11月17日、私が骨髄移植を受けた病院で
造血幹細胞移植同窓会があり、昨年に引き続き参加してきました。
骨髄移植と言わずに、造血幹細胞移植と言うのは
今は骨髄からだけでなく、臍帯血とか末梢血からの移植も可能になってきたためです。

今回のゲストは、骨髄バンク第1号の移植患者さんである橋本和浩さんと
第1号のドナーとなった田中重勝さんでした !!!
橋本さんが移植を受けられたのが平成元年と言われましたから、今年で24年が経過したわけです。
その間にはいろいろなご苦労もあったようですが
持ち前の明るい性格ですっかり元気を取り戻されています。
第1号のドナーとなった田中さんはすごい人だと思いました。
当時まだ登録者が少ない中、自分が第1号になるというお気持ちを話されました。
初めての骨髄提供ということで、何もかも手さぐり状態の中
まわりの人たちの反対はもちろんのこと、ご自身も最後のコーディネイトに向かわれる途中
電話ボックスの前で足が止まったそうです。
ここから電話をかけさえすれば、この苦しい気持ちから開放されると。。。
では、なぜ電話をかけずに進まれたのか?
ご自分の子供さんのことを考えられたそうです。
「もし、自分の子供が白血病になったら、誰が助けてくれるのか。」
その答えが田中さんを突き動かしたのだそうです。
田中さんのその決断と勇気のおかげで動き出した日本骨髄バンク。
その20年後に私も白血病になり、
田中さんと同じ気持ちで勇気を振り絞ってくださったドナーさんのおかげで元気に生きています。
誰にでも命の終わりはあるけれど、あなたの勇気で終わらなかった命もあります。



移植をして辛いこともいっぱいあるけど
ドナーさんにいつも「ありがとう」って感謝して生きていきたいと思います。
造血幹細胞移植同窓会があり、昨年に引き続き参加してきました。
骨髄移植と言わずに、造血幹細胞移植と言うのは
今は骨髄からだけでなく、臍帯血とか末梢血からの移植も可能になってきたためです。

今回のゲストは、骨髄バンク第1号の移植患者さんである橋本和浩さんと
第1号のドナーとなった田中重勝さんでした !!!
橋本さんが移植を受けられたのが平成元年と言われましたから、今年で24年が経過したわけです。
その間にはいろいろなご苦労もあったようですが
持ち前の明るい性格ですっかり元気を取り戻されています。
第1号のドナーとなった田中さんはすごい人だと思いました。
当時まだ登録者が少ない中、自分が第1号になるというお気持ちを話されました。
初めての骨髄提供ということで、何もかも手さぐり状態の中
まわりの人たちの反対はもちろんのこと、ご自身も最後のコーディネイトに向かわれる途中
電話ボックスの前で足が止まったそうです。
ここから電話をかけさえすれば、この苦しい気持ちから開放されると。。。
では、なぜ電話をかけずに進まれたのか?
ご自分の子供さんのことを考えられたそうです。
「もし、自分の子供が白血病になったら、誰が助けてくれるのか。」
その答えが田中さんを突き動かしたのだそうです。
田中さんのその決断と勇気のおかげで動き出した日本骨髄バンク。
その20年後に私も白血病になり、
田中さんと同じ気持ちで勇気を振り絞ってくださったドナーさんのおかげで元気に生きています。
誰にでも命の終わりはあるけれど、あなたの勇気で終わらなかった命もあります。



移植をして辛いこともいっぱいあるけど
ドナーさんにいつも「ありがとう」って感謝して生きていきたいと思います。