2017年9月11日で丸10年になりました。
長いようでアッという間でした。
10年目の思いを書いておこうと思います。
病気の話ですので、スルーしていただいて結構です。
10年前
病名を告知された時
治療法を聞いた時
この病気がいかに難しいものか
愕然としたことを覚えています。
以下が医師からの説明でした。
「治療法は2つあって
ひとつは化学療法だけを2年間続ける方法。
しかし、これだと限界があります。
もうひとつは骨髄移植。
究極の化学療法と言われ、移植後には感染症、合併症、関連死など、など
やってみないと何が起こるかわからない難しい治療です。
良い結果を出すかも知れないが、逆に短命になる可能性もあって、やらなければ良かったと思うかもしれません。」
こう説明されて「どうしますか?」と
私に選択を委ねられたのです。
治療方針は医師が決めるものと思っていたので
急にそんな諸刃の刃のような厳しい決断を迫られても
知識や情報がないのと、恐怖で
頭が真っ白で何も考えられなくて
どうしたらいいのかわからなくて
涙ばかりが溢れました。
私の命に関わるそんな重大なことなのに
それ故に
家族みんなも口を閉ざして何も言えなくなっていました。
「私が一か八か決めなくてはいけないんだね。」
と家族にボソッと言った時でした。
父だけが「一か八かならやった方がいい。
治る可能性が少しでもあるんだから。」
と言ってくれました。
あの時の父の一言で、私の気持ちは
少しずつ移植の方へ向いて行きました。
担当医に気持ちを伝えると
先生も小さな声で
「僕もやった方がいいと思う」と言われました。
その言葉に背中を押され、私はやっと
骨髄移植を現実のものとして
向かい合うことができるようになりました。
もし、あの時父のひと言がなかったら・・・
と10年経った今思うのです。
これはあくまで10年(ひと昔)前の話です。
現在はいろいろな選択肢がありますし、
治療法も進んでいると思います。
長いようでアッという間でした。
10年目の思いを書いておこうと思います。
病気の話ですので、スルーしていただいて結構です。
10年前
病名を告知された時
治療法を聞いた時
この病気がいかに難しいものか
愕然としたことを覚えています。
以下が医師からの説明でした。
「治療法は2つあって
ひとつは化学療法だけを2年間続ける方法。
しかし、これだと限界があります。
もうひとつは骨髄移植。
究極の化学療法と言われ、移植後には感染症、合併症、関連死など、など
やってみないと何が起こるかわからない難しい治療です。
良い結果を出すかも知れないが、逆に短命になる可能性もあって、やらなければ良かったと思うかもしれません。」
こう説明されて「どうしますか?」と
私に選択を委ねられたのです。
治療方針は医師が決めるものと思っていたので
急にそんな諸刃の刃のような厳しい決断を迫られても
知識や情報がないのと、恐怖で
頭が真っ白で何も考えられなくて
どうしたらいいのかわからなくて
涙ばかりが溢れました。
私の命に関わるそんな重大なことなのに
それ故に
家族みんなも口を閉ざして何も言えなくなっていました。
「私が一か八か決めなくてはいけないんだね。」
と家族にボソッと言った時でした。
父だけが「一か八かならやった方がいい。
治る可能性が少しでもあるんだから。」
と言ってくれました。
あの時の父の一言で、私の気持ちは
少しずつ移植の方へ向いて行きました。
担当医に気持ちを伝えると
先生も小さな声で
「僕もやった方がいいと思う」と言われました。
その言葉に背中を押され、私はやっと
骨髄移植を現実のものとして
向かい合うことができるようになりました。
もし、あの時父のひと言がなかったら・・・
と10年経った今思うのです。
これはあくまで10年(ひと昔)前の話です。
現在はいろいろな選択肢がありますし、
治療法も進んでいると思います。