白鑞金’s 湖庵 アルコール・薬物依存/慢性うつ病

二代目タマとともに琵琶湖畔で暮らす。 アルコール・薬物依存症者。慢性うつ病者。日記・コラム。

Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて/タマ闘病録4

2023年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。午後の部。よく晴れました。家の裏にムスカリが咲いているのを見つけました。植えた覚えはないのですが。

 

「名称:“ムスカリ”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

日の入です。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.11)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.11)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.11)

 

「名称:“日の入”」(2023.4.11)

 

何事もなかったかのような夕暮れです。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

二〇二三年四月十一日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。

ーーーーー

タマ闘病録4

 

二〇二三年四月五日。投薬十一日目。再び食欲不振。水分摂取はほんの少しずつ改善されつつあるように見える。

 

二〇二三年四月六日。投薬十二日目。食欲不振が続く。水分摂取量は平行線。

 

二〇二三年四月七日。投薬十三日目。水分摂取はだんだん回復してきた模様。食欲はあまりないが、四月五日に比べればやや戻りつつある。

 

歩行中、壁や家具やテーブルの脚に顔をぶつけることはなくなった。そろそろとだが部屋の間取りは思い出しつつあるらしい。

 

二〇二三年四月八日。投薬十四日目(二週間)。食欲不振続く。動物病院へ。

 

薬の調整。長期連用による耐性が懸念されるガスター中止。抗生剤(ビクタスSS)、脳神経消炎剤(プレドニン)、胃腸薬(ボミットバスター)の三点に絞り込む。

 

二〇二三年四月九日。投薬十五日目。食欲やや改善。未明に一度、早朝にもう一度程度、食事摂取。

 

食事どき、餌皿のすぐ手前で足を止めてしまうことがある。両手でお腹を揉んでやると、なぜか餌皿まで歩みを進めて食べ始める。続けて水も飲む。これまで見られなかった傾向。

 

二〇二三年四月十日。投薬十六日目。排尿はごくふつうに戻る。食欲だが、さらに回復してきた一方、以前のような規則性はなく極めて不定期。乱れているのか気分次第に見える。午後はほぼ寝ている。

 

歩くことは歩くが、ほとんどテーブルの下と食事場所との往復ばかり。運動不足にならないだろうか。それとも高齢なので、あえてこの調子でいいのだろうか。

 

二〇二三年四月十一日。投薬十七日目。未明に一度、早朝にもう一度の食事摂取がパターン化してきた。未明の食事はいつも隣室の飼い主を起こしに枕元までやってくる。鳴き声に不安な響きはなさそうだが、か細い。声が掠れることもままある。倒れる前の張り艶のある声はもう出ないようだ。

 

脳神経異常と視力喪失とでとても不安そうだった三月二十六日、助けを求めようとしてかふらふらと壁にぶつかりながら二階まで階段をのぼり、飼い主の部屋の前までやってきたことがあった。そこからほとんど動けなくなった。

 

今日は一度二階まで運んでいき、二階から降りられるかどうか試してみる。腹部の左右に軽く手を添えてやると、たいへん注意深く一段々々確かめながらではあるものの、なんとか一階まで降りることができた。降りると左は玄関、右はリビング。迷うことなくリビングの側へ曲がる。記憶には残っているようだ。

 

しかし午後を過ぎるとまた食欲減退。

 

どこか心細そうにしている時は飼い主の匂いの付いたタオルをかぶせてやると落ち着くらしい。タオルは冬のあいだ、貧乏世帯のためエアコンを節約してマフラー代わりに首に巻いていたもの。どこかご臨終に見えなくもない。

 

正面から覗くとこんな感じ。風呂上がりを思わせる。

 

日差しのいい部屋でも瞳孔は開いたまま。こればかりはもう手のほどこしようがないようにおもう。


Blog21(番外編)・アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて361

2023年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

アルコール依存症並びに遷延性(慢性)鬱病のリハビリについて。ブログ作成のほかに何か取り組んでいるかという質問に関します。

 

散歩。日の出時刻頃の大津市の気象予報は晴れ、湿度は93パーセントのようです。湖東方向も晴れ。鈴鹿峠も晴れのようです。

 

午前五時十分頃浜辺へ出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

 

北方向を見てみましょう。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

今度は南方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

西方向。

 

「名称:“山並み”」(2023.4.11)

 

再び湖東方向。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

日が出ました。

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

「名称:“琵琶湖”」(2023.4.11)

 

二〇二三年四月十一日撮影。

 

参考になれば幸いです。また、散歩中に出会う方々には大変感謝している次第です。ありがとうございます。


Blog21・<翻訳の力>としての芸術(あるいは反芸術)・生成変化する肖像画

2023年04月11日 | 日記・エッセイ・コラム

肖像画、例えばオデットの肖像画についてプルーストがいうのは、それがオデットには似ていないということだ。凡庸でない画家の手になる肖像画の場合は特にそうだ。なぜそうなるのか。

 

ヴァントゥイユの音楽の場合、こうあった。

 

「偉大な芸術家は、それぞれほかの芸樹家とはまるで違っているように見え、われわれが日常生活で求めても得られない強烈な個性の実感を与えてくれる!そんなことを考えていたとき、私はソナタの一小節にハッとした。それは私がよく知っている一小節であったが、注意を凝らすとずいぶん前から知っていたことにもときには異なる光が当てられ、一度も注目したことのなかったものに気づくことがある」(プルースト「失われた時を求めて10・第五篇・一・P.353~354」岩波文庫 二〇一六年)

 

エルスチールの絵画の方法はもう何度も語られている。

 

「エルスチールはどんな花でも、われわれがつねにそこに留まらざるをえない内心の庭へ移植するのでなければ、それを眺めることができなかったからである。エルスチールはこの水彩画のなかに、画家の目で見つめられ、その画家なくしてはけっして知られなかったバラを出現させたのであり、それゆえにこれは、創意工夫に富んだ園芸家と同じように画家の手であらたにバラ科に加えられた新種のバラと言えるものなのだ」(プルースト「失われた時を求めて9・第四篇・二・二・二・P.216」岩波文庫 二〇一五年)

 

肖像画は肖像画であるにもかかわらず、その対象を「変形する」。「その恰好の例はエルスチールの描いたオデットの肖像画で、それは恋人というよりも、対象を変形する恋心の肖像というべきであろう」。

 

「私は天才的な作でありながらその人に似ていない肖像画というものが、いかに多様な人生の痛ましい説明になっているかに想いを馳せた。その恰好の例はエルスチールの描いたオデットの肖像画で、それは恋人というよりも、対象を変形する恋心の肖像というべきであろう。そこに欠けていたのはーーー多くの肖像画には備わるーーー描き手が偉大な画家であると同時に愛する男でもあるという条件だった(もっともエルスチールはオデットの愛人だったといううわさもある)。肖像が本人に似ていないことは、その狂気の沙汰をだれにも理解してもらえない恋する男の全生涯が、たとえばかのスワンの全生涯が、それを証明している。しかし恋する男が、同時にエルスチールのような画家でもあると、謎の合言葉が発せられ一般の人がその女のなかに認めたこともなかった唇や、だれひとりその女のものとは知らなかった鼻や、想いも寄らなかった物腰が、ようやく目の前にあらわれ、その肖像画はこう語るのだ。『私が愛したもの、私を苦しめたもの、私がたえず見ていたもの、それがこれだ』」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.64」岩波文庫 二〇一七年)

 

オデットの肖像画が「いかに多様な人生の痛ましい説明になっているか」、そしてその「肖像が本人に似ていないことは、その狂気の沙汰をだれにも理解してもらえない恋する男の全生涯が、たとえばかのスワンの全生涯が、それを証明している」。

 

スワンの狂気とは何か。あるいは「その人に似ていない肖像画というものが、いかに多様な人生の痛ましい説明になって」しまうのか。

 

(1)「恋心に寄りそう影ともいうべき嫉妬心は、ただちにこの想い出と表裏一体をなす分身をつくりだす」。

 

(2)「オデットが投げかけてくれた新たな微笑みには、いまや反対の、スワンを嘲笑しつつべつの男への恋心を秘めた微笑みがつけ加わり、あの傾けた顔には、べつの唇へと傾けられた顔が加わり、スワンに示してくれたあらゆる愛情のしるしには、べつの男に献げられた愛情のしるしが加わる」。

 

(3)「オデットのそばで味わった快楽のひとつひとつ、ふたりで編み出したとはいえ不用意にもその快さを女に教えてしまった愛撫のひとつひとつ、女のうちに発見した魅惑のひとつひとつを後悔するにいたった。いっときするとそうしたものが新たな道具となって、拷問にも等しい責め苦を増大させることになるのを承知していた」

 

「ところが恋心に寄りそう影ともいうべき嫉妬心は、ただちにこの想い出と表裏一体をなす分身をつくりだす。その夜、オデットが投げかけてくれた新たな微笑みには、いまや反対の、スワンを嘲笑しつつべつの男への恋心を秘めた微笑みがつけ加わり、あの傾けた顔には、べつの唇へと傾けられた顔が加わり、スワンに示してくれたあらゆる愛情のしるしには、べつの男に献げられた愛情のしるしが加わる。かくしてオデットの家からもち帰る官能的な想い出のひとつひとつは、室内装飾家の提案する下絵や『設計図』と同じような役割を演じることになり、そのおかげでスワンは、女がほかの男といるときにどんな熱烈な姿態やどんな恍惚の仕草をするのかが想像できるようになった。あげくにスワンは、オデットのそばで味わった快楽のひとつひとつ、ふたりで編み出したとはいえ不用意にもその快さを女に教えてしまった愛撫のひとつひとつ、女のうちに発見した魅惑のひとつひとつを後悔するにいたった。いっときするとそうしたものが新たな道具となって、拷問にも等しい責め苦を増大させることになるのを承知していたからである」(プルースト「失われた時を求めて2・第一篇・二・二・P.209」岩波文庫 二〇一一年)

 

スワンは「恋する男」である。そんな「恋する男が、同時にエルスチールのような画家でもあると」どうなるか。

 

「一般の人がその女のなかに認めたこともなかった唇や、だれひとりその女のものとは知らなかった鼻や、想いも寄らなかった物腰が、ようやく目の前にあらわれ、その肖像画はこう語るのだ。『私が愛したもの、私を苦しめたもの、私がたえず見ていたもの、それがこれだ』」。

 

肖像画はそのモデルと似ていない。モデルのただ単なる再現ではまるでない。注目すべきはその「変形」作用と「変形」可能性とである。鏡の効果として分身を出現させる並々ならぬ力が、芸術にはある。それを<美>というにせよ<パロディ>というにせよ<ユーモア>というにせよ、芸術(あるいは反芸術)の力は、このような<翻訳の力>である。

 

マイルス・デイヴィスへのトリビュート的なUKジャズ。「ビッチェズ・ブリュー」をもじったタイトル「ロンドン・ブリュー」は笑わせてくれますが、その3です。