白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて372

2023年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。今日は買い物に出かけ、夕食後はさらに動物病院へ。

 

タマ闘病録6

 

二〇二三年四月十四日。投薬二十日目。定着しそうに見えていた未明と早朝の食事摂取だが、そうでもなさそうだ。未明(午前二~三時)に一度飼い主を起こしにくるにはくる。あらためて食事を用意する。水も入れ換えてやる。すると水は少々飲むけれども同時に食事も摂るとは限らなくなってきた。早朝にもう一度リビングをうろうろし出すので見ていると、食事を摂りそうなそぶりを見せるも、またもや摂らなかったりする。

 

安定に向かうように見えていて、実はそうでもないらしい。

 

午後八時頃、飼い主が二階で調べ物をしていたところ家族が呼ぶので聞いてみると、ほとんど口にしなくなっていたカリカリを四~五粒ほど食べたという。餌皿を覗き込むと確かに減っている。食べた跡がある。

 

二〇二一年の秋頃、目に見えて食欲減退を起こしたことがあった。体重がそれまでの5.5キロから3.5キロまで急激に2キロも落ちた。主治医から餌の変更を試してみるよう指示を受けた。幾つか組み合わせを変えてみて様子を見た。

 

食欲回復を示したのはアイムスのカリカリ(成猫用避妊・去勢後の健康維持チキン)とニュートロの成猫用パテ(ビーフ)との組み合わせ。今度は目に見えて食欲が回復し体重も戻ってきた。かといって、高価なパテばかりいつまでも与え続ける余裕はそもそもない。そこでパテをヒルズのカリカリ(シニア14歳以上チキン)へ変更すると思いのほかスムーズに置き換えることができた経緯がある。

 

なので今回の食欲不振では再びアイムスのカリカリ(成猫用避妊・去勢後の健康維持チキン)とニュートロの成猫用パテ(ビーフ)との組み合わせへ変更した。胃腸薬との併用で食欲は徐々に回復してきた。安心できるかどうかと思っていたら、かちこちの大便が幾つか排出されたのは良好とみることはできるものの、食欲がどうも思わしくない。最初は元気に摂っていた柔らかいパテにもほとんど関心を示さなくなった。ところが固いはずのカリカリは時々かじっている。

 

一方、二日ほど便通がないのを家族が心配する。もし丸三日なければ下剤を入れる予定だがまだ早い。さらに下剤を入れたからといってそう単純に便が出るほど十分に食物摂取できているかどうかは疑わしい。それでも出来れば試してやってほしいと言うので、なかば仕方なしに、寝る前に下剤を入れて様子をみることにした。

 

二〇二三年四月十五日。投薬二十一日目。未明も早朝もともにパテには見向きもしなくなる。おかしい。一方、水分摂取は少しずつだがコンスタントにできている。午後二時頃、アイムスのカリカリ(成猫用避妊・去勢後の健康維持チキン)を6粒、ヒルズのカリカリ(シニア14歳以上チキン)を3粒摂る。アイムスのカリカリはタマが生まれて保護された後すぐからずっと好んで食べてきた。年齢に合わせて一度同じアイムスのシニア向けのものへ変えただけで、ずっと愛用してきたメーカーだからか、からだに馴染みの味なのだろう。

 

午後五時頃、アイムスのカリカリを8粒、ヒルズのカリカリを5粒、食べる。少しはほっとしたいのだがそうもいかない。二年前の急激な体重減少の原因として、食べさせていたのがアイムスのカリカリだけだったことが上げられる。アイムスのカリカリ(成猫用避妊・去勢後の健康維持チキン)はとても柔らかくて食べやすい反面、栄養分は低いという難点がある。ヒルズのカリカリ(シニア14歳以上チキン)も同じだけ摂らないとまた痩せていってしまう。

 

午後九時三十分頃、アイムスのカリカリを六粒、ヒルズのカリカリを三粒、食べる。歩行範囲はテーブルの下と食事場所との往復のみに舞い戻ってしまっている。

 

午後十時三十分、ヒルズのカリカリ6粒をスプーンで細かく砕き、アイムスのカリカリ6粒と一緒に餌皿に盛っておく。就寝。

 

午前〇時少し前、かりこりという音が続けて聞こえてきて目が覚める。もしやと思い覗いてみたらタマが目を覚ましてアイムスのカリカリとヒルズの細かく砕いたカリカリを両方ともかじっている。ややほっとしつつ静かに見ているとアイムスのカリカリは用意した6粒すべて食べた。ヒルズの細かく砕いたカリカリも食べてくれているが、3粒分ほど残した。

 

二〇二三年四月十六日。投薬二十二日目。早朝、食事には関心を示さない。水分は早朝から午前中いっぱい、何度かに分けて平均の半分くらい摂る。

 

午後はテーブルの下でほとんど寝ている。午後二時頃になると飼い主の布団の上へ移動、夕暮れ頃まですやすや眠り込む。楕円形で呼吸も落ち着いている。午後五時頃に目を覚まして小便を済ませたあと、十四日から関心をなくし昨日はまったく見向きもしなかったパテを、なぜかスプーン小さじ三分の一くらい食べる。逆にカリカリは食べない。

 

午後七時、動物病院へ。食事療法の相談。いつものお薬セット(ビクタスSS、プレドニン、ボミットバスター)のほか、ヒルズの流動食(回復期ケア・チキン)の缶詰、粉ミルク、を追加することにきまる。帰宅してさっそく流動食を試してみる。12ミリグラムから口に流し込んで様子をみる。思っていた以上にするすると食べるのでちょっと驚く。同じく12ミリグラムをもう一回試してみる。これも抵抗なく食べる。さらにパテを口から入れてみることも可能だとのことだったので試してみる。

 

と、流動食摂取後すぐだったにもかかわらず、スプーン小さじ三分の一程度ならほぼ抵抗なく食べてくれた。食欲がまったくなくなったわけではないらしい。なおカリカリだが、アイムスのカリカリ(成猫用避妊・去勢後の健康維持チキン)ならわざわざ砕いて粉にしなくても、一日の量は、一日二回ほどではあるにせよ一回で3~6粒程度口にしてはいるようだ。いずれにせよ、睡眠時の姿勢がすやすやと安定しているのが今のところ何よりに思える。

 


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて371

2023年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。日の出時刻頃の大津市の気象予報は晴れ、湿度は72パーセントのようです。湖東方向も晴れ。鈴鹿峠も晴れのようです。

 

午前五時十分頃浜辺へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.16)

 

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.16)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.16)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.4.16)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.16)

 

日が出時刻を回りました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.16)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.16)

 

二〇二三年四月十六日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。


Blog21・間歇的な忘却の予兆

2023年04月16日 | 日記・エッセイ・コラム

改行がない。なくてもいい。むしろ<ない>という形式で、次の文章は忘却のテーマへ「間歇的」に接続されていく。忘却の過程は改行から始まるだろうか。そんなわけはない。改行するしないにかかわらず、「間歇的な力の最初のあらわれ」という不意打ちとして出現し始める。

 

「以前ならどんなに些細な行為をしても、その行為はアルベルチーヌがそばにいるという幸せな雰囲気に浸されていたが、いまや私はそのたびに改めて同じ苦痛を味わうという犠牲を払って、別離を学びなおさなくてはならなかった。ついで人生のほかの形態と競(せ)り負けてこの新たな苦痛が闇に没すると、折から春の訪れを告げる数日のあいだ、私はサン=ルーがボンタン夫人に会ってくれるのを待ちながら、ヴェネツィアや未知の美女たちに想いを馳せ、しばし心地よい平穏な時をすごした。そんな状態に気がつくと、私はふと心中に突然の恐怖を感じた。今しがた味わった平穏は、私が心中で苦痛と闘い、恋心と闘い、ついにはそれに打ち勝つに至る大いなる間歇的な力の最初のあらわれではないか。今しがたその前兆を感じとり、その予兆を感知したもの、それはほんの一時的なあらわれにすぎなかったが、のちに私の心中で恒常的状態となるはずの生活、つまり私がもはやアルベルチーヌのために苦しむことがなく、アルベルチーヌを愛さなくなる生活ではないのか。すると、自分を打ち負かすやもしれぬ唯一の敵たる忘却のすがたを認めたわが恋心は、閉じこめられた檻(おり)のなかに自分をむさぼり食うニシキヘビのすがたを不意に認めたライオンのように震えだした」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.78~79」岩波文庫 二〇一七年)

 

<私>は忘却を、兆候として、「ふと心中に突然の恐怖を感じた」、あるいは、「ほんの一時的なあらわれにすぎなかった」、という感性のレベルで捉える。だからそれは決して日常の外にではない。日常の中で、まるで無関係な「相反する断片を寄せあつめ継ぎあわせて全体の眺望を捉え、連続して一幅の画をつくりあげ」ていく主要因の位置へ取って代わる。

 

例えばそれは、最初のバルベックへの移動の際に経験した列車の旅がそうだった。

 

「そこで私は、一方の窓から他方の窓へとくり返し駆けより、移り気で美しい真っ赤な私の朝の間歇的で相反する断片を寄せあつめ継ぎあわせて全体の眺望を捉え、連続して一幅の画をつくりあげようとした」(プルースト「失われた時を求めて4・第二篇・二・二・P.55」岩波文庫 二〇一二年)

 

<私>は忘却の到来を、ただ、今のところは兆候に過ぎないとしても、しかし確実に、切迫感を伴いながらひたひたとしのびよる、ある種の崩壊、ある種の喪失として、受諾しなければならなくなるだろう。

 

「わが恋心は、閉じこめられた檻(おり)のなかに自分をむさぼり食うニシキヘビのすがたを不意に認めたライオンのように震えだした」

 

とあるように。

 

忘却すれば気持ちばかりはなるほど楽になるだろう。ところがそうすんなりと事が運んだためしはない。完璧な「喪の作業」というものがないように。

 

アルベルチーヌによる永遠の切断。<私>によるその受諾。産みの苦しみを伴わないわけにはいかない。傷つき、さらに傷つき、もっと傷つきつつ、あまりにも痛ましい別離の舞台をじっくりと舐め、なおかつ味わっていかなければならない。

 

とはいえプルーストの文体は決して重くない。むしろ軽い。スペクタクルでもセンセーショナルでもない。「死と再生」という動作は、常にひと通りの時間を要する。時間として演じられる。その間、読者に提供される様々なエピソードはどれも、劇的でもなければ画期的でもない。見た目はまるきり無関係な諸断片のモザイク、パッチワークとして、出現する。

 

それら諸断片は何度も繰り返し組み換えられ、解体し、また組み合わせられ、じぐざぐで辻褄の合わない無数の流れと化しつつ変形していく。逆に辻褄が合うとはどういうことか。それこそかえって不自然ではないかとプルーストは問うのだ。プルーストがいうのは、辻褄はいつも合わない、ということだ。時間の経過にもかかわらず、満期が近いにもかかわらず、なぜ約束された利益が上がっていないのかと問いかける、ありふれた疑問文ではないのである。

 

ポストパンデミックとUSインディーズの変容。その2です。