白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ450

2025年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年一月二十二日(水)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

お昼はぽかぽか陽気だったねタマさん。

 

日向ぼっこしてたら随分寝過ぎた気がする。話は変わるけど飼い主がぽかぽか陽気っていうとなんだか貼るカイロのイメージがあるんだけど。

 

よほど冷える早朝とかに琵琶湖岸あたりへ出かける時は貼って行くよ。湖岸近くで風なんか吹いてくると気象予報で出てる温度よりひゅ~と冷える感じがする。けど言われてみれば陽気は陽気でも「ぽかぽか」だと貼るカイロのイメージは確かにある。炬燵とかね。

 

でしょ?じゃあタマが和室の陽だまりで日向ぼっこしてる時の陽気はどう言えばもうちょっと上手く伝わるのかな。

 

それ多分「ぽかぽか」と「ポカポカ」の違いかも知れない。漫画、アニメ、映画、ファッション雑誌とかへクリエイター的人材が大きく流出したここ二〇年ほどがあって「ポカポカ陽気」のほうが見るからに寒そうな大昔の和風文化/風流を圧倒して流通するようになった。ところが同時進行的に情報発信型のSNSの普及が大きいと思うんだけど「ぽかぽか」のあったかさも見直されてきた。あと気になるのは家電の広告なんだけど、どうも迷走してばかりで決め手を欠いてきたといういい加減なポピュリズムが事態をますます流動的にさせてしまったね。混み入ってるようだけど、それはさておき「ぽかぽか」のあったかさが見直されてきたのは良いとおもってる。

 

うん。「ぽかぽか」ってひらがなも書体によっては和むよね。タマ好きだな。声だとひらがなかカタカナかわかんないけど人間はどうやって聞き分けてるの?

 

室内や公園の日向は「ぽかぽか」で缶コーヒーやスープとかは「ポカポカ」かな。不思議なのはね、飲み物なら「ポカポカ」でそうめんは「つるつる」で出来立てのうどん・蕎麦や仲の良い恋人同士なら「あつあつ」なのはなんでなのか今なお区別がつかない。さらに飲み物でも缶ビールなら「キンキン」。タマさんわかるかい?

 

猫にわかるわけないじゃん。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。ドゥーチー。ヒップホップと言ってしまうのは簡単だろう。では困難なのか。そういうことでもまたない。あちこちでヒップホップを見かけるようになると今度はその初期から発展期の頃に何があったのかをともすれば忘れてしまっていることがある。アンビエントが当たり前のようにメジャー化するとそのモドキのほうが一般受けして広く流通するという転倒が起きるように。だからといって転倒してしまったものを再転倒させればいいというわけでもないと思わせてくれる。

 

 

 


Blog21・別の価値体系へ移動したグレーゴルと両者のあいだを往復しうる《境界人/貨幣/言語》としての妹グレーテ

2025年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

カフカ「変身」にこうある。

 

「働き疲れてぐったりとしたこの家庭の中で、ぎりぎりのところ以上にグレーゴルの面倒を見る時間はだれももちあわせているはずがなかった。家政はますます切りつめられて行く。女中にも結局は暇が出て、そのかわりに、頭のまわりに白い髪の毛をばさばささせた骨ばった大女が朝晩やってきて、いちばん面倒な仕事をした。そのほかのいっさいは母親が針仕事のかたわらやってのけた。そればかりか、むかしは母親や妹が楽しみの集まりや祝い事などある折りに得意になって身を飾った種々雑多な服飾品なども売りに出されるようになった。これは晩方みんなが集まってどのくらいに売ったものだろうかと相談しあっているのを見聞きしてグレーゴルが知ったことである。しかしいちばんの頭痛のたねといえば、それはいつも住居問題であった。現在の家族の事情ではこの住宅は広すぎる。しかし移転の方策はたたない。グレーゴルをどうしたら引っ越しさせるかがわからないのである。しかしグレーゴルにはちゃんとわかっていたが、引っ越しを妨げているのはグレーゴルへの顧慮ばかりではなかった。適当な箱をこしらえて、息抜きのために二つ三つ穴でも開ければ、グレーゴルなどは苦もなく運搬できるはずだ。移転を妨げていたおもな理由はむしろ完全な絶望感と、自分たちは親戚(しんせき)知人のあいだにもたえてその例を見ることのできないような不幸に見舞われているのだという考えとであった」(カフカ「変身・P70~71」新潮文庫 一九五二年)

 

「住居問題」

 

前にプルースト「失われた時」で或る価値体系Aから別の価値体系Bへの移動というテーマに取り組んだ。芸術家はその種の移動を果たし得る人々なのだと。もし仮に価値体系AからB、BからC、CからD、etcと永遠に移動を果たせるような場合があるとすれば例えばこういうことだ。

 

「ある音調というのは、きょうの午後、私がふと気づいた後天的に獲得された独創性とか、音楽評論家ならさまざまな音楽家のあいだに見出しうる類縁関係とかをたとえ考慮に入れたとしても、独創的な音楽家たる偉大な歌い手たちが、なにはともあれ思わずそこまでわが身を高めそこへ立ちもどるほかない、ある唯一無二の音調であり、その音調こそ、魂がなにものにも還元できない個性的存在である証拠だからである。たとえヴァントゥイユが、もっと盛大なもの、もっと壮大なものを創ろうとか、あるいは生きのいい愉快なものを創ろうとか、あるいはわが目に見えたものを美化して聴衆の心に映し出そうとか試みたとしても、その同じヴァントゥイユが思わずそれらすべてを大波の下へ沈めてしまうのだ。この大波こそ、ヴァントゥイユの歌を永遠のものたらしめ、ただちにそれを本人の歌と認識させてくれるものである。この歌、ほかの人たちの歌とは異なり、本人のどの歌とも似通ったこの歌を、ヴァントゥイユはどこで学び、どこで聞いたのだろう?そう考えると芸術家はだれしも、ある未知の祖国、自分でも忘れている祖国、いずれべつの偉大な芸術家がこの地上をめざしてそこから船出する祖国とは異なる、そんな祖国に住まう人かと思われる」(プルースト「失われた時を求めて11・第五篇・二・P.151~152」岩波文庫 二〇一七年)

 

逆にいうと自覚的「故郷喪失者」とでも言えそうだ。カフカ「変身」の場合もグレーゴルはほとんど驚いていないように見える。或る価値体系Aから別の価値体系Bへ移動したに過ぎない。それを理解できない家族の側を向いてむしろまだ移動しないのかと小首を傾げて不思議がっているようなふしすら見出せるだろう。

 

そこで「住居問題」として「移転」の妨げになっているのはさっさと別の価値体系へ移動したグレーゴルの側ではなくその家族の側がしつこく保持しようともがくことしか知らない思考の「遅さ」の側にある。だがそのことでグレーゴルの妹グレーテが両者のあいだを往復しうる《境界人/貨幣/言語》として否応なくスポットを浴びるのだ。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1044

2025年01月22日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「Under BOAC」

どの音にも深海を思わせるリヴァーブがやや軽めに掛かっている。金属音は猫の好みに近い。2:29で一度静寂なブレイクが挿入され以後リズムはコンスタントなものから変則的なものへと揺蕩う。3:20付近からリズムが復活。どこかアフリカの民族音楽的というかエスニックかつ先史時代の儀式から受け継がれてきたかのようなドラミングが繰り返される。ぬいぐるを投げ与えてやると猫はテンポよく走って飼い主の部屋から暗がりの和室へ、またその逆へと何度か往復。快調のようだ。5:39までは人間も踊りのリズムに引き込まれそうな音響が続く。その後は太鼓っぽい音が急速に低音へ移行しラストを迎える。6:18分の曲だが九分程度あってもいいと感じた。