頭と気持ちは別々発達トラウマがあると、いろんな身体反応が出ちゃう。派手な身体反応もあります。しかし、私が、発達トラウマのある愛着障害の子どもに一番見つけるのは、表情が乏しい、という、あ......
Chilhood and Socirty から。p.47から。
産業化という変化しつつある条件の下で、子どもから大人にならなくてはならないことは、私どもの臨床心理学研究に対する歴史的妥当性をもたらしてくれます。というのも、現代は、理屈のあわない、様々な怖れという兵器庫として、子ども時代に、このまま付け入り続けることが許されることなのか、それとも、大人と子どもの関係が、その他の不平等と同様に、物の通りが分かるやり方で、対等な関係に発展させることができるのか、そのどちらかに決めなくてはならないからです。
昔、日本史の授業で、明治政府が、欧米列強と結んだ「不平等条約」を解消するために、様々な苦労と努力をした話を聴きました。日本人は、日本政府は、「不平等条約」のために、悔しい思い、悲しい思いをしてきたからでしょう。アメリカや南アフリカの黒人差別のすさまじさ、その下での黒人の苦難や悲しみ、激しい怒りは、言葉にならない程なのかもしれません。
大人と子どもの関係も、不平等。上下関係、「強者‐弱者の関係」です。民主主義と言うのは、何も難しい話しではなく、あらゆる関係を、『強者‐弱者の関係」から対等な関係に変えていくことです。
対等な関係の中で育てられた子どもは、信頼と希望、といういつでも持ち歩くことができる宝物を、人格の核心に抱くことができます。
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