少し時代をさかのぼります。 越後府の建物が建っていた場所には、市島邸の別邸が建っていました。この建物は、戊辰戦争の時に焼かれてしまいました。
焼かれた別邸は、どんな建物だったんでしょうか? この絵は水原町編年史から借用しました。文も一部転載しました。
この絵は、慶応4年(1868年)3月9日、すでに会津藩は水原に出兵しており、当時16才で会津藩兵として従軍した宗川寅松という少年が両親(会津若松市湯川町)に送った手紙に同封されていた「市島別邸の図」。 手紙には「この建物は大臣市島、和泉屋様と申して金持の家掛にはおどろき入りし申し候、門の屋根杯(など)は銅にてくるみ置申し候、この市島と申すは越後にて名高き金持ちの由に御座候」と、あります。
この絵からすると、絵の右下あたりは、今のウオロク岡山店がある附近だと思います。 7月28日追記(もしかしたら、画面中央下かも?) 管理人