隠されている恵み 改訂版「救い」というと、日常世界とはかけ離れた、遠い宗教的世界だと誤解する人が多いですね。でも私はかねがね、それは何気ない日常世界に、隠れされている、と感じています...
≪1つにまとめる力のある生き方≫さえあれば、まるでパラダイス。
The lie cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』の始めに戻って、「完成版の前書き」、p.9の第2パラグラフから。
まず、≪叡智≫と≪1つにまとめる力のある生き方≫と言う言葉が高齢者のとっては、厄介な重荷のように見えるけれども、同じ言葉が、正しく理解されたならば、その正しさを快復しますよ。大事なのは、イキイキすることと気付きがあることですから、あらゆる関わり合いにおいて、機転と見る眼をもって生きるのに、そのイキイキ生きることと気付きが必要です。人は社会に合わせなくっちゃいけませんよ。私どもが身に着けけなくてはならない機転や叡智が何であれ、出来ないことも、明るくユーモラスに受け入れなくっちゃね。私どもは皆、若々しい力を当然だと思うし、若々しい力を楽しみにしています。機転が利いて、真の評価を得た活動は褒めましょうね。聴く耳と見る眼があれば、私どもは役得がありますから、聴く耳と見る眼をいつも心に持ちましょう。
不思議に、ブルース・ベリー教授の話と、ジョアンの話がクロスオーバーしますね。真理は真理、人が変わっても同じ、ということでしょう。
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