アルベルチーヌとの思い出を思い出すとアルベルチーヌにまつわる苦痛もともに蘇る。思い出すことは苦痛を欲望することだ。一方、「ずいぶん前からアルベルチーヌの魅力がつぎからつぎへとさまざまな対象へ乗り移った結果、それらの対象はしまいにはアルベルチーヌからきわめて遠いものになり果て」ていた。
「私はアルベルチーヌの出奔に朝から晩までたえず苦しんでいたが、とはいえそれは私がアルベルチーヌのことばかり考えていたことを意味しない。一方では、ずいぶん前からアルベルチーヌの魅力がつぎからつぎへとさまざまな対象へ乗り移った結果、それらの対象はしまいにはアルベルチーヌからきわめて遠いものになり果て、にもかかわらずやはりアルベルチーヌから与えられた同じ心の昂りの磁気を相変わらず帯びていたから、そんな対象のどれかが、ふとアンカルヴィルとか、ヴェルデュラン家とか、レアの新たな役割とかを想いうかべさせると、私は苦痛の大波に襲われた」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.116」岩波文庫 二〇一七年)
リビドー備給の対象は常に置き換えられていく。一定不変だとはまったく限らない。<私>がアルベルチーヌに向けていたリビドー備給は「つぎからつぎへとさまざまな対象へ乗り移っ」ていく。どんどん転移する。「しまいにはアルベルチーヌからきわめて遠いものになり果て」る。アルベルチーヌが使っていたピアノ、椅子など、人間の姿とは似ても似つかない部屋の家具調度品がアルベルチーヌと等価性を帯びて見えてくる。無数のフェティシズムの系列が出現する。
さらにかつてアルベルチーヌと関係があり<私>に衝撃を与えた土地の名や人物名も、他人は知るよしもない特異なフェティシズムの対象になる。ここでは三つの名が上げられている。
(1)「アンカルヴィル」。ローカル鉄道沿いの娯楽施設がある土地の名。アルベルチーヌの同性愛疑惑が発覚した場所。
「『そうですね、だが娘にこんな習慣を身につけさせているなんて、親御さんもずいぶん軽率ですなあ。私なら、むろんこんなところへ娘を来させたりしません。でも、みな美人でしょうか?顔立ちがよくわからんが。ほら、ご覧なさい』と、アルベルチーヌとアンドレがくっついてゆっくりワルツを踊っているのを示して言い添える、『鼻メガネを忘れてきたんでよく見えんのですが、あのふたりは間違いなく快楽の絶頂に達していますよ。あまり知られていませんが、女性はなによりも乳房で快楽を感じるものなんです。ほら、ふたりの乳房がぴったりとくっついてるでしょう』。たしかにアンドレとアルベルチーヌの乳房は、それまでずっと密着したままであったーーーそのときアンドレがなにかひと言アルベルチーヌにささやき、アルベルチーヌは、さきほど私が聞いたのと同様の、身体の奥から出てきたような、なんとも刺激的な笑い声をあげた。しかし今やその声が私にかき立てた昂奮は、ことさら耐えがたいものになった。アルベルチーヌがどうやらその声で、密かにおぼえた官能の震えをアンドレに教え、それを確認させたように感じられたからだ。その笑い声は、得体の知れぬ祝宴の開始ないし終焉を告げる和音のように響いたのである」(プルースト「失われた時を求めて8・第四篇・一・二・二・P.434~435」岩波文庫 二〇一五年)
(2)「ヴェルデュラン家」。ヴェルデュラン夫人のサロンにはたいへん多くの人間が集まる、というより、星の数ほどもある多様な性(今でいうLGBT)が群れをなして集結する、その場所の名。
「私は『どうして見抜けなかったのか?』と述べた。しかし私はバルベックで最初の日からそのことを見抜いていたのではないだろうか?アルベルチーヌは、肉体という外皮の下に数多くの隠れた存在、つまり、いまだケースに収められたままの一組のトランプとか閉めきった大聖堂やこれから足を踏み入れる劇場とか以上というわけではないが、大勢の入れ替わる群衆以上の多数の存在が息づいている、そんな娘のひとりだと見抜いていたのではないか。いや、そこには多数の存在ばかりではなく、その多数の存在をめぐる欲望や官能の想い出や激しい不安に駆られた探究さえ息づいている。バルベックで私が動揺を覚えることがなかったのは、自分がいつか見当違いの足跡をたどるはめになろうと想像だにしなかったからである。とはいえ、そのおかげで私にとってアルベルチーヌは、それほど多数の存在のみならず、その存在をめぐる多くの欲望や官能の想い出があふれんばかりに詰めこまれた充実した存在となったのだ。そしてある日アルベルチーヌから『ヴァントゥイユ嬢』と告げられた私は、いまやアルベルチーヌのガウンをはぎ取ってその肉体を見たいと願うのではなく、その肉体を通して、本人のさまざまな想い出や、間近にせまった熱烈な逢い引きが記されたメモ帳をのぞき見たいと願うありさまだった」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.201~202」岩波文庫 二〇一六年)
(3)「レア」。もはや疑うことのできないアルベルチーヌのトランス(横断的)性愛嗜好。そのアルベルチーヌが「見ていないふりをしながら鏡に映るすがたをじっと見つめていたあのふたりの娘と親しい女優」の名。
「これはバルベックから帰ってこのかた、ようやくふさがりかけていたわが心の傷口の包帯がいきなり引きはがされたような衝撃と言うべきで、私の激しい不安は堰(せき)を切ってどっとあふれ出た。レアというのは、アルベルチーヌがある日の午後カジノで、見ていないふりをしながら鏡に映るすがたをじっと見つめていたあのふたりの娘と親しい女優なのだ」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.324」岩波文庫 二〇一六年)
<私>のリビドー備給はアルベルチーヌと関係のあるすべての事物へ、それが人間であれただ単なる物であれまったく構わず、それこそフェティシズムの無限の系列、諸商品の無限の系列をなして、<切断/接続>=<離接>の運動を延々繰り返していく。