仏教的に申し上げれば、ルターは不思議な縁でヴィッテンベルグに行くことになりました。
Young Man Luther 『青年ルター』p196の第2パラグラフから。
マルティンの説教と教育の経歴が本格的に始まったのは、ヴィッテンベルグにおいてでしたが、それは死ぬまで途切れることはありませんでした。マルティンは、はじめ、仲間内の修道士たちにも説教をしましたし(選んでやった仕事です)、内輪の説教を聴きに来た市民にも説教しました。マルティンは、聖母マリア教会の牧師となりました。1人の教授として、マルティンは、上級コースに登録した修道士にも講義をしましたし、大学でも学生たちに講義をしました。自分の気持ちを公にせざるを得なかったために、マルティンが分かったことは、自分の声の経験には、豊かな広がりがあることでしたし、マルティンが得たものは、葛藤を抱く者の勇気でした。マルティンは、心に届く説教をするようになり、なるほどと思わせる講義をするようになって、2つの別々のやり方を編出しました。マルティンの説教は、場を盛り上げ、講義においては、マルティンは、1人の思想家として徐々に、体系的に育っていきました。
マルティンは、説教も講義も次第にうまくなりました。それは「自分の声」に気付いて、それを自分の葛藤を経て表にする方法を学んだのでした。それは、心にも届くし、人の納得も得ることの出来るやり方でした。宗教改革者ルター誕生です。
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