令和4年(2022年)9月17日 阿賀野市中央町2丁目にある市島春城の生家跡地で、市島春城の胸像除幕式が行われた。
2022年9月18日付の読売新聞によると、市島春城は阿賀野市の出身で文人やジャーナリストとして活躍した(本名は市島謙吉。1860年生~1944年没)。早稲田大学の初代図書館長でもある。幼少期の大半を旧水原町で過ごし、上京後、読売新聞社に入社して主筆も務めた。また大隈重信らと共に政治家として活動して衆院議員を3期務め、早稲田大学の前身、東京専門学校の設立に尽力した。
胸像は市民有志で作る「春城会」が2年前に生誕160年の記念事業として設置を決め、地元住民から約280万円の寄付を集めて制作。
春城の生い立ちや業績が分かる看板も公園内に設置した。
←「春城、ゆかりの梅の木」説明柱(下の写真左端)
(下)上記公園は、春城の生家離れで戊辰戦争後の明治2年7月、越後府判事として水原に着任した前原一誠が短期間であるが役宅として使用した。※長州藩士であった前原一誠は萩の乱で斬首されています。
(下)市島春城の年譜
市島春城の実家は、現在 新発田市(旧豊浦町)にある市島邸の第一の分家。最盛期は海での海運業もしていました。
市島春夏は明治になっても活躍。市島春城の墓は、新発田市五十公野にあるそうです。