白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ430

2025年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年一月二日(木)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

今日の飼い主のブログ、お昼過ぎまでひとつも動かなかったね。

 

そういうこともあるさ。プロバイダーが大手だから狙いやすい。大手プロバイダーは世界的にかなり恨み買ってるから狙われやすい。

 

でもリハビリは毎日つづくわけだから困るよね。

 

大いに困る。けどこれがもしストだったら飼い主は支持するとおもうよ。タマは生まれる前だから知らないだろうけど昔はストなんて当たり前にあった。低所得者層だけじゃなく今は消滅しちゃったみたいだけど中間層ってのがあってね、そんな中間層も含めてストにシンパシーを持つ人々は少なくなかったのさ。そうでもしないと実質賃金なんて下がっていく一方でひとつも上がらない。

 

そういうものなの?

 

常識以前だね。今はもう巨大労使一体路線がほとんど主流になってて一般の労働者はやっていけない状態が加速するばかり。インフレ圧力といってもありとあらゆる要素が絡み合って連動してるグローバルな時代だから主要因を取り出してデマンド・プル・インフレとかコスト・プル・インフレとか簡単に言える時代じゃないのさ。物価高の解決策なんて全然見えない。わかりきった話。

 

わからなくなってきた。けど何とかならないの?

 

だから中小零細個人事業者の場合なら例えば横の繋がり、横断的な産業別組合を新しく組み直して上からの圧力を分散させてしまうとか。それだと大企業も一極集中型のひとり勝ちはなかなか出来ないし新自由主義の猛威から労働者の創造=運動を多少は改善することも可能ではある。子どもを作るにせよ作らないにせよ余裕がもてる。今のままじゃ余計わるくなる。

 

むむむ。なんのことやらタマにはさっぱり。

 

猫の手を借りても間に合いそうにないほど日本社会は戦後ができてなかったってことかもね。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。タシ・ワダ。裂け目ひとつない世界なんてないと常々わかっていても、ではそれを知った時にどんなふうにわかったとわかるのか。不安定性や不確実性という言葉を様々に翻訳してみても語り尽くせない音と詩を聴きに行こう。


Blog21・ゴダール/映画と植民地主義

2025年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム

パレスチナやウクライナ関連報道を見ながら思い出した。ベトナム戦争。

 

上尾真道「崇高な夢」『ユリイカ臨時増刊ジャン=リュック・ゴダール・P.534~541』青土社 二〇二三年)

 

ゴダールについて語りながら植民地主義についてゴダールが語っていたことを想起させている。

 

「私は街頭ではいつも、自分が植民地主義者であるかのようなーーー自分が、かつてブラック・アフリカで撮影されたヨーロッパやアメリカの映画と同じような映画を撮っているかのような感じを抱いていました」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.52~53」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

ラカンが言っていたことだがあらかじめ整理整頓され方向づけられた上で<欲望されている(ことになっている)>「眼差し」を放棄すること。

 

「たしかに画家は目の糧としてなにものかをもたらしますが、画家は絵の前にいる人にその眼差しを放棄するように、武器を棄てるというような意味で放棄するように、促すのです」(ラカン「精神分析の四基本概念・P.133」岩波書店 二〇〇〇年)

 

そうでなくては映画を見るといっても、いつも念頭に置いているような仕方に沿ってだけ、ただ単にストーリーを追いかけて終わってしまう。一方ゴダールはこういう。

 

「なぜなら、『彼女について私が知っている二、三の事柄』は、ある時期の大地の再開発をあつかった映画だからです。それがーーーパリ圏の再開発が、この映画の主題なのです。パリ圏ではある時期、再開発がなされることが決定され、十五年ないし二十年前にロサンジェルスでなされたのと同様に、高速道路とかそのインターチェンジとかが建設されたのですが、それを映画でとりあげようとしたのです。だからこの問題はまた、コミュニケーション〔あるいは『交通』〕の問題です。大地を、ついで資本主義を揺り動かす、根の問題です。事実、資本主義というのは大地を所有するということです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.531~532」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

「資本主義というのは大地を所有するということ」

 

またそれはすぐさま「売春」についての言及へ接続される。

 

「この映画〔『彼女についてーーー』〕では人間の肉体は、売春というものを通して、売るべき、あるいは売ることのできる領土とみなされています。またここでは、売春はしばしば、女が自分の領土の一部分を外国人に売ったり、一時的に外国人に占領されるのを受け入れたりすることとして語られています」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.533」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

さてそこで、ローリング・ストーンズの制作過程を追った映画「ワン・プラス・ワン」についてゴダールはこんなふうに言っている。

 

「一方にワンが、ローリング・ストーンズがいて、もう一方にそれと向きあって私がいたわけです。だからワン・プラス・ワンになったわけです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.604」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

予定調和的で意図的な総合を行うことはない。並置でも「対置」でも構わないとおもうがゴダールはともかくこう述べる。

 

「私は、推論のなかでいつももち出される、《すべてか無か》とか《あれかこれか》とか《二つのものからなるひとつのもの》とかといった考え方に対して、まさに《ひとつのものではなく、二つのもの》という考え方を対置したわけです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.624」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

ゴダールは「ひとつのものではなく、二つのもの」を提示しつつ「第三のものをつくる」。それは「裁判でなされているのとまさに同じことをする」ことだという。

 

「私が好きなのは、二つの映像を一緒にすることによって、第三のものをつくるということですーーー二つの映像からつくることのできる、映像ではないなにかをつくり出すということです。つまり、裁判でなされているのとまさに同じことをするということです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.668~669」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

けれどもそれは「判決」を下すということではない。「《あれかこれか》」ということでもない。単純素朴な神話的物語とその結果が映画であるわけはないのだ。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1024

2025年01月02日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「TBM2」

部屋に入って1:24分くらいまではお気に入りのぬいぐるみでひとり遊びしている。その後いそいそと階段の手すりの平らな箇所へ移動、置物のようにじっとしている。ぬいぐるみを暗がりの和室へ投げ込んでやると待っていたように追いかけていく。和室でぬいぐるみをぐるぐる回してやると面白がり飼い主の周りを回りながらぬいぐるみを追いかけつつジャンプを繰り返す。低音だからとか金属音だからとかの理由で反応している様子は見られない。6:44分の曲だが何度リピートしても同じ遊びを反復する。この時間帯でこの系統の音楽というセットなら猫にとっての遊び時間として認識しているようだ。