音と詩を聴きに行こう。

 


Blog21・「額」と居心地

2025年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

やっていた「保険の営業」を辞めて会社も辞めた「わたし」。今は何をしているかというとパスタ屋で「週に四回アルバイトをしている」。そこで「わたし」はこう思う。

 

「働く環境としてはのんびりしていて良いかもしれないが、前の会社にいたときのような毎日のハリはなく、日に日に自分の一日に出来ることが減っているような感覚がある。このままではだめになる。自分にとってなにが『だめ』なのかわからないけれど、とにかくここは仮の居場所であると思っていないといけないような気がする。なにより時給が低く、このままここで働き続けるイメージは湧かない。営業職の正社員を退職し、パスタ屋でアルバイトをしながら求職活動をしています。いまの自分の状況をそう俯瞰するとぞっとした。からだを壊したわけでも、人間関係でつらい思いをしていたわけでも、次の目標が決まったわけでもない。ただ(このままではいけない)という気持ちだけで、わたしは本当に会社を辞めてしまったのだ。はやくこのために辞めたのだと思えるような、なにか掴まっていられるようなものが欲しい」(くどうれいん「いくつもの窓」『群像・2・P.52』講談社 二〇二五年)

 

もっとも、営業していた頃、営業先で「わたし」を覚えてもらうために自己紹介を兼ねた「かっきーつうしん」というチラシを作って配っていた。「かっきーつうしん」の内容が充実してきて相手もそれを話題にしてくるようになると営業そのものよりもだんだん「かっきーつうしん」作りのほうが充実感をもたらしてくれるようになってくる。小説の前半は実際の日常生活でもしばしば見かけるそんな<転倒の光景>だ。

 

「もっと自分の人生を手にしなければならない」と思い転職を希望した「わたし」なのに、けれども今は引用した通りの心の風景の中に閉ざされてしまっていたことにはたと気づく。だから辞めなければ良かったということが言いたいわけではない。少なくとも小説というのはそういう「道徳」めいたことを説く場ではないと常々思っている。その種の「道徳」ならそれこそ幼稚園くらいの時から折りに触れて嫌というほど聞かされてきたに違いない。

 

個人的な話になるが二十年以上長期化し難治化しおそらく生涯治る見込みのない病気を患ってしまえば、後はもう絶望しか残されていないかというとそんなことはちっともない。しばらくするとそれなりに出来ることが見つかる。まったくの暗黒世界しか待ち受けていないということはおそらく文字通り「ノワール」小説のフィクションのなかにしか存在しないに違いないと思えてくる。

 

そんなわけで小説後半は退社後、どんな再就職先を考えているのかはわからないにせよ、絵画に用いる「額」を購入して自宅の廊下に飾ってみるまでが描かれる。仕事を辞めたら世界が<転倒>したという気持ちの強い「わたし」が<再転倒>して新しい職場で動き始めるかどうかは未定だが、ともかくちょっとばかり重厚感のある「額」に収まる姿が鏡像としてしっくり来そうで来ない空虚を眺めやる日々を送ることになる。

 

重厚感のある額へぴったり収まるとすれば前より充実感のある会社への就職決定ということになるのだろう。しかし画材店で見つけた「額」は「織姫」と「彦星」とがセットになっている。とすれば就職ではなく結婚を考える人々も少なからずいるように思われる。あるいは結婚も就職も、さらにはひとりで新会社を立ち上げるつもりの人々もいるわけであって、また「わたし」が求めた重厚感のある「額」だけでなく画材店にはもっと小さなこじんまりとしたものもある。どれを選んでも構わない。けれども「額」がどのような種類であれ「わたし」にとって「額」が職業の隠喩になっているのだろうとは思える。そんな気持ちに気づいたのはいつからだろうか。ひとつの会社を辞めた頃からだ。

 

きっちりした枠組みを外れると途端に不安定になる人はこの世に多い。一方、ある種の枠組みから外れてみてしばらくすると今度はフリーの心地よさに気づく場合もある。ところが昨今のフリーはたいへん厳しい。フリーになって失敗だったと悔いながら生涯を終えることになるかもしれない。とはいえ「空虚な額」とは何だろう。そこそこの待遇を得られるそこそこの会社の「正社員」という「額」は果たして「空虚」でないと本当に言えるだろうか。もしその中にぴたりと収まり違和感ひとつないような人間だったら「わたし」はまたしても辞めてしまうのではないか。そう思った。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1029

2025年01月07日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「artov chain」

出だしからやや不穏なメロディが繰り返される。しかしそれも1:03あたりからリズムの崩壊とともに徐々に崩れていく。猫好みのゴロゴロ音グルルル音は継続的に鳴り続ける。ところが金属加工音も3:01以降は不定期的に挿入されるがほとんどなり最終的に消える。その間、猫は何をしていたかというと窓枠に座ってひたすら外の景色を眺めていた。