白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・二代目タマ’s ライフ432

2025年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム

二〇二五年一月四日(土)。

 

早朝(午前五時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

朝食(午前八時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

昼食(午後一時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

夕食(午後六時)。ピュリナワン(成猫用)とヒルズ(腸内バイオーム)の混合適量。

 

パソコンの裏側で見つけたんだけど、これさ、この前に飼い主が言ってた腕時計なんじゃない?

 

ん、そんなところにあった。よく見つけてくれたね。

 

でも飼い主が前に言ってたのと違うような。シチズンじゃないよ。

 

どれどれ、ああこれね、セイコーだ。間違ってた。長方形のレディースでブラウンの皮ベルトタイプ。AVENUEって印字の下になんかアルファベットの筆記体で書いてあって今で言うNANOユニバースと同形のものだね。一九九〇年代に買ったのさ。何度か電池交換しただけで随分長生きしたなあ。二〇二二年のリハビリで毎朝日の出の写真を撮りに行ってたんだけどその時もこの時計で時間計ってた。

 

初代タマさんが生きてた頃だね。

 

そうだなあ、買ったのはさらにその前かな。滋賀県に引っ越してくる以前、長岡京市ってところから京都市内の病院へ通ってた頃かもっと前。入院中のお昼休みに近くの時計店で電池交換してもらった覚えがある。そう言や亡くなったお婆さん知ってるだろう。癌治療の付き添いの時もこの時計見てた。

 

長い付き合いなんだね。

 

そうだね今おもうと。ちなみに身の周りの品々で長く付き合ってきた日用品にも一種の伝説がまとわりつくことがある。

 

人間って伝説好きだね。でもなんで日用品なの?

 

百鬼夜行絵巻ってのがある。

 

はあ?

 

中世の産物なんだけど当時の庶民生活に欠かせない杓文字とかが妖怪のひとつとして描かれてる。

 

また杓文字なの?

 

後世の説明としては道徳的な後付けがあまりに多くて信用できないんだけど身の周りの品々ってことでは奈良時代とか平安時代までさかのぼることができる。前に教えてやったろう、柳田國男が言ってる杓文字伝説の由来。

 

覚えてるよ、招き猫の出現より遥かに古いって話でしょ。

 

この箇所だね。

 

「杓子には、その表向きの商法とはまったく関係のない『招く』と言うことが、常に大なる働きをしている。待人を呼ぶにも三度招き、または四方に向って客を招く。かと思うとこの物で招かれると三年の内に死ぬと言う話もある(俚言集覧)。いずれも自分が前に掲げたところの仮定、すなわち杓子に人の魂を摂取する力があると考えられたものとみることによって、始めて説明が可能である」(柳田國男「史料としての伝説・おたま杓子」『柳田国男全集4・P.345』ちくま文庫 一九八九年)

 

そうそう、「おたま」って言われてはっとしたんだ。

 

日用品といっても「杓子/杓文字」だけが他の品々と違ってちょっと特別なのはなぜかってことになると今なお決定的な説明も研究も出てないけどね。

 

人間ってすぐ怨霊とか幽霊とか言いたがるようだけど幽霊とはまた違うの?

 

違う。日用品じゃないけど化けて出る「幽霊」ってことで言えば「日本霊異記」の下巻の第二十七のタイトルに「髑髏の目の穴の笋を揭き脱ちて以て祈ひて霊しき表を示しし縁」とある。話の前半ではドクロで出てきてドクロが語る。後半ではドクロの正体は自分だって言って人間の姿で出てくる。その四百年くらい後なんだけど「宇治拾遺物語」の巻第十二の十五のタイトルはまんま「河原院融公霊住事」。源融の幽霊が出てくる。日本で実在した人物の幽霊の実質デビューってところかな。

 

黒猫繋がりの楽曲はノン・ジャンルな世界へ。タシ・ワダ。裂け目ひとつない世界なんてないと常々わかっていても、ではそれを知った時にどんなふうにわかったとわかるのか。不安定性や不確実性という言葉を様々に翻訳してみても語り尽くせない音と詩を聴きに行こう。


Blog21・ゴダールのテレビ論、マス-コミはいかにしてSNSに敗北しつつあるか

2025年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム

テレビについてゴダールは語る。ところが「テレビ」を「SNS」に置き換えるとより一層現状に近いものが見えてくるように思える。列挙してみよう。

 

(1)「人々がいったんなにかを見てしまうとーーーというか、今ではテレビ受像機をもっていて、みんなが同時に見ることができるわけで、だからテレビはきわめて強力なものなのですが、それだけに、人々にとりわけ、テレビはものを見ることに役立つものだということを忘れさせる必要があります。テレビには、ある目に見えない危険がひそんでいるのです。それにまた、だからこそテレビはおもしろいのです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.123」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

(2)「テレビで映画を見るとき、われわれは自分がそこに見たいと思うものしか見ないものです。かりに諸君に子供があれば、その子が見たテレビ番組なり映画なりの物語を語ってもらうといいでしょう。その物語は、二十世紀フォックスなりコロンビアなりに登録されている、その映画のシナリオとはまったく違ったものであるはずです。われわれにしても、自分が見た映画の物語を語るとき、そのいくつかの断片しか語らないものです。一本の映画のなかには、自分がそのなかにいた部分や外にいた部分、わきにいた部分などがあるわけです。つまり私が言いたいのは、今の演出家たちはもはや、こうした能力〔自分が見たいと思うものを見る能力?〕を少しももっていないということ、あるいは、もっていても、それを実際に生かす能力をもっておらず、こうしたことを理解してさえもいないということです。さらにまた、こう言ってよければ、今の演出家たちは、自分がつくっている映画を見ていないということです。なぜなら、連中は事前にシナリオで映画を読み、そのシナリオのあとを追いかけているだけだからです。たとえそのシナリオがどんなやり方で書かれていようと、事情はかわりません。連中は映画とは別のものを追いかけているのです。自分がつくっているものを見ていないのです。そしてたとえば、カットをどこで切ればいいのかわからなくなったりしているのです。もっとも、このことは連中にとっては重要なことじゃありません。というのも、カットをどこで切るかは、編集者が与えられた方式(システム)にしたがって決めることだからです。だから、映画とその演出家の間にはなんの関係もなくなっているのです」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.254~255」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

(3)「観客(ピュブリック)について話しましたが、それにしても、大衆(ピュブリック)の心をつかんでいるのはどういう連中でしょう?大作を次々につくっている独裁者たちです。それとテレビです。テレビは独裁者として機能しています。テレビは、たった一日の一時間のうちに、多くの大衆の心をつかむのです。それにテレビは、より直接的なやり方をとることに成功し、それによって普及面での映画の進歩をはやめました。テレビにはしばしば、イギリスの女王とかアルゼンチンのサッカーの試合とかをうつし出すことによって、一時間半にわたって十五億の人の心をつかむことができるのです。こうしたことを夢見なかった独裁者がいたでしょうか?あるいはまた、自分が見たいと思っていたサッカーの試合を自分の手元まで送り届けてくれる独裁者に投票しなかった大衆がいたでしょうか?」(ゴダール「ゴダール映画史<全>/P.188~193」ちくま学芸文庫 二〇一二年)

 

そして(3)の点でもはやSNSに敗北しつつあるマス-コミの慌てぶりを見て取ることは容易い。けれどもそうなってしまう過程、少なくともこの二十年の間、何がどのように継起してきたかを知るためにはマス-コミ関係者だけでなく政財官学いずれの世界に属しているといないとに関わらず(2)に注目するほかないだろう。


Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて1026

2025年01月04日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

読書再開。といっても徐々に。

 

薬物療法は現状維持。

 

節約生活。

 

午前五時に飼い猫の早朝のご飯。

 

体操の後、エクスペリメンタルやインダストリアルを中心に飼い猫がリラックスできそうな作品リスト作成中。

 

Autechre「acdwn2」

最初からゴロゴロ音とグルルル音との繰り返しで始まる。猫を部屋に入れるとすぐパソコン机にひょいと飛び移りパソコン画面に軽く横腹を擦り付ける。猫好みの金属音もその都度何種類かのエフェクトをかけたものを聴き取ることができるが猫のほうがすでに慣れてしまっておりもはや驚かない。机から窓枠に移動。屋外の風景を眺め始める。家の西側の風景を二階から見るのは初めてだからかこのところ飼い主の部屋に入るとほぼ必ず一度は窓枠に乗って三~七分くらいは眺めている。曲は5:26付近からリズムが溶けていく。5:41からはリズムを刻む打音はすべて消え去る。5:46あたりから牛の鳴き声のような音が目立ってくるが特にそれに反応しているようには見えない。6:21付近で十分屋外を眺めた気になったのか猫は床へ降りる。ぬいぐるみを持ってきてやるととてもうれしそうにぐるぐる回りながらぬいぐるみを追い回して遊ぶ。