白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ440

2025年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年一月十二日(日)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昨日タマが後ろ足で立ってる姿、イタチに見えるって話してたでしょ飼い主。

 

気になる?

 

イタチが出てくる漫画があったって何かで聞いたの思い出した。ネズミさんも出てくるらしいけど。

 

あったな、そう言や。絵本だったと思うけどアニメにもなった。でもネズミさんのほうが下克上するストーリーだよ。

 

ってことは猫もネズミさんに下剋上されちゃったりすることがあるんだ。

 

ということもある。カラスさんが子猫を持って行ったりするようにね。

 

それってタマが生まれたばかりのことじゃん。途中で落っことして置いてったらしいけど。でカラスさんって窓からぼうっとお空を見上げてるとなんだか平然と斜めに通りを横切っていく鳥さんでしょ?斜に構えてるって言うの?夕方になると啼き声が切ないって言われてもいるようだけど。

 

斜に構えてるうちにリスクだらけの世界を作り上げて喜んでるのは逆に人間様の側だけど、しかし聞き分けてるのタマ?

 

うん。雀さんはすぐそばのフェンスにとまっておしゃべりしてるからタマも負けじとカカッって歯を鳴らして見せてるよ。でもカラスさんはふっとテリトリーに入ったと思ったらもう遠くまで飛んでるんだ。

 

お前さんテリトリーって言ってるけど、そこはよそのマンションのガレージだよガレージ。

 

でも飼い主言ってたよ、猫には猫の環世界があるって。タマにとって必要な環境は視界も含めて環世界なんじゃない?

 

まあそこが面白いところかもね。人間の環世界とそれぞれの動物の環世界とは重なってるところとそうでないところとがある。平面的な境界線ってのはなくて立体的に入り組んでる。人間がどれほど土地の権利を主張しても平気で横切っていく野良さんや鳥さんや魚さんは膨大にいる。

 

去年の終わり頃だったかな、タマ見たんだ。琵琶湖の湖上で光った稲妻がお空で幾つかに割れて向こう岸のばらばらな地点に落ちていった。それでもし被害が出たりした場合はどこの自治体の責任になるのかなあって。

 

落雷なら落ちた場所ってことになるみたいだよ。

 

じゃあ巨大な稲妻がメキシコ側でビカッて光ってそれがアメリカ側に落ちたりしたら?

 

自然現象による不可抗力ってあるんだけど落ちた側の責任者が防御措置を整えていたかということが争点になったりする。でもねぇ、今度のアメリカ大統領ってのは何を言い出すかわかんないからな。

 

迷路に迷い込みそうな話なんだね。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。フェネス。「エンドレス・サマー」で大変有名になったと言われていて当時聴いた時はなるほどと感心した。その後も見かけるたびに聴いていたが「ブラック・シー」なんかもいいアルバムではとこっそり思っている。


Blog21・「SNS/リアルタイム」と歴史の「なし崩し」

2025年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

映画というものが、ある意味<幸福>だった頃、コミュニケーションの「存在/不在」についてゴダールはこう語っていた。

 

「私がいつもいくらかぞっとするような思いをさせられるのは、今では映画はどれも、完全な沈黙のなかで上映されているという事実です。私は昨日、ブライアン・デ・パルマの映画を見にいったのですが、人々はその映画を大いに楽しみ、ラストでは拍手喝采さえしていました。私もまた満足し、それなりによくできた映画だと思いました。人々は(めずらしく、ごくまれなことに)自分が払った三、四ドルにみあうものを得ることができたのです。でも私は同時に、なにかぞっとするような思いも味わいました。というのも、その映画をつくった連中と観客の間にどんなコミュニケーションも成立していなかったからです。そこでは、コミュニケーションがひとつ成立していたと同時に、ひとつも成立していなかったのです。そこには、一方に、以前その映画をつくり、今はそこから数百キロ離れたところで別の映画をつくっている連中がいて、他方には、昼のあいだは映画をつくることとは別のことをしていて、夜になってその映画を見にきた人たちがいて、その間に、この二種類の人たちの出会いの場所としてのその映画があったわけですが、でもその場所はまた、駅のような場所、人々で混みあっていると同時にまったく人気(ひとけ)のない場所でもあったのですーーー私はどうかと言えば、私はそうした場所のあちこちを航行しています。自分に疑問をなげかけたり、映画をつくったり、答えを提出したりしています」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.74~77」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

ところが現在、インターネットというテクノロジー、主にSNSを介して、いわゆる「リアルタイム」が何らの留保も検証もなく歴史を作る原動力と化してきた感が強いと言わねばならない世界のなかで、スティグレールが「速度の逆説」と呼んで危惧を表明していた事態を想起させないわけにはいかない。二箇所。

 

(1)「速度の逆説としての緊急性は二重拘束である。

ーーーリスクを縮減すべく、つねにより速く進む。

ーーーこの加速によって、リスクを『移動させ』極限化する。

 

ーーー規則とは速度である。偶然的な効果と戦うには、許可された速度よりも速く進まねばならない。しかし、この効果は、速度の本質ではないか?通常の交通規制を逸脱し、事故現場に急行していた救急車両と警察車両のあいだで起きる事故が、加速へと向かう構造的傾向が生み出す『通常の』状況のイメージを与えてくれるだろう。同じ構造は、テレコミュニケーションの株式市場への影響や、記憶一般への接近の先取りにも見出される。速度において、そして、最も一般的に、『時間』の利得としての『利得』、未来に先行することが問題なのだ。そこでは、テクノロジーの構造的な先行が技術を永遠に危険に晒し、緊急事態に置くのである」(スティグレール「技術と時間2・P.223」法政大学出版局 二〇一〇年)

 

(2)「情報は、ネット上を、光速で流通し、これらのネットワークのインターフェイスには、光速で作動する処理システムがある。そして、それらが行う処理は先取りである。これらの条件下で、情報の通常の受け手、思考するものとしての<誰>は、十分速く思考しないため、お払い箱にされ、先取りのプロセスは、自動化されねばならなくなる。そのため、いわゆる『リアルタイム』のサイバネティックス装置が使用されるようになる。

 

クレジット・カードは、情報のリアルタイムの目的がいかなるものかをよく表わしている。それは、時間の利得を操作し、経済的にすぐに変換可能なものとする。世界規模での金融取引と等価性のシステムは、このような理論に従っている。リアルタイムが、この《投機=思索》の新しい条件である」(スティグレール「技術と時間2・P.224」法政大学出版局 二〇一〇年)

 

アーカイブ化がいけないというわけではない。そうではなくて現状のまま事態がますます推移していくとすれば、歴史に関する思考運動を行うのは人間だというより、もはやテクノロジー依存に陥った<記憶の政治経済学>が歴史を代行するというリクスの只中に生きているのだ、人間は。という事態をどう受け止めるのかという問いかけに思えてくる。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1034

2025年01月12日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「T ess xi」

 

 

パソコンの裏側で横になりエアコンの温風に和んでいる様子。猫は曲の最初の音にちらりと反応する。すぐさま水が湧き出るような音も入ってくる。それにも関心を示す。0:58付近からそれとわかるゴロゴロ音が入っておりパソコンも振動している。猫は振動するパソコンに横腹を当てながらエアコンの温風に吹かれて気ままそう。1:30辺りから高音の金属加工音が入ってくるが何種類か変化するたびに主に耳でちらちら反応する。3:56から5:18付近ではゴロゴロ音とグルルル音の両方とも堪能できる曲作りになっていて、その間なぜかわからないけれども猫はパソコンの裏側から飼い主の顔を何度か確かめるように見る。