アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。
散歩。午後の部。よく晴れました。
「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)
「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)
「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)
日の入です。
「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)
「名称:“日の入”」(2023.4.13)
「名称:“日の入”」(2023.4.13)
「名称:“日の入”」(2023.4.13)
何事もなかったかのような夕暮れです。
「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)
「名称:“琵琶湖”」(2023.4.13)
二〇二三年四月十三日撮影。
参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。
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タマ闘病録5
二〇二三年四月十二日。投薬十八日目。早朝、四月四日以来八日ぶりに大便が五個。いずれも大きさはやや大きい。また大変硬い。
食欲不振続きとはいえ毎日少しずつではあるものの食べてはいるので、この一週間、一つも便が出ないというのは余りにも長すぎるとおもい、前日(四月十一日)の寝る前に下剤を与えておいた。その効果だろう。
午後は飼い主自身のアルコールとうつ病の治療薬を受け取りに薬局へ。待合スペースから受付カウンターを見ると奥の棚に猫のカレンダーが置いてある。カレンダーなら前からそこにあったに違いないが、目に飛び込んできたのはなぜか初めて。軽いめまいに襲われたような妙な気分。カレンダーに写っている猫の写真と飼い主との間にだけ、何か一つのこの世のものでない別の世界が立ち現われたような、細長く伸びた初めて味わう見えない空間が、繋がりを帯びようとしているみたいでややたじろぎ、あわてたわけでもないのに手元の文庫本へさっと目を落とす。周りからすれば何一つ起こってなどいないかのように見えるだろう。
二〇二三年四月十三日。投薬十九日目。未明と早朝の食事摂取は定着しそうな様子である。だが摂取量はゆるやかなカーブを描きながら徐々に落ちているように見える。
タマは倒れてからこっち、テーブルの下にもぐり込んで何気なく毛づくろいしている時など、よく見ると瞳孔拡散していない時がしばしばある。明かりの加減でそうなるのだろうか。しかし何か物音がして目を見開こうとすると、物音のした方向を振りむくわけだが、そんなとき瞳孔は大きく開いている。右目と左目とで瞳孔の大きさが違っている時もある。振りむく仕草は発病前とまるで違っていないのだが。
テーブルの下にいない時はこたつの脚のあいだにいる。楕円形になって眠っているのを見ているとこれといって変わったことは何一つないような眠り方だ。腹部の動きは穏やかな呼吸を示している。闘病生活というのは、あるいは介護というのは、猫それぞれでこういうものなのかもしれないと思ったりする。
そういえばタマが最初に倒れた時、主治医から言われていたことがあった。痙攣を起こした場合はすぐ病院へ来てほしい。痙攣止めに坐薬を入れます。
でも、痙攣止めの坐薬というのはどんな坐薬のことなのだろう。もしかして安楽死とか。まさかとは思うけれど。そんなわけで数日前、病院のスタッフに訊ねてみた。
人間の場合、てんかん発作に備えてあらかじめカルバマゼピンを投与しておくことがある。それでしょうか?いや、ジアゼパムです。ジアゼパム(商品名セルシン)。アルコール・薬物治療、うつ病治療などでよく用いられる抗不安薬。
なんだ、それなら二十八年前、飼い主が生まれて初めてアルコール医療にかかった際に処方してもらったとても懐かしい薬剤じゃないか。もっとも、頑固な不眠のため、ニトラゼパム(商品名ベンザリン)と併用しても全然効かなかった。効かなかったという意味で、たいへん思い出深い名だ。ところが中島らもには効いたらしい。
「全身が柔毛(にこげ)のマユに包まれる感覚があって、やがておれはとろとろとした眠りの海を漂い始めた」(中島らも「今夜、すべてのバーで・P.75」講談社文庫 一九九四年)
とはいえ創作の中へ引っぱりこんだ、ただ単なるエピソードの一つに過ぎないのかも知れない。
遠い記憶はどうでもいいとして、さて、タマのことだ。ときどき日向ぼっこしていた二階のベッドへ連れていって乗せてやる。馴染みのベッドの感覚は記憶に残っているらしい。不思議がらない。