2022年6月20日撮影。 新潟市北区、稲荷神社の横に建つ開市(かいち)神社。
開市神社には、葛塚の庄屋であった遠藤家の七郎左衛門宗寿(阿賀野市・旧京ヶ瀬村の城から移住した葛塚の遠藤家初代)、七郎左衛門国忠(7代)、七郎昭忠(8代・甘雨)の3人が祭神として祀られている。神社の始まりは1863年に葛塚繁栄の礎を築いた宗寿を、葛塚の稲荷神社の境内に祀ったこと。1928年には明治維新の際に北辰隊隊長として活躍した昭忠を合祀。
←額には「遠藤霊神」とある。
(上)常盤町にあった頃の開市神社。 写真は昭和初期のもの。写真奥は、現在の白新町。まだ、水田でした。
(下)開市神社は、2008年に登録有形文化財に指定されています。文化庁が認定しています。
←勤皇の志士・遠藤七郎昭忠の顕彰碑への案内板。
上の像の台座に、「遠藤七郎(甘雨)先生の顕彰像」とあります。
遠藤七郎は戊辰戦争で地域の農民と北辰隊を結成し隊長となり、新発田市の赤谷で会津軍と戦った。戊辰戦争後の萩の乱が起ると前原一誠と交流があったことから明治政府に疑われ、筆と酒を供に日本各地を放浪、東京で亡くなった。「甘雨(かんう)」の号で書画を残している。
阿賀野市の村杉温泉の整備にも尽力した。現在の温泉街になったのは、遠藤七郎のおかげ。1928年(昭和3年)、維新の功績に対し従五位が追贈された。村杉温泉の共同浴場は遠藤七郎の発案です。