昭和年(1979年)10月10日 東京都 三省堂から、2代目白鳥おじさん・吉川繁男さんの本が出版されました。
この年、2冊目。 三省堂さんから2冊目の出版。 当時の「白鳥おじさん」の人気がわかります。
上の写真、左が表紙。 右が裏表紙。 定価1,500円。
昭和年(1979年)10月10日 東京都 三省堂から、2代目白鳥おじさん・吉川繁男さんの本が出版されました。
この年、2冊目。 三省堂さんから2冊目の出版。 当時の「白鳥おじさん」の人気がわかります。
上の写真、左が表紙。 右が裏表紙。 定価1,500円。
昭和54年(1979年)2月28日、2代目 白鳥おじさん・吉川重男さんが2冊目の本を出版されました。
本「ハクチョウと生きる」税抜980円。 東京都・大日本図書(株)から出版。 上の写真は 表紙(左)、裏表紙(右)
1988年 第8刷発行
昭和29年(1954年)3月20日、瓢湖を国の天然記念物に指定。これを標示するために木製の標柱を建立。この柱が風化で腐朽が甚だしいために、昭和50年(1975年)国・県補助事業により御影石の石柱に建替えた。 文字は渡辺勇町長が揮毫した。
昭和50年(1975年)2月20日、2代目白鳥おじさん・吉川繁男さんが本「瓢湖白鳥物語」を東京都(株)三省堂から出版。
2月23日、出版記念会が瓢湖脇にある古川支店(現在の湖四季。改築前の建物)で開催。
ローゼ・レッサー女子や上野動物園水島課長など県外からも含め、約150人が出席して盛大に行われた。
私の知人が高校生の時(昭和46年・1971年)、高校某全国大会で岡山県に行った時、偶然会った鳥取県の女子高校生に新潟県水原町 白鳥の来る瓢湖の近くに住んでいると言ったら、「瓢湖」知っていますと言われ、瓢湖が全国で有名なことを知ったそうです。 この本も、そんな有名な時代だから出版されたのでしょうか。 現在 「瓢湖」のような存在は、日本で多くある気がします。
1974年(昭和49年)1月11日から、瓢湖の白鳥観察所が建設され一般に開放された。瓢湖の奥にあります。この建物は県の協力を得て建設。
建設総工費は1,191万円。 建物の外観は北欧の山小屋スタイル。
昭和48年(1973年)2月20日、常陸宮殿下が
瓢湖をご訪問。 常陸宮殿下は日本鳥類保護連盟の総裁。塩沢町で開かれた国体スキー競技会に両殿下が出席された機会に実現。
1972年(昭和47年)4月、新潟県が山階鳥類研究所に委託していた瓢湖水きん公園の青写真が出来上がった。
上の写真は、出来上がった「瓢湖水きん公園構想図」。下の写真は現在の「瓢湖水きん公園図」。少し、変更されています。
上の写真は昭和50年ころ(?)の瓢湖の満開の桜花。中央通路の右側が瓢湖。
「2019年9月7日追記」 この年 1972年2月19日、大石武一環境庁長官(初代長官)オコニシニコフ駐日ソ連公使一行が瓢湖の白鳥を視察に来た。 大石長官は「これが野生の白鳥ですか? 瓢湖は素晴らしい。日本の宝だ」と話していた。
昭和46年(1971年)12月 2代目・白鳥おじさん 吉川繁男、イギリスで開かれた世界白鳥会議に招待され出席。
上の写真は昭和50年撮影。瓢湖の桜の幹が現在より細いです。
1971年(昭和46年)3月、「白鳥を守る会」創立。
来賓には法大・日大講師ローゼ・レッサー夫人(ドイツ)、上野動物園の鎌奥哲夫氏も出席。
上、創立総会の会場。 この記事は「郷土史 外城物語 平成23年発行」から転載。
2019年6月下旬、午後5時45分 瓢湖。 白鳥が12羽いました。
午後6時から、瓢湖の脇にある「割烹 湖四季」で宴会。 綺麗なお姉さん達の酌で、ビールをグイッ。
1970年(昭和45年)、瓢湖に人口島3箇所造築された。
文化庁、県の補助を受け 文化財保護事業として工事。人口島の大きさは1箇所36㎡。工事費60万円、文化庁の補助金は30万円。
昭和43年(1968年) 瓢湖に白鳥監視所新設(現在は土産物販売有り)。6坪の大きさで建築費50万円。1坪当り83,300円。
国・県・町の経費負担で新築。
2019年8月2日撮影