#発達トラウマ障害の子ども #落ち込んでいる + #右往左往している
#安心してお母さんにくっついていた赤ちゃんはハッピー 発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にして......
「発達トラウマ障害 Enpedia」 をご参照ください。
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』 は,翻訳が終わりましたが,印象的な言葉を適宜拾ってみようと思います。
p.111のブランク下のパラグラフの,下から2行目から。
今朝は、p.112の14行目から。
母親が不在な男
…ウィニコットらは,それぞれが自分のやり方で,赤ちゃんの頃にお母さんと体験したことが,後々ほかの人に自分が関わる関わり方の雛形に,どのようにしてなるか と 本来の自己と一番仲良しな私を生きる心の習慣が,刻一刻のお母さんとのやり取りの中でいかに創造されるのか を,研究しました。
科学者たちは自分を一番悩ましたことを研究しますから,他の人たちが当たり前と思っていることに違和感を感じて,体得底で身に着けた専門家になっている場合がほとんどです(あるいは、アタッチメント研究者のベアトリス・べーぺが教えてくれたことは、「最高の研究は自分(当事者)研究です」ということです)。ウィニコット達男らは,子ども等の暮らしの中で果たす母親の役割について研究した男たちですが,自分たち自身が,傷つきやすい時期,だいたい6歳から10歳頃に,寄宿舎に遣られましたが,それは,一人前になるずっと前でしたね。ボールビー自身が私に教えてくれたことは,寄宿舎生活だけでも,ジョージ・オーウェルの小説「1984年」を思いつかる、というのです。この小説は,人間が、自分が大切にしてもらいたいばかりに、支配する力のある立場の人から誉めてもらいたいばっかりに,自分が大切で真実だと思う全てを,いとも簡単に犠牲にしてしまいたくなるのを見事に描いています。その犠牲にしてしまうものの中には,生きている実感,本当の自分を生かす心の習慣も含まれます。
ボールビーは,マレー(訳注: ヘンリー・アレクサンダー・マレー?)家の人たちと仲が良かったものですから,ボールビーがハーバード大学に来るたびに,私もボールビーと彼の研究について話をする機会に恵まれました。ボールビーは,貴族の生まれで(ボールビーのお父さんは,イギリス王家の掛かり付けの外科医でした),心理学,医学,精神分析を,イギリス上流階級の殿堂で修めました。ケンブリッジ大学入学以降,ロンドンのイーストエンドの不良少年)を支援する仕事をしました。イーストサイドは,生活が荒れた,犯罪多発する悪名高い地域で,そのほとんどがドイツ軍の空襲で壊されてしまいました。第二次大戦中に従軍中とその後に,戦争中の疎開と集団生活によって,子ども達が家族から引き剥がされたことは,子ども等に悪い影響があることに気が付きました。ボールビーが研究したもう1つの研究は,施設や病院で暮らすことに悪影響で,少しでも子どもを母親から引き剥がす真似をすると,子どもはとても苦労することになる,ということをハッキリと示してくれましたね(当時は親が病院に泊まることができませんでしたから)。1940年代後半まで,ボールビーは,イギリス精神分析家協会では「ペルソナ・ノン・グラータ 好ましからざる人物」とみなされました。というのも,ボールビーが「子どもが大人を悩ます行動は,その子が大人との関係で経験していることに対する応答だ」と徹底的に主張したからでした。つまり,相手をしてもらえなかったり,打たれたり,離れ離れにされたことに対する応答であって,幼いころの性的妄想のためではない,ということです。忖度せず,挫けることもなく,ボールビーは,赤ちゃんが母親にくっ付く理論,と呼ばれるアタッチメント理論のために,残りの人生を捧げたのでした。
ボールビー。
「大切な真実」は逆境の中から生まれます。
その破壊的実力が今から楽しみ。
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