フランス国籍を持ちスイス国籍を持つ二重人間ゴダールは語る。
「ひとはなにかをするためには、二人にならなければなりません。あるいはーーー自分ひとりしかいない場合は、自分が二重人間(ドウーブル)になるような状況に身をおかねばなりませんーーー祖国に対する裏切り者になることによってであれ、二重国籍者になることによってであれ、自分が二重人間になるような状況に身をおかねばなりません。レーニンはその思想のすべてを、ロシアの外にいたときに形成しました。ついでにロシアに帰って多くの仕事をかかえ、そのなかば近くについては誤りをおかしたりしたあと、この世を去りました。でも彼の創造の偉大な時期は、彼がスイスに亡命していたときなのです。当時、ロシアの民衆は饑饉に苦しんでいました。レーニンはと言えば、チューリヒとの近くの山中をサイクリングしたりしていました。でも彼は、そうした状態のなかでこそーーー同時に二つの場所に身をおいていたときにこそ、自分の最高の思索をもつことができたのです。
映画づくりなり映像の創造なりがおもしろいのは、そこでは、同時に二つの場所に身をおくという行為を、ほかの人たちと共有することができるからです。映画はまた、コミュケーションのための場所でもあるべきです。たしかに、そこではコミュニケーションが成立しているのですが、でもそれは、すべてのコミュニケーションが成立するのを妨げるようなやり方で成立しているにすぎないのです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.110」ちくま学芸文庫 二〇一二年)
さらに次の箇所ではパレスチナのなかでユダヤ人であること、あるいはガザ地区のなかでアラブ人であること、等々への言及が聞かれる。すると映画はどのような場所であれ「ずれた」ものとして見えてこないだろうか。「見られるべき場所」は決して固定的ではあり得ずむしろ常に移動中であるほかなくなるのではないかという思いを抱かせる。
「私は一人の亡命者(デプラセ)として、位置のずれた(デプラセ)〔あるいは『場違いな』〕映画をつくっています。事実、私はむしろ、社会の周縁部の人たち(マルジノー)に関心をよせています。私は自分を、ユダヤ人によって自分の位置をずらされた〔あるいは『移住させられた』〕アラブ人とか、ドイツ人によって自分の位置をずらされたユダヤ人とか、あるいはまた、医者によって自分の位置をずらされた病人や気違いといった、自分の本来の位置をずらされた人たちに近いと感じています。要するに、私は位置のずれた映画をつくっているわけです。そしてそのために、私の映画はしばしば、見られるべき場所では見られていないのです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.368~369」ちくま学芸文庫 二〇一二年)
二重人間としてのゴダールはこうも語る。
「私はいつも、ドキュメンタリーとフィクションの間を航行してきましたーーーこの二つのものを少しも区別することなく、ともに描写することに役立てながら、この二つのものの間を航行してきました。それに私はいつも、二つのものの間を揺れ動いてきました。昨日諸君に言ったように、映画というのは、ひとつの極から別の極へ揺れ動くなにかなのです。そして映画をつくるというのは、そのなかにいくつかの極をもちこんでそれらをさし示し、ついである場所から別のある場所へ、ある極から別のある極へ、ドキュメンタリーからフィクションへ、『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナからブリス・パランヘ、『気狂いピエロ』のベルモンドからなんとか王妃へ揺れ動くということなのです。あるいはまた、映画を、だれかへの現実的なインタビューと別のだれかへのやはり現実的なインタビューの間で揺れ動かせ、それによって、そうした真の現実から非現実的ななにかを引き出したり、それらのインタビューを別のなにかに変えたりしようとすることなのですーーー私に言えるのは、かりに私が今、ある男の登場人物にしゃべらせようとするとすれば、私には以前よりもはっきりとその男を見てとることができるはずだということです。私は自分がその男の前方にいると同時に、後方にもいると感じるはずです。なぜなら、私も一人の男だからです。こう言ってよければ、ひとは自分のことは自分の背後から考えます。でも他人が自分を見ているということを意識するときは、自分の前方からも自分のことを考えます。つまり、大ざっぱに言って、ひとは自分自身に退位する二つのアングルをもっているわけです。それにまた、私がある男のことを考える場合、私はその男のことを、この二つのアングルから考えることができます。なぜなら、その男は別の私だからです。反対に、私とは別の種類のなにかのことは、たとえば動物のことは、私にはよくは見てとることができません。人々はむしろ、たとえば動物のことをこうした二つのアングルから見ようとしたりしますが、私には、まさに単純な理由から、そうしたことができるとは思えないわけです。だから女性のことも、私にはーーー背後からであれ正面からであれーーーひとつの見方でしか見ることができません。でもかりに私を異性愛者だとすれば、同性愛の男は私に別の視点をもたらすことができます。あるいはまた、女性も私に別の視点をもたらすことができます。そしてそれは、それらの視点が私の視点と矛盾するものであるからではなく、その女性なりその同性愛の男なりが二重の視点をもっているからなのです。だから、その女性なりその同性愛の男なりと組めば、自分の二つの視点と合わせ、四つの視点をもつことができるわけです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.378~379」ちくま学芸文庫 二〇一二年)
なるほど大ざっぱではあるものの、二重人間として視点から見えるものは、一般的なマス-コミがテレビや新聞を通していう「角度を変える」こととは根本的に異なるに違いない。
「映画というのは、ひとつの極から別の極へ揺れ動くなにかなのです。そして映画をつくるというのは、そのなかにいくつかの極をもちこんでそれらをさし示し、ついである場所から別のある場所へ、ある極から別のある極へ、ドキュメンタリーからフィクションへ、『女と男のいる舗道』のアンナ・カリーナからブリス・パランヘ、『気狂いピエロ』のベルモンドからなんとか王妃へ揺れ動くということなのです」
ある時、そんなゴダールのたまらなく近くを高速でよぎった別の二人の言葉がある。途轍もなく似ている。
「分裂症患者は、生者《あるいは》死者であるのであって、同時に両者であるのではない。むしろ、かれは、両者の間の距離の一方の端において、それぞれ両者のうちのいずれかであり、かれはこの距離を滑りながら一方の端から他方の端へと飛び移るのである。かれはこどもあるいは両親であるのであって、同時に両者であるのではない。むしろ、かれは、分解不可能なる一体空間の中にある棒のように、他方の端において一方であり、一方の端において他方なのである。ベケットが行っている離接の意味は、こうしたものである。かれは、自分の作中人物たちやこれらの人物に到来する諸事件をこのような離接の働きの中に登記している。すなわち、そこでは、《一切は分割されるが、しかし自己自身の中においてなのである》。離接が包含的になると同時に、距離でさえも肯定的なものとなる。ヘーゲル学派の最後の哲学者がするように、あたかも、分裂症患者が、<種々の矛盾を同一化する漠然たる綜合>を用いて<離接の働き>の代りとしていたかのように考えるのは、上にのべたような思考の秩序を全く誤解することであろう。分裂症患者は、離接的綜合を矛盾の綜合に代えるのではない。そうではなくて、離接的綜合の排他択一的制限的使用をその肯定的使用に代えるのである。かれは、種々の矛盾を奥深く掘りさげることを通じてこれらを一体化させ、離接の働きを消滅させるのではない。それどころか逆に、かれは、不可分の距離をたえず飛び移りながら、離接の働きを肯定するのだ。かれは単純に<男女両性>であるのでもなければ、男性と女性との間に存在するのでもなく、また<男女交錯>でもない。そうではなくて、<男女横断>なのである。かれは<生死横断>であり<親子横断>である。かれは、二つの対立項を同一項に一体化させるのではない。そうではなくて、かれは、異なるものとしての対立両項を相互に関係づけるものとして、この両項の間の距離を肯定する。かれは矛盾に対して心を閉じるのではなくて、逆に心を開くのだ」(ドゥルーズ=ガタリ「アンチ・オイディプス・第二章・P.98」河出書房新社 一九八六年)
そしてその「ずれ」へ接近することは今なお映画を見るということの特権性のように思える。ところがしかし、特に大学在学中の思い出だが、一方でゴダール映画のようなわけのわからないものは見なくてもいいではないかという人々もたくさんいて、単純に困った。