<私>は現状がもたらす苦痛に耐えられそうにない。現状を「変えようと切望する」。また「変えよう」と思えば本当に変わったように見せることができ、本当に変わったように見えもするという驚くべき自己欺瞞能力についてプルーストは述べる。
「こうむった精神的衝撃の延長である苦痛は、なんとかして形を変えようと切望する。人は、あれこれ計画を立てたり問い合わせをしたりすれば苦痛を追い払えるだろう、そうすれば苦痛は限りなく形を変えるだろうと期待するもので、そのほうがありのままの苦痛を堪(こら)えつづけるよりも楽だからである。苦痛を感じながら身を横たえているベッドは、あまりにも狭く、固く、冷たく思われるものだ。そんなわけで私は両脚でしかと立ちあがったが、部屋のなかを歩むのに細心の注意をはらった。アルベルチーヌが座っていた椅子や、金色の上靴(ミュール)を履いてペダルを踏んでいたピアノラなど、本人の使っていたものがなにひとつ目にはいらぬ位置に身を置くようにしたのだ。そうした事物はどれも、私の想い出が教えこんだ特殊なことばを用いて、アルベルチーヌの出奔をべつの形に翻訳し、いま一度それを私に告げようとしているように思われたからである。しかし見つめまいとしても、それらは目にはいる。すると全身の力が抜け、私は青いサテン張りの肘掛け椅子のひとつに倒れるように座りこんだ。この肘掛け椅子の表面の艶やかな光沢は、つい一時間前、射しこむ日の光のせいで麻痺したかのような部屋の薄明かりのなかで、私にさまざまな夢を見させてくれたものだが、そのときは情熱的に胸を躍らせたこれらの夢も、いまや私には縁遠いものとなった。いままでこの肘掛け椅子には、あいにくアルベルチーヌが目の前にいるときにしか座ったことがなかったのだ。それで、私はじっと座っていることができず、立ちあがった。このように各瞬間、われわれ自身を構成してはいるもののアルベルチーヌの出奔をいまだに知らぬ無数のしがない存在のひとつがあらわれるから、その『自我』のひとつひとつにこの出奔を知らせなくてはならず、つまりいまだそれを知らぬ全員に今しがた生じた不幸を知らせなくてはならずーーーこの人たちがまるで赤の他人で、私の感受性を借りて苦しむことなどない人たちであったなら、これほど辛い想いはしなかったであろうーーー、そのひとりひとりがその都度はじめて『アルベルチーヌさまは自分のトランクを全部出してくれとおっしゃいました』ーーーそれはバルベックで母のトランクの横へ積みこまれるのを見た棺(ひつぎ)の形をしたトランクだーーー『アルベルチーヌさまはお発ちになりました』ということばを聞かなければならないのだ。そのひとりひとりに、私は自分の悲嘆を教えなければならなかった。この悲嘆は、忌まわしい状況の総体から勝手にとり出した悲観的結論などではさらさらない。われわれ自身が選んだわけではなく外部から到来した特殊な印象が間歇的に無意識裡によみがえったものである」(プルースト「失われた時を求めて12・第六篇・P.44~46」岩波文庫 二〇一七年)
第一に「こうむった精神的衝撃の延長である苦痛は、なんとかして形を変えようと切望する。人は、あれこれ計画を立てたり問い合わせをしたりすれば苦痛を追い払えるだろう、そうすれば苦痛は限りなく形を変えるだろうと期待するもので、そのほうがありのままの苦痛を堪(こら)えつづけるよりも楽だからである」。
第二に<私>は<見ない>態度を取ろうとする。「私は両脚でしかと立ちあがったが、部屋のなかを歩むのに細心の注意をはらった。アルベルチーヌが座っていた椅子や、金色の上靴(ミュール)を履いてペダルを踏んでいたピアノラなど、本人の使っていたものがなにひとつ目にはいらぬ位置に身を置くようにしたのだ。そうした事物はどれも、私の想い出が教えこんだ特殊なことばを用いて、アルベルチーヌの出奔をべつの形に翻訳し、いま一度それを私に告げようとしているように思われたからである。しかし見つめまいとしても、それらは目にはいる。すると全身の力が抜け、私は青いサテン張りの肘掛け椅子のひとつに倒れるように座りこんだ。この肘掛け椅子の表面の艶やかな光沢は、つい一時間前、射しこむ日の光のせいで麻痺したかのような部屋の薄明かりのなかで、私にさまざまな夢を見させてくれたものだが、そのときは情熱的に胸を躍らせたこれらの夢も、いまや私には縁遠いものとなった。いままでこの肘掛け椅子には、あいにくアルベルチーヌが目の前にいるときにしか座ったことがなかったのだ。それで、私はじっと座っていることができず、立ちあがった」。
というように<見ない>なら<見ない>で、剥き出しの現状を別の形へ置き換え・翻訳することで、耐えられない状態を耐えられる状態へ変えようと欲する。だが黙って静止しているばかりでは苦痛は一向に立ち去らない。むしろ部屋のあちこちがアルベルチーヌの面影を映し上げる鏡のように作用する。そこで「私はじっと座っていることができず、立ちあがった」。
このとき第三に、<私>はある種の配送センターになる。
「このように各瞬間、われわれ自身を構成してはいるもののアルベルチーヌの出奔をいまだに知らぬ無数のしがない存在のひとつがあらわれるから、その『自我』のひとつひとつにこの出奔を知らせなくてはならず、つまりいまだそれを知らぬ全員に今しがた生じた不幸を知らせなくてはならずーーーこの人たちがまるで赤の他人で、私の感受性を借りて苦しむことなどない人たちであったなら、これほど辛い想いはしなかったであろうーーー、そのひとりひとりがその都度はじめて『アルベルチーヌさまは自分のトランクを全部出してくれとおっしゃいました』ーーーそれはバルベックで母のトランクの横へ積みこまれるのを見た棺(ひつぎ)の形をしたトランクだーーー『アルベルチーヌさまはお発ちになりました』ということばを聞かなければならないのだ。そのひとりひとりに、私は自分の悲嘆を教えなければならなかった」。
プルーストは一人の人間が人間であるのは決して一人として<ある>わけでは全然なく、逆に社会の一部分としてあり、社会の一部分として他の部分(他の無数の人々)と組み合わされ組み換えられつつ<ある>というのである。そしてまた「悲嘆」は、<私>にとって大変親しい、<私>との相互共存関係にある、すべての人々の手元へ速やかに届けられなくてはならない。というのはこの場合、「悲嘆」はすでに「情報」だからだ。
ゆえに<私>は「悲嘆」の共有を呼びかけるわけではなく、差し当たり「悲嘆」として分類されている「情報」の共有へ動かなければならない。フランソワーズの「アルベルチーヌさまはお発ちになりました」という言葉が<私>にもたらした衝撃を今度は<私>の友人たちそれぞれに送り届け、<私>の友人たちそれぞれもまた同様の衝撃によって思考するよう働きかけるのである。
フランソワーズの「アルベルチーヌさまはお発ちになりました」という言葉が<私>にもたらした衝撃の宛先は、<私>だけに狙いを付けているのではまるでなく、<私>の友人たちそれぞれに宛てることができるし、実際そうなる。ある種の言葉が衝撃的であるというのは、その言葉が未来どころか明日を疑うこと一つない均質化され記号化され家畜化された人々を、盲目的で安穏な眠りから叩き起こし、一挙に覚醒させ、速やかに思考するよう働きかける限りで、始めて衝撃的でありうる。
また「悲嘆」は個人的なレベルで自己完結されうる<悲劇的な>ものではもはやない。逆に趣味嗜好を異にする様々な人々に宛てて、相手の人数分だけ「悲嘆」を梱包し配送し、受け取った側も同様の戸惑いを隠せない深刻な面持ちで「悲嘆」に耽り込む身振りを演じる、という一つの記号として作用するものへ、一九〇〇年代初頭すでに、変わりつつあったことをプルーストは律儀に伝えている。
人間は感情豊かな動物だ。間違いない。しかし人間という概念はつい最近の被造物でしかないのも事実だ。
(1)「十八世紀末以前に、《人間》というものは実在しなかったのである。生命の力も、労働の多産性も、言語(ランガージュ)の歴史的厚みもまた同様だった。《人間》こそ、知という造物主がわずか二百年たらずまえ、みずからの手でこしらえあげた、まったく最近の被造物にすぎない」(フーコー「言葉と物・第九章・P.328」新潮社 一九七四年)
(2)「われわれは、最近あらわれたばかりの人間というものの明白さによってすっかり盲目にされてしまっているので、世界とその秩序と人々が実在し、人間が実存しなかった、それでもそれほど遠くない時代を、もはや思い出のなかにとどめてさえいないのだ。ニーチェが、切迫した出来事、<約束=威嚇>という形態のもとに、人間はやがて存在しなくなるであろうーーー超人のみが存在することになるのだと告げたとき、ニーチェの思考がわれわれにたいして持ちえた、そしてなお持ちつつある震撼力が、いまは理解されるであろう。それこそ、人間はすでにだいぶ以前から消滅してしまい、現に消滅しつづけており、人間についてのわれわれの近代の思考、人間にたいするわれわれの心づかい、われわれの人間主義(ユマニスム)というものは、轟きわたる人間の非在のうえで、のどかに眠りほうけているという一事を、<回帰>の哲学のなかで言おうとしたものにほかならない」(フーコー「言葉と物・第九章・P.342」新潮社 一九七四年)
一八〇〇年代終わり頃すでにニーチェは人間の均質化・記号化について述べている。
「われわれの行為、観念、感情、運動すらもーーーすくなくともそれらの一部分がーーーわれわれの意識にのぼってくるということは、長いあいだ人間を支配してきた恐るべき『やむなき必要』の結果なのだ。人間は、最も危険にさらされた動物として、救助や保護を《必要とした》、人間は《同類を必要とした》、人間は自分の危急を言い表し自分を分からせるすべを知らねばならなかった、ーーーこうしたすべてのことのために人間は何はおいてまず『意識』を必要とした、つまり自分に何が不足しているかを『知る』こと、自分がどんな気分でいるかを『知る』こと、自分が何を考えているかを『知る』ことが、必要であった。なぜなら、もう一度言うが、人間は一切の生あるものと同じく絶えず考えてはいる、がそれを知らないでいるからである。《意識にのぼって》くる思考は、その知られないでいる思考の極めて僅少の部分、いうならばその最も表面的な部分、最も粗悪な部分にすぎない。ーーーというのも、この意識された思考だけが、《言語をもって、すなわち伝達記号》ーーーこれで意識の素性そのものがあばきだされるがーーー《をもって営まれる》からである。要すれば、言葉の発達と意識の発達(理性の発達では《なく》、たんに理性の自意識化の発達)とは、手を携えてすすむ。付言すれば、人と人との間の橋渡しの役をはたすのは、ただたんに言葉だけではなく、眼差しや圧力や身振りもそうである。われわれ自身における感覚印象の意識化、それらの印象を固定することができ、またいわばこれをわれわれの外に表出する力は、これら印象をば記号を媒介にして《他人に》伝達する必要が増すにつれて増大した。記号を案出する人間は、同時に、いよいよ鋭く自分自身を意識する人間である。人間は、社会的動物としてはじめて、自分自身を意識するすべを覚えたのだ、ーーー人間は今もってそうやっているし、いよいよそうやってゆくのだ。ーーーお察しのとおり、私の考えは、こうだーーー意識は、もともと、人間の個的実存に属するものでなく、むしろ人間における共同体的かつ群畜的な本性に属している。従って理の当然として、意識はまた、共同体的かつ群畜的な効用に関する点でだけ、精妙な発達をとげてきた。また従って、われわれのひとりびとりは、自分自身をできるかぎり個的に《理解し》よう、『自己自身を知ろう』と、どんなに望んでも、意識にのぼってくるのはいつもただ他ならぬ自分における非個的なもの、すなわち自分における『平均的なもの』だけであるだろう、ーーーわれわれの思想そのものが、たえず、意識の性格によってーーー意識の内に君臨する『種族の守護霊』によってーーーいわば《多数決にかけられ》、群畜的遠近法に訳し戻される。われわれの行為は、根本において一つ一つみな比類ない仕方で個人的であり、唯一的であり、あくまでも個性的である、それには疑いの余地がない。それなのに、われわれがそれらを意識に翻訳するやいなや、《それらはもうそう見えなくなる》ーーーこれこそが《私》の解する真の現象論であり遠近法である。《動物的意識》の本性の然らしめるところ、当然つぎのような事態があらわれる。すなわち、われわれに意識されうる世界は表面的世界にして記号世界であるにすぎない、一般化された世界であり凡常化された世界にすぎない、ーーー意識されるものの一切は、意識されるそのことによって深みを失い、薄っぺらになり、比較的に愚劣となり、一般化され、記号に堕し、群畜的標識に《化する》。すべて意識化というものには、大きなしたたかな頽廃が、偽造が、皮相化と一般化が、結びついている」(ニーチェ「悦ばしき知識・三五四・P.393~395」ちくま学芸文庫 一九九三年)
フーコーがフーコー哲学創設に当たって参照したのはヘーゲルでもマルクスでもフロイトでもなくニーチェだというのは今や誰もが知っている。そしてフーコーはいう。
(3)「比較的短期間の時間継起と地理的に限られた裁断面ーーーすなわち、十六世紀以後のヨーロッパ文化ーーーをとりあげることによってさえ、人間がそこでは最近の発見であるという確信を人々はいだくことができるにちがいない。知がながいこと知られることなくさまよっていたのは、人間とその秘密とのまわりをではない。そうではなくて、物とその秩序に関する知、同一性、相違性、特徴、等価性、語に関する知を動かした、あらゆる変動のなかでーーーすなわち、《同一者》のこの深い歴史のあらゆる挿話のなかでーーー、一世紀半ばかり以前にはじまり、おそらくはいま閉ざされつつある唯一の挿話のみが、人間の形象を出現させたのである。しかもそれは、古い不安からの解放でも、千年来の関心事のかがやく意識への移行でも、信仰や哲学のなかに長いこととらわれてきたものの客観性への接近でもなかった。それは知の基本的諸配置のなかでの諸変化の結果にほかならない。人間は、われわれの思考の考古学によってその日付けのあたらしさが容易に示されるような発明にすぎぬ。そしておそらくその終焉は間近いのだ」(フーコー「言葉と物・第十章・P.409」新潮社 一九七四年)
まさしく「人間」というカテゴリーの「終焉は間近い」。「人間国宝」という言葉は歴史教科書に、それもやや自嘲ぎみに、残されるだろうが、「人間国宝」はもう消え失せる。不必要になる。生成AIならもっと上手くやれる。「人間味」を醸し出す繊細微妙な技術もAIの側が遥かに上手くこなせるようになる。ある意味、切迫した事態だ。だがこの切迫をよそに、なぜか統一地方選に夢中になれるすべての政治政党は、呆れるほど子どもだ。核兵器を振り回しながら一日中遊びほうけていられる<幼稚園児たち>に等しい。
けれども、だからといって、有権者はもう投票しなくていいと言うわけではない。政治政党が公約してみせるあらゆる提案はどれも一つの「道徳」である。しかし問題にされるべき「道徳」が多少なりともあるというわけではなく、もっと根本的なレベルでいつも発生している問題を問題にしないといけないとニーチェはいう。
「これまで誰ひとりとして、道徳と呼ばれる一切薬品中の最も著名な薬品の《価値》を、検討したものはなかったのだ。そのためにこそ、何はさておいてまず、このものをば、われわれは思いきってーーー《問題にす》べきなのだ」(ニーチェ「悦ばしき知識・三四五・P.376」ちくま学芸文庫 一九九三年)
いくつも提案される「政治政策」という形を取った個々別々の「道徳」ではなくて、「道徳」とはなんなのか、「われわれは思いきってーーー《問題にす》べきなのだ」。「道徳」や「正義」といった言葉はいつも「人間」をいともたやすく大量殺戮へ駆り立て奴隷的家畜化へ編成再編成するための手っ取り早いキャッチフレーズとして機能してきた拭いがたい歴史に取り憑かれている。
その反面、特に日本の場合、どれほどしつこく「道徳」や「正義」を連呼してみてもなお、食料自給率は諸外国と比較して余りにも低すぎる。それならいっそのこと「道徳」や「正義」といった欺瞞的言葉などとっとと殺処分してしまって構わない。
日本とその政府とがいつも<見ない>よう心がけていることを、なぜかニーチェはいつも代弁してくれる。
「まず、立つこと、走ること、よじのぼること、踊ることを学ばなければならない。ーーー最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない」。
舞踏者の精神は「小さな光」でもある。逆にマス-メディアのようなものが放つ巨大な光は周囲の、些細だけれども重要な多くの事柄を一度に覆い隠してしまう危険がある。むしろ「小さな光ではあるが、座礁(ざしょう)した船の水夫(かこ)たち、難船者たちには一つの大きい慰めとなる」ことを知ることから始めたいと思う。
そして最もむずかしいのは「歩き方」を覚えることだ。「道はどこだ?」と尋ねるのではない。「道そのものに問いかけ、道そのものを歩いてたしかめてみ」ること。そして誰かに尋ねられたら、道の歩き方を教えてやることを躊躇してはいけない。教えてやったとしても、教えてやる身振り一つ見せてはいけない。なぜ「教えてくれたのか?」と問われた時は、それが「わたしの《趣味》だ」と答えることができるようになること。
「わたしが学びおぼえたのは、ただ《わたし自身》を待つことである。しかも何にもまさってわたしの学び覚えたことは、立つこと、歩くこと、走ること、よじのぼること、踊ることである。すなわち、わたしの教えはこうだ。飛ぶことを学んで、それをいつか実現したいと思う者は、まず、立つこと、走ること、よじのぼること、踊ることを学ばなければならない。ーーー最初から飛ぶばかりでは、空高く飛ぶ力は獲得されない。
縄梯子(なわばしご)で、わたしはいくつかの窓によじのぼることを学んだ。敏捷(びんしょう)に足をうごかして高いマストによじのぼった。認識の高いマストの上に取りついていることは、わたしには些細(ささい)でない幸福と思われた。
ーーー高いマストの上で小さい炎のようにゆらめくことは、わたしには些細でない幸福と思われた。なるほど小さな光ではあるが、座礁(ざしょう)した船の水夫(かこ)たち、難船者たちには一つの大きい慰めとなるのである。
ーーーわたしはさまざまな道を経、さまざまなやりかたをして、わたしの真理に到達したのだ。この高みにいて、わたしの目は、目のとどくかぎりの遠方へと遊ぶが、ここまで至りついたのは、かぎられたただ《一本》の梯子をよじのぼって来たのではない。そしてわたしがひとに道を尋ねたとき、いつも心が楽しまなかった。ーーーそれを聞くことはわたしの趣味に反した。むしろわたしは道そのものに問いかけ、道そのものを歩いてたしかめてみたのだ。
わたしの歩き方は、問いかけてためしてみるということに尽きていたのだ。ーーーそしてまことに、人はこのような問いかけに答えることをも《学びおぼえ》なければならぬ。それは、ーーー『わたしの趣味』と答えることである」(ニーチェ「ツァラトゥストラ・第三部・重さの霊・P.312~313」中公文庫 一九七三年)
それが大事だ。そしてそれは政治ではない。贈与だ。理解者はとても少ないかもしれない。だが人っこ一人いないわけでもない。期待せず与えること。もし相手がしなやかで軽やかな頭脳の持ち主ならいつか必ずどこかで借りを返してくれる。いっとき生じた貸借関係を別の場所で別の時間に清算してくれるはずだ。与えた側にさえ気づかれないような注意深く気の利いた身振りで。
マイルス・デイヴィスへのトリビュート的なUKジャズ。「ビッチェズ・ブリュー」をもじったタイトル「ロンドン・ブリュー」は笑わせてくれますが、その3です。