二〇二五年一月二十三日(木)。
早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。
飼い主さあ、毎日のようにNHK批判してるみたいだけど、じゃあなんで昨日一昨日と「バニラな毎日」って見てたの?
タマさん、いつどこで誰がどんな番組見てるとかってSNS時代には結構デリケートな話なんだよ。気軽に口にしちゃいけない。
でも何で原作者の出身校まで調べてたのさ。
おしゃべりだなあ。それは単純な話、大学や専門学校在学中にがらりと変わる人って少なくないって点がひとつ。もうひとつ上げるとしたら何がきっかけでどこがどんなふうに変わったかとかに関心があるんだ。飼い主自身がそうだった。それもかなり複雑な経緯で。にしてもお口にチャックとも言うから、タマさん。
お口にチャック?そんなこと、ご飯が食べれなくなってタマ生きていけなくなっちゃう。
ちなみにそれは「ボケとツッコミ」でいうところの「ボケ」かい?
どちらでもないよ。マジ。鯵じゃなくて。
マジって魚いるのかな?真鯵なら聞くけど。
話をすり換えようなんてひどいや飼い主。
わかったマジね。じゃあタマさん、「マジモノ」って知ってる?
マジモノ?「真面目な者ども」って感じ?
ははあ、そう思う?こんな話がある。
「『これらの蠱物(まじもの)を捉(とら)んは何の難き事にもあらじ』」(上田秋成「雨月物語・蛇性の淫・P.118」『日本古典文学体系 上田秋成集』岩波書店 一九五九年)
蠱惑の蠱だ、とっても可愛い猫さんを見つけて思わず拾ったって人が蠱惑的とか言ってるの見て覚えたんだけど、飼い主が引っ張り出してきた文章だと何だか意味が違ってそうな。
いや、そんなに違わない。この蠱物(まじもの)はね、人を惑わせる魔性のものという意味さ。たまたま熊野にやって来てた偉そうな和尚さんが登場して物の怪のような怨霊のような魔性のものを退治することなんて俺に任せとけって啖呵を切るシーン。
どうなったの?
出てきた魔性のものってのが途方もない大蛇でね、積雪みたいに真っ白に光り輝く頭部だけで部屋の入口一杯を占めていて真っ赤な舌をれろれろさせてる。それを見た和尚さんは気絶した倒れちゃった。結局地元熊野の道成寺の和尚さんが登場して女性に取り憑いていた1メートルくらいの蛇を鉄鉢の中に封じ込めてさらにもう一匹ね、多分親蛇の子かも知れないんだけど少し後からちょろちょろ出てきた30センチくらいの小蛇も鉄鉢の中に封じ込めてねんごろに弔い蛇塚(おろちづか)を作ってやって一件落着したらしい。年齢性別に関わらず執念深いものの代表とされてきた多様な性欲のことを蛇というひとつの象徴に結晶させたわけ。
タマわかった。今年の干支の蛇さんの話なんだ。またしても縁起物なんだね。
けど縁起物ってのは常に両義的な意味を持つって前に話したよね。
聞いたよ。
最近はさ、片方じゃなくて両前足上げてる招き猫売ってる。なんで?
タマにわかるわけないじゃん。
黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ドゥーチー。ヒップホップと言ってしまうのは簡単だろう。では困難なのか。そういうことでもまたない。あちこちでヒップホップを見かけるようになると今度はその初期から発展期の頃に何があったのかをともすれば忘れてしまっていることがある。アンビエントが当たり前のようにメジャー化するとそのモドキのほうが一般受けして広く流通するという転倒が起きるように。だからといって転倒してしまったものを再転倒させればいいというわけでもないと思わせてくれる。