大正7年(1918年)瓢湖のじゅんさいが、宮内省に献納されました。この時代、瓢湖でじゅんさいが採れました。このじゅんさいを宮内省(宮内庁)に献納しようと当時の柄沢豊太郎水原町長、吉川正作助役の尽力がある実現。
献納したじゅんさいは、瓢湖の中央部に広く注連縄を張り採取。採取したじゅんさいは瓢湖の道路向かいにある八幡宮の社前で修祓、祝詞奏上あり。じゅんさいは八幡宮社前で神聖な礼装で厳しい選別。じゅんさいに飛沫がとばないようマスクをして作業しています。
選別したじゅんさいを、八幡宮社前でお祓いと祝詞奏上して献納しました。水原八幡宮も献上に協力されました。
大正7年当時、水原八幡宮の社殿は茅葺(かやぶき)屋根でした。
宮内省に献上するため、厳かに八幡宮を出発。
← 瓢湖での採取風景。じゅんさいは瓶詰にして献納。
このじゅんさい、元治元年(1864年)発行の「産物見取組」には(水原のじゅんさい)と(翁椿餅)が書かれています。1864年には水原町のじゅんさいは、既に水原町の名物だったようです。
上の写真は2015年6月撮影の、阿賀野市村岡集落でのジュンサイ採りの風景。この頃の瓢湖の湖面は、上の写真のようにジュンサイの葉で覆われていたのでしょう。一度、見たかったです。 ここで使用したモノクロ写真と記事は「郷土史 外城物語」からお借りしました。 次回に続きます。