長岡市摂田屋 旧機那(きな)サフラン酒本舗 2024年4月11日 新潟交通のツアーで
(上と下)サフラン酒の製造販売で稼いだ産業王・吉澤仁太郎が金を惜しげもなく注ぎ込んで建築した「こて絵の蔵」。
長い石垣の敷地2,300坪内には明治27年(1894)から昭和6年(1931)の37年間かけて造られた建物群10棟や庭園が広がる。その建物と石垣が登録有形文化財に指定。敷地の横には「発酵ミュージアム米蔵」という新しく建築した店舗があり(下記地図参照)、摂田屋地区の製品や小千谷市の会社が製造しているサフラン酒などが購入できる。この建物は4月~11月、土日のみ一般開放。ボランティア「機那サフラン酒本舗保存を願う市民の会」の皆さんが案内ガイドしてくれる。活動は検索すると画像入りで紹介されています。現在のサフラン酒は、新潟駅内にある「ぽんしゅ館」でも販売しています。
鏝(こて)絵。東洋のフレスコ画とも呼ばれる。「こて絵」で飾られた蔵には、十二支をはじめとする17種の動物・霊獣、9種の植物が描かれている。
創造者・吉澤仁太郎(よしざわ にたろう)は古志郡定明村の農家に文京3年(1863年)6月2日に生まれた。17歳から薬種屋で働き、21歳の時に薬用酒サフラン酒を考案。明治27年(1894年。30歳)に現在地に店を構え転居。鏝(こて)蔵の建築を始める。大正15年(1926年)63歳の時に、こて絵の蔵完成。昭和16年(1941年)病没。77歳。
サフラン酒は明治から昭和にかけて「養命酒」と勢力を二分した。新潟・山形・秋田・北海道と販路を広げ、昭和初期にはハワイまで進出。後にワインやウイスキーも手掛け、商品を大ヒットさせた。現在は、3代目の3男が小千谷市の酒蔵でサフラン酒を製造販売。以下、次回に続きます。 次回で「吉澤仁太郎」の経歴などを詳しく投稿します。必見です。
(下)「摂田屋」という町名の由来。 (接待屋)に由来する説が有力だそうです。ここで使用した画像・地図・説明文は「長岡市 観光企画課が作成した<醸造の町 摂田屋>」をお借りして投稿しました。