阿賀野市ブログ応援隊

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新聞で知ったこと 長岡花火「白菊」

2015年08月01日 | 日記

2015年7月26日の新潟日報14面の記事から。 1945年8月1日午後10時30分に長岡市街で空襲開始。終了は翌2日午前0時10分。判明している死者数1486人。約1万2千戸が焼失。市街地の8割を焼いたそうです。米軍の爆撃機「B29」が125機飛来。先導隊が爆撃の目印としてM47大型焼夷爆弾など2184発を投下。その後、本体が子弾38発を束ねたE46焼夷弾を4244発投下、合計16万3千発以上が落とされました。  阿賀野市に住んでいると、長岡市に空襲があったことは知識として知っていますが、地域が離れていることと、生まれる前の話なので、実感が正直 湧いてきません。 そんなときに新聞の記事。「戦争とは 県人の証言17、加沢さん83歳 街を焦土と化した長岡空襲」 。この記事を読んで、初めて空襲の悲惨さが伝わりました。 去年見た長岡花火の最初に打ち上げられて「白菊」という花火。華やかな花火でなく殺風景というか、もの悲しくなる雰囲気の花火。 亡くなった人たちへの慰霊の花火。 加沢さんは、長岡花火打ち上げ会場近くにある平潟神社から信濃川の土手へ逃げて助かったそうですが、お父さんは亡くなられたそうです。悲惨さは、ここでは書けないので是非、新聞をお読みください。明日も、親戚の方の招待で長岡花火を見に行きます。色々と考えながら、花火を見てくるつもりです。 管理人   追伸 「白菊」という花火、今年、阿賀野市の大瓢湖花火大会の会場でも打ち上げられるそうです。 添付の写真は、去年の「長岡花火」です。

 

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