#聖書の神様 からの #最高のプレゼント
#エピジャネティクの原則 #成長の目的 #人生心理学 インターメッツォ: エリクソンの叡智 : 仕返しよりも、お返しを ジョアンの人柄 成功の秘訣 ......
「発達トラウマ障害 Enpedia」
をご参照ください。
Identity :Youth and Crisis 『聖書の神様と一心同体に成ること : 若さと危機』のp168。第2パラグラフの初め。
今朝は,p.169の3行目から。
忘れてはならないのは,馴染んだ相手が共に居てくれない,ということです。つまり,1番親しい母親は,いまここにあると,母親には不都合な強さや不都合な人たちを,裏切り,見て見ぬふりをして,殺してしまいやすい、ということはね,忘れてはなりません。一纏まりの人や思いに馴染むことは,別のまとまりの人や思いを上手に裏切ることなしには,あり得ませんでしょ。このように,忖度と裏切り,それは,一番親しいはずの母親と一心同体に成ることできなかったために,最深欲求を満たすことができない人のいつもの心の態度になります。最深欲求が満足していない人って,自分の「良心」に確信を持てませんから,不正な誘いを断る賢さがありません。
若者たちは,「リーダーと称する上に立つ人」に忖度することによってのみ,自分が救われた感じになる感じに縛られている場合がとっても多いんです。「リーダー,生き方を態度で示してくれる人」は本物の大人でなくてはなりません,本物の大人とは,息を合わせてくれて,心から安心できる経験をプレゼントしてくれる人で,最深欲求である互いに大切にし合う関係と,キチンとNoと言い合える関係を始める,一番大切な踏切台を繰り返し学ぶときのガイドになってくれる人に,なれるし,歓んでなってくれる人です。大人になる手前の若者は,見習いか弟子,手下,セックスのお供になりたがりますし,あるいは,そういう人に甘んじてなりがるものです。見習いや手下やセックスのお供等にうまくなれませんと,それは,力みすぎたり,極端だったりすることから,うまくいかないことが多いんですが,うまくいかない若者は,どん底まで落ちて,大変骨の折れる内省と試練に陥ることになります。どん底で体験する大変骨の折れる内省と試練は,特に悪い状況や,猛烈に自己愛的な傾向が強い時代には,若者を何もできない川のほとりに赴かせます。この内省と試練のために,独りぼっちの孤独が痛いほど強まります。この一人ぼっちの孤独って,生きている実感がありませんし,腑に落ちないな,と感じて,生きている実感を出すことがいつもなんとなく恥ずかしく感じます。あるいは,一人ぼっちの孤独って,何をやっても,「できた」という遣り甲斐・達成感がないんです。このような心病む若者たちの中には、バカなことに手を染めたり,コッソリ敵意を出したりして,生き辛さから抜け出すどころか,結局,無理(な背伸び)を重ねるだけの人が居ますね。心病む若者たちは,いのちを削り合う関係を生きざるを得なくなります。いのちを削り合う関係では,思い上がった自己愛が一時嵩じて,何でもできる気分になっても,結局は,身も心もバラバラになり,ありのままの本当の自分に出会うことができません。
川のほとり。
内省と試練が続きます。
そこで「生きている実感」を深く味わえたら善いけれど…。
川のほとりで心病む若者は,生きている実感という聖書の神様からのギフトを手に取れずに,無理な背伸びをする中で,思い上がった自己愛を肥大化させて,なんでもできる気分になる場合が非常に多い。
すると,「こんなにやってるのに,…」,「あいつばかりが得しやがって,…」などと不満と讒言の間に揺れる毎日になりがちでしょ。こうしていのちを削り合う関係の中に生きざるを得なくなってしまいます。
一時は膨れ上がった自己愛で、「うまく逃げおうせた」という気分になってもね,結局は,文字通り,身も心もバラバラで,ありのままの本当の自分に出会うことによってはじめて叶う,生かされている実感,生かされている不思議で陽気で楽しい歓びを生きることができません。
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