今日は、まど・みちおさん。
私は「マハトマ」とお呼びしています。文字通り、「偉大な魂」。しかも、まど・みちおさんは、「自分は『ちっぽけな存在』と肝に銘じて」います。当たり前の中に、小さいものの中に、ささやかなことの中にこそ、不思議と奇跡を日々発見して生きた人生。
なんと素晴らしいんでしょうか。
まど・みちおさんのことは、このブログで何回も取り上げてきましたね。でも、何度でも取り上げたい方なんですね。なぜなら、まどさんの「謙遜」を感じる心を、私自身に呼び覚ましたいからです。聖書と同じくらいに繰り返し立ち返りたい場所、それがまど・みちおさんの詩です。まどさんの詩は祈りです。でも、特定の宗教を信じている訳じゃぁ、ない。
童謡「ぞうさん」、「やぎさんゆうびん」、「ふしぎなポケット」などを詠ったことにない日本人はいないんじゃぁないかしら。まど・みちおさんのお名前を知らない幼子でさえ、これらの童謡を口ずさんだことはあるはずでしょう。
まどさんの詩を読んで、味わって、詩に表された真実さ、謙遜さを学びたいと願う。特に、傲慢な者、弱い立場の人を踏みにじる者、嘲る者を眼にした時に感じる怒りや裁きたい気持ちを治めたいときに、是非読みたい。自由でいたいからです。
まど・みちおさん、1909年11月16日、山口県徳山町生まれ。ほぼ一年前の2014年2月28日東京稲城市の慶友病院で亡くなられました。104才でした。本名、石田道雄。詩人として自立するまで、まどさんもいろんな仕事をしていたらしい。戦前は、台湾総督府道路港湾課、戦後は工場の守衛、チャイルド社での雑誌編集者…。詩人として独立したとき50才。54年間、独立詩人として生き抜いたことになりますね。
まどさんの詩は祈りだと言いましたね。詩は、旧約聖書の「詩編」の詩がそうであるように、もともと祈りだからです。でもそれだけじゃない。まどさんの詩を読んでると感じます。まどさんの詩には、「今日一日を生かしていただいたおかげで、こんな素晴らしい物事を見つけることができました。ありがとうございます。それを言葉にしましたので、神様にご報告いたします」という感じを感じます。最後にそんな詩を一遍。
れんしゅう
今日も死をみおくっている
生まれては立ち去っていく今日の死を
自転公転をつづけるこの地球上の
すべての生き物が 生まれたばかりの
今日の死を毎日見送りつづけている
なぜなのだろう
「今日」の「死」という
とりかえしのつかない大事がまるで
なんでもない「当たり前事」のように毎日
毎日くりかえされるのは つまりそれは
ボクらがボクらじしんの死をむかえる日に
あわてふためかないようにとあの
やさしい天がそのれんしゅうをつづけて
くださっているのだと気づかぬバカは
まあこのよにはいないだろうということか
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