平成1年(1989)11月の新聞記事から(誌名記録なし) 阿賀野市(旧笹神村)発久遺跡で去年行われた発掘調査の出土品の中に、木簡に毎月1日の日付と干支を書いた1200年前のカレンダー(暦)があったそうです。
この木簡は奈良から京都へ都が移された翌年の795年(延暦14年)の暦だそうです。古代初期の暦は、断片だけが10例ほどしか見つかっておらず、そのうち木に書かれたものは、京都の藤原京跡・静岡県の城山遺跡に次ぐ日本で3例目の発見。
発見された木簡(断片)の大きさは15×4.5×0.8センチ。 この発久遺跡には暦といい、建物跡といい、何か役所機能を持つ機関が古代の笹神村付近にあった可能性の否定できない・・・・とあります。
あれから27年。その後 詳しいことが分かったでしょうか ?
現在(2016年7月5日撮影)の発久遺跡跡に建つ 記念碑。 今、発久遺跡の話題が聞こえてきません。どうして ?
地元の人たちも 遺跡のことを忘れたでしょうか・・・・・ 管理人