白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて366/タマ闘病録5

2023年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。よく晴れました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

日の入です。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.13)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.13)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.13)

 

何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

二〇二三年四月十三日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

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タマ闘病録5

 

二〇二三年四月十二日。投薬十八日目。早朝、四月四日以来八日ぶりに大便が五個。いずれも大きさはやや大きい。また大変硬い。

 

食欲不振続きとはいえ毎日少しずつではあるものの食べてはいるので、この一週間、一つも便が出ないというのは余りにも長すぎるとおもい、前日(四月十一日)の寝る前に下剤を与えておいた。その効果だろう。

 

午後は飼い主自身のアルコールとうつ病の治療薬を受け取りに薬局へ。待合スペースから受付カウンターを見ると奥の棚に猫のカレンダーが置いてある。カレンダーなら前からそこにあったに違いないが、目に飛び込んできたのはなぜか初めて。軽いめまいに襲われたような妙な気分。カレンダーに写っている猫の写真と飼い主との間にだけ、何か一つのこの世のものでない別の世界が立ち現われたような、細長く伸びた初めて味わう見えない空間が、繋がりを帯びようとしているみたいでややたじろぎ、あわてたわけでもないのに手元の文庫本へさっと目を落とす。周りからすれば何一つ起こってなどいないかのように見えるだろう。

 

二〇二三年四月十三日。投薬十九日目。未明と早朝の食事摂取は定着しそうな様子である。だが摂取量はゆるやかなカーブを描きながら徐々に落ちているように見える。

 

タマは倒れてからこっち、テーブルの下にもぐり込んで何気なく毛づくろいしている時など、よく見ると瞳孔拡散していない時がしばしばある。明かりの加減でそうなるのだろうか。しかし何か物音がして目を見開こうとすると、物音のした方向を振りむくわけだが、そんなとき瞳孔は大きく開いている。右目と左目とで瞳孔の大きさが違っている時もある。振りむく仕草は発病前とまるで違っていないのだが。

 

テーブルの下にいない時はこたつの脚のあいだにいる。楕円形になって眠っているのを見ているとこれといって変わったことは何一つないような眠り方だ。腹部の動きは穏やかな呼吸を示している。闘病生活というのは、あるいは介護というのは、猫それぞれでこういうものなのかもしれないと思ったりする。

 

そういえばタマが最初に倒れた時、主治医から言われていたことがあった。痙攣を起こした場合はすぐ病院へ来てほしい。痙攣止めに坐薬を入れます。

 

でも、痙攣止めの坐薬というのはどんな坐薬のことなのだろう。もしかして安楽死とか。まさかとは思うけれど。そんなわけで数日前、病院のスタッフに訊ねてみた。

 

人間の場合、てんかん発作に備えてあらかじめカルバマゼピンを投与しておくことがある。それでしょうか?いや、ジアゼパムです。ジアゼパム(商品名セルシン)。アルコール・薬物治療、うつ病治療などでよく用いられる抗不安薬。

 

なんだ、それなら二十八年前、飼い主が生まれて初めてアルコール医療にかかった際に処方してもらったとても懐かしい薬剤じゃないか。もっとも、頑固な不眠のため、ニトラゼパム(商品名ベンザリン)と併用しても全然効かなかった。効かなかったという意味で、たいへん思い出深い名だ。ところが中島らもには効いたらしい。

 

「全身が柔毛(にこげ)のマユに包まれる感覚があって、やがておれはとろとろとした眠りの海を漂い始めた」(中島らも「今夜、すべてのバーで・P.75」講談社文庫 一九九四年)

 

とはいえ創作の中へ引っぱりこんだ、ただ単なるエピソードの一つに過ぎないのかも知れない。

 

遠い記憶はどうでもいいとして、さて、タマのことだ。ときどき日向ぼっこしていた二階のベッドへ連れていって乗せてやる。馴染みのベッドの感覚は記憶に残っているらしい。不思議がらない。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて365

2023年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。日の出時刻頃の大津市の気象予報は晴れ、湿度は85パーセントのようです。湖東方向も晴れ。鈴鹿峠も晴れのようです。

 

午前五時十分頃浜辺へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.4.13)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

日が出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)

 

二〇二三年四月十三日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。


Blog21・未来の奥からの希望とは何か/廃墟化する風景の問題

2023年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

<私>が行った「決断」は同時に過去の消去でもある。そしてその動作が「とりわけ恵みをもたらすのは、その思考が未来の奥からわれわれに希望をもたらしてくれるときである」。ところが「決断」には思いも寄らない落とし穴が待ち伏せている。

 

<私>の「決断」を支えているのは「アルベルチーヌは間違いなく戻ってくるという密かな確信だった」。それにしてもこの「確信」はいつどこから来たのか。何に根拠を持つのか。「『成功は間違いなし』と考えていた」という単なる思い込みに過ぎない。幻想でしかない。だから、間違いなく到来すると信じて疑わなかった「サン=ルーからの返事が届かず」、「遅いがゆえに」、逆に明確な遅刻を示しているがゆえに、アルベルチーヌの帰還という「確信」は足元から揺さぶられ「動揺」へ転化する。<私>の「歓び」はたちどころに「悲嘆」へ転倒する。

 

「とはいえこの新たな思考(私に目下とり憑いている思考)がとりわけ恵みをもたらすのは、その思考が未来の奥からわれわれに希望をもたらしてくれるときである。じつのところ私をこれほど幸せにしてくれたのは、サン=ルーの任務が失敗するはずがないから、アルベルチーヌは間違いなく戻ってくるという密かな確信だった。そのことを悟ったのは、早くも翌日、サン=ルーからの返事が届かず、私がふたたび苦しみだしたからにほかならない。それゆえサン=ルーに全権を委ねた決断が私の歓びの原因だったわけではなく、それが原因であれば私の歓びはつづいていたはずである。そうではなくて原因は、私が『あとは天に任せよう』と言いながらも『成功は間違いなし』と考えていた点にあった。そんなわけでサン=ルーの返事が遅いがゆえに呼び醒まされた考え、実際にはうまくゆかぬこともありうるという考えが、あまりにも耐えがたく、私はすっかり快活さを失ってしまったのである。実際われわれを歓びで満たすのは、いくらべつの原因のせいにしようと、じつはわれわれが幸せなできごとを予測し、それを期待するからであって、自分の願いの実現がさほど確信できなくなると歓びは消え、ふたたび悲嘆に沈むはめとなる」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.74」岩波文庫 二〇一七年)

 

したがってこのエピソードはまたしても心理学ではない。時期的にフランス心理小説の本流の終わりに出現した作品だというだけで、しかも人間心理を取り扱っているように見えるというだけで、なぜ心理小説だと言えるのか。むしろ「確信」という一つの言葉が逆に「動揺」というもう一つの言葉を呼び寄せたのではなかったか。この事情は心理的なレベルなど一つも問題としておらず、ある記号の出現が不可避的に異なる記号を呼び寄せ呼び集めてしまう記号論的な問題として提示されているといえる。

 

その点で「失われた時を求めて」は、フランス心理小説の伝統の大いなる成果なのでは全然なく、むしろ大いなる誤解であり、逆にフランス心理小説の伝統を断ち切り解体する前代未聞の破壊的劇薬として作用したというのが正しいに違いない。

 

プルーストが言いたいのは、アルベルチーヌやモレルのトランス(横断的)性愛に顕著なように、さらに「土地の名」として「ゲルマントのほう」と「メゼグリーズのほう」との対立は作品の最初の部分に限ればなるほど対立しているように見えてはいるものの、実際のところ両者の間には幾つものトランス(横断的)流通路が縦横無尽に走っているように、ある状態から別の状態への「入れ替わり」可能性、無限の分裂と変容への意志だ。それもこの上なく優雅な。

 

人間はいつも両極へ、もっといえば無限の<多極>へ、分裂することができ、「動揺と確信はそれこそ一週間おきに」置き換え可能だということは、いったい何を意味しているのだろう。そもそも人間の人格というものは、因果関係ひとつない無数の諸断片が幾つかの条件のもとで一定の期間に限り寄せ集められ生成した一つの状態を指し示すに過ぎず、一つの状態の中にさえ無数の多元性がひしめき合っており、むしろ絶え間ない<変化への意志>を湧出させてやまない、脱中心的で可変的な力ではないかというのである。

 

「その相手を失うのではないかと心配になると、われわれはほかの女のことなどすべて忘れてしまう。相手をひきとめておけると確信すれば、相手をほかの女たちと比較し、たちまちほかの女のほうが好きになる。このような動揺と確信はそれこそ一週間おきに入れ替わることもあるから、相手の女はある週には男が楽しみのすべてを自分のために犠牲にするのを目にしたかと思うと、つぎの週には自分自身が犠牲になる憂き目に遭うといった具合に、この入れ替わりはえんえんとつづく」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.200」岩波文庫 二〇一六年)

 

もし人間が唯一の人格しか持たないとしたら、「この入れ替わりはえんえんとつづく」というような平凡な事実を、プルーストが改めて問い直す必要などどこにもなかったに違いない。現実はどうか。プルーストの提示する現実こそ、差し当たりヨーロッパ各地、その巷(ちまた)で、極めて平凡な事実として、十七世紀頃に出現したけれども十九世紀末には早くも消滅し始めていた近代の終わりの始まり、廃墟化する風景と無数に分裂増殖する多様性の始まりについて多くを教えている。

 

今の日本だけを見ても、なるほど大多数を占めるわけではないにせよ、なぜ廃墟写真集の人気は一向に衰えないのだろうか。音もなく夕日が差し込み多少なりとも劣化を隠せない部屋をそんなに懐かしげに感じるのか。瓦礫にも等しい煉瓦造りのトンネルの中へ我知らず魅惑されたりするのか。阪神淡路大震災や東日本大震災の写真集に繰り返し見入るのか。

 

かつてのベトナムや今のウクライナでもそうだが、空爆ではなく戦場と化した空爆後の、無惨に崩れた建物や寸断された道路。それも一つの風景であるに違いない。ではなぜ現代人はその種の風景に、廃墟に、落日に、世界の黄昏に、こうも魅かれるのか。現代人はおそらくそこに、もはや失われて二度と戻ることのできないところ、ふるさとを見ているのかもしれない。死と再生への限りなく痛ましい希望をこめて。

 

坂本龍一のある種の、おそらく「スウィート・リベンジ」辺りからの、影響を感じさせるポップなデュオ。その2です。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて364

2023年04月13日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。よく晴れました。家の裏にムスカリが咲いているのを見つけました。植えた覚えはないのですが。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.12)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.12)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.12)

 

日の入です。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.12)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.12)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.12)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.12)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.12)

 

何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.12)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.12)

 

一度帰宅して夕食をとった後、地元の春の恒例の「山王祭」を見に出かけました。

 

午後八時頃、松明と若衆が生源寺に集合。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

日吉参道をのぼっていきます。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

日吉神社境内の石橋を渡ります。石というところにひとまず注目したいと思います。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

松明の先導する若衆が八王子山山頂付近の巨石・金大巌(こがねのおおいわ)を目指します。文字通りの巨石で、遠くイギリスや北欧、エジプトのピラミッド、あるいは南米に見られる石の文明=磐座(いわくら)信仰の一つとして考えられています。日本では熊野の火祭り、折口信夫が紹介した沖縄とその周辺の古代信仰などもそうです。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

若衆が勢いよく駆けのぼっていきます。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

今度は二機の神輿を担いで降りていきます。つづら折りの急坂で注意しないとたいへんです。一機目。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

二機目。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

やや傾いているような。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

ぐっと傾きました。あぶなそうです。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

やや体勢を立て直し。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

落ち着いたようです。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

先回りしてみると一機目はなんとか順調のようです。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

松明、というより、火です。なぜ火なのか。琵琶湖のすぐそばという地理的条件が関係してきます。「火と水の祭り」でなければならない。死と再生のテーマが見えてくるかと思います。だから山王祭はいつも春。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

最後の難関。鋭角の急カーブをうまく曲がりきらねばなりません。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

あっちへ傾きこっちへ傾きしつつ、急傾斜かつ急カーブ続きの坂道のラストスパート。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

最後の急勾配の石段を降りてきました。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

一機目が東本宮へ入ります。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

続いて二機目が手こずりながらもなんとか東本宮へ入ってきました。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

先に置かれていた二機と合わせて合計四機が揃いました。

 

「名称:“山王祭”」(2023.4.12)

 

ところで、神輿が日吉大社の東本宮に入るのは日吉大社の祭りなので当たり前といえば言えるでしょう。しかしなぜ最初に八王子山の磐座まで上り下りしなくてはならないのか。顕著な上下運動がある。これは日本列島特有の地形と密接な関係があります。

 

たとえば柳田國男は、山地と海とが接近しており平地が極端に少ない点に注目している。熊野信仰の神体の一つ「ごとびき岩」は急峻な斜面の上にあるため神が降臨する磐座として祭られた。古代近江の湖西もまた地形は同様。そしてちょうど三角形をした目印になるような山の山頂付近に巨石がある。そこに神が降臨すると古代人は考えた。

 

さらに「新修大津市史」を見ると、四世紀頃にたくさん作られた古代古墳の分布図から興味深い現象が見えてくる。八王子山の金大巌(こがねのおおいわ)の周囲にも幾つもの古墳がありますが、山と琵琶湖とに挟まれた狭い土地で南北に並んで作られた古墳群のはずが、どうも金大巌(こがねのおおいわ)周辺だけをわざわざ迂回して建造されたらしき痕跡がありありと浮上してくる。なぜだろう。古代古墳群建造よりも前に古代磐座信仰があったのではないか。

 

何が言いたいかというと、おそろしく古い時代、世界中で時間的な多少のずれはあるにせよ、ほとんど同時多発的に栄えた古代文明が琵琶湖のすぐそばにもあったということだろうと思うのです。

 

二〇二三年四月十二日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。