忘却と「死の本能」とのただならぬ関係について。<私>が夢見る幸福はアルベルチーヌを完璧に所有することだ。またしかし、これまでずっと述べられてきたように、幸福を求めることは同時に苦痛の増大を求めることでもあった。「欲望が前へ出れば出るほど、真の所有はますます遠ざかる」というふうに。
そこで見方を変えて言葉を置き換えるとすれば、結果的に<私>は、「欲望をすこしずつ減らして最終的には消滅させること」を欲望しているのだといえる。忘却への意志。止まることを知らない死への意志。
「精神的欲望の充足に幸福を求めるなどというのは、前へ前へと歩んで地平線に到達せんと企てるのと同様、ばかげたことだと感じられた。欲望が前へ出れば出るほど、真の所有はますます遠ざかるのだ。それゆえ、もし幸福が、すくなくとも苦痛の消滅が見出されうるのなら、追求すべきは欲望を充足させることではなく、欲望をすこしずつ減らして最終的には消滅させることであろう。人は愛する相手に会おうとするが、むしろ会わないようにすべきであろう。最終的に欲望の消滅をもたらしてくれるのは、忘却だけだからである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.83~84」岩波文庫 二〇一七年)
人間は生まれ落ちた瞬間すでに自分自身の内部に死を孕んでいる。
「しかし死を、全き死を、生の季節に踏(ふ)み入る《前に》かくも やわらかに内につつみ、しかも恨(うら)みの心をもたぬこと、そのことこそは言葉につくせぬことなのだ」(リルケ「ドゥイノの悲歌・第四・P.37」岩波文庫 一九五七年)
フロイトが発見した「死の本能」。「小児」は「遊戯にさいして」、何度も執拗に「不快な体験をも反復する」という事情。さらに「その幼児期の出来事を転移の中で反復する強迫が、《どんな場合にも》、快感原則の埒外に出ることは明らかである」と述べる。
(1)「小児の精神生活の初期の活動や精神分析的治療の体験のさいに現われる反復強迫は、高度に衝動的な、そして快感原則に対立するところではデモーニッシュな性格を示している。小児の遊戯にさいして、われわれは、小児が、かつて強い印象を受けた体験を能動的に行なうことによって、たんに受身の体験のさいよりも、ずっと充分な程度に支配できるという理由で、不快な体験をも反復するということを理解できるように思う。事あたらしく反復するごとに、この目標となる支配が改善されるものと思われるが、快適な体験でも、小児は反復に倦むことを知らず、かたくなに同一の印象に固執するであろう。このような特性は後になってかならず消滅する。洒落も二度目に聞けばほとんど心にひびかないであろうし、芝居も二度目にはもはや最初に残したほどの印象には達しないであろう。のみならず成人は、非常に面白かった本をただちにもう一度読みかえす気にはなかなかなれないものである。常に目あたらしさが享楽の条件であろう。しかし、小児は見聞きした遊びや、お相手をしてもらった遊びを、大人が疲れきって拒絶するまで繰りかえし要求して倦むことがないであろう。またおもしろい話をして聞かせれば、小児は新しい話を聞くかわりに、繰りかえしその話を聞きたがって、頑固におなじままに反復することを求める。そして、話し手が間違えて喋ったり、なにか新味を出そうとして加えた変更さえも、ことごとく訂正するのである。しかもこの場合は、快感原則に矛盾してはいない。反復すること自身、つまり同一性を再発見すること自身が、快感の源になっていることは明白である。他方、分析される者にとっては、その幼児期の出来事を転移の中で反復する強迫が、《どんな場合にも》、快感原則の埒外に出ることは明らかである。患者はそのさい完全に幼児のようにふるまい、その原始期の体験の抑圧された記憶痕跡が、拘束された状態で存在しないこと、さらに二次過程の能力をある程度欠いていることを示すのである。この拘束されない一性質のために、昼の残滓に固執しながら、夢に現われる願望空想を形成する能力をもっているのである。おなじ反復強迫が、治療の終りに完全に医師からはなれようとするとき、実にしばしば治療上の障害として現われるのである。分析に慣れていない人の漠とした不安は、眠ったままにしておくほうがよいものを目覚まさせるのをはばかるためであるが、それは畢竟このデモーニッシュな強迫の登場をおそれるからであると推測される。
しかし、本能的なものは、反復への強迫とどのように関係しているのであろうか?ここでわれわれは、ある一般的な、従来明らかに認識されなかったーーーあるいは少なくとも明確には強調されなかったーーー本能の特性、おそらくはすべての有機的生命一般の特性について、手がかりをつかんだという思いが浮かぶのを禁じえない。要するに、《本能とは生命ある有機体に内在する衝迫であって、以前のある状態を回復しようとするものであろう》。以前の状態とは、生物が外的な妨害力の影響のもとで、放棄せざるをえなかったものである」(フロイト「快感原則の彼岸」『フロイト著作集6・P.172』人文書院 一九七〇年)
(2)「もし例外なしの経験として、あらゆる生物は《内的な》理由から死んで無機物に還るという仮定がゆるされるなら、われわれはただ、《あらゆる生命の目標は死である》としかいえない。また、ひるがえってみれば、《無生物は生物以前に存在した》としかいえないのである」(フロイト「快感原則の彼岸」『フロイト著作集6・P.174』人文書院 一九七〇年)
だから人間は必ずしもすみやかな死を目指すとは限らず、逆に、死へ至るためにできる限り迂遠な方法の不可避的採用を目指して余儀なく歪曲された生を生きていくことになる。生きるということを別の言葉へ置き換えるとすれば、それは<緩慢な死>を生きるというしかないだろう。
逆にそれほど緩慢でなく、なおかつ「良心の呵責をともなわぬ迂路」として「戦争は、彼らにとって、自殺への迂路(うろ)である」とニーチェはいう。
「今では何か戦争が勃発するやいなや、きまっていつも同時に民族の最も高貴な人士の胸中にすら、秘密にされてはいるものの一つの喜びが突然に生ずる。彼らは有頂天になって新しい《死》の危険へと身を投ずる、というのも彼らは祖国への献身のうちに、やっとのことであの永いあいだ求めていた許可をーーー《自分たちの目的を回避する》許可を手に入れたと、信ずるからだ。ーーー戦争は、彼らにとって、自殺への迂路(うろ)である、しかも良心の呵責をともなわぬ迂路である」(ニーチェ「悦ばしき知識・三三八・P.358~359」ちくま学芸文庫 一九九三年)
ところが戦争での死が同時に忘却の成就になり得るかどうかはまた別問題だ。事態はそれほど単純でない。死ぬことと忘却とは必ずしも同じことを意味しない。
というのは、戦争あるいは<私>とアルベルチーヌとの出会い損ないの記憶を忘れ去ることは決してできない、ということを言いたいわけではまるでなく、プルーストはほぼ間違いなく、戦争あるいは<私>とアルベルチーヌとの出会い損ないは否応なく、なおかつ何度も繰り返し反復されるほかないと見ているからである。
<私>にとってアルベルチーヌとその記憶とを忘却するために避けて通れない「喪の作業」。もっとも、いまだその過程を通過し終えていないわけだが、そんなに急いで読み飛ばす必要はないとおもう。
しかしもし仮に、やむにやまれぬ子供心から、もっとさっさと「喪の作業」を通り過ぎてみることにしたとしよう。それでどうなるか。それがどうかしたか。アルベルチーヌとその記憶がすっかり忘却されるわけでは全然ない。多くの読者が知っているようにただ単に形を置き換えたに過ぎない。怖れとおののきで充満した期間をまっすぐ乗り越えたわけではなく、無数の相異なる諸要素を継ぎはぎし加工し変形させ、ほんの束の間のやすらぎを得たに過ぎない。それも<私>が周囲を強引に変形させることは不可能であり、逆に<私>の側が時間とともに変形するほかない。
そして世界もまた時間とともに変わっていく。<私>は半ば積極的、半ば消極的に、能動態と受動態との間を選択することしかできない。時間の経過による変形なしに現実と折り合いをつけることは誰にもできない。欧米帝国主義もロシア革命も第一次世界大戦も、加害者かつ被害者として経験したプルーストが教えているのはそういうことなのではと思うのである。
肝腎の変形過程についてだが、まるで一貫性を欠いた、ばらばらの文脈とばらばらの諸断片からなるモザイクあるいはパッチワークで埋め尽くされている。一度刻印された記憶は忘却を知らない。それはただ単に形ばかりを置き換えて、身体の奥底から今後も永遠に繰り返し反復することしか知らない。
このような限りなく遠くまで広がっている絶望的地平をなかば呆然と眺めるとき、人間がまだ倒れずにいることができるとすれば、ニーチェのいうすべての価値の価値転換が間違いなく必要になってくる。「私は火の粉を避ける」、ではなく、「私は火の粉だ」、でなくてはならない。「私は原発を誘致する」、ではなく、「私は原子炉だ」、でなくては説得力一つ持たない。そんな地平との遭遇はもうそろそろ不可避に思える。
だがおそらく、これまでもそうだったように、新しい地平との出会いがお世辞にも上手いとはいえない日本は、おそろしく厄介なことに、あっけなく出会い損なうかもしれない。加速的に新しく台頭しつつある世界へ上手く溶け込むことができないかも知れない。むしろ逆に出会い損ないならめっぽう上手い。今後日本の頭上を飛躍的に飛び越していくであろう途上国は別として、出会い損ないにかけては、日本ほど上手くやってのける国はあちこち探してみてもなかなか見あたらないような気がしなくもない。