エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

#キリスト = #自由にされた大人 = #仏陀 = #生きている実感に目覚めた大人

2019-12-01 06:35:49 | エリクソンの発達臨床心理



 
#聖書の言葉 #1人豊か #ゆめ と #こえ
  マハトマ・まど・みちおさんの言葉からゆめにはしぜんにこえが生まれでて...
 

 

 「発達トラウマ障害 Enpedia」

  をご参照ください。


    Toys and Reasons. 『おもちゃ と 賢慮』から,p.42の第2パラグラフから。

 今朝は,p.44の第2パラグラフ,13行目から。


 


 プラトンが教えている「跳び上がるほどの心からの歓び」については,後ほど申し上げることがあります。聖書の神様がまします今,もう一度,無心になって子どもを大切にすることに心からの歓びが母親に満ち溢れるシャローム平和が,子どもも母親も共に創造して発達させくれること(私ども夫婦が始めた遊び療法)と,そのシャローム平和(遊び療法)が魂に刻み付ける一番の人品に立ち返りましょうね。遊びと呼ばれる,遊びに見える,遊びのように感じる,相手にピッタリと息を合わせる生き方の光から,私ども夫婦が照らし出したことが示しているのは,人間らしい気高い力です。 その人間らしい気高い力とは,人間が,子どもの頃に想像力を働かせて夢中になって育つ世界の中で,聖書の神様のいのちを一巡させて,発達させることに根差している力ですが,聖書の神様を信頼する仲間になる信頼が封印されているものを使って,結界の中で心に浮かんだ聖書の神様の舞台の啓示を,繰り返し受け容れる力です。私どもが確かにされるときに、聖書の神様の舞台が私どもの魂に打ち込まれる(訳注:正確には,「打ち込まれていることに気付く」とすべきです。なぜなら,気付くと気付かないとにかかわらず,尊厳はすでに打ち込まれているからです。)のは,相手の魂に心響かせることができる大人が,聖書の神様に祈り求めているからです。ですからねぇ、必ずしも,自ら望んでした星周りではありません。聖書の神様がまします結界の中では,私ども人間は,聖書の神様のいのちが一巡する(ように,後ほどなる)器になりますから,いまここが,いつどこででも,毎日礼拝が生まれる場になります。ところが,人々が,なるほど本当だなぁ,と信頼するようになるのは,聖書の神様のいのちが一巡する場で,2人が共に創造発達することって,誠実に相手を自分のように大切にすることに夢中になって,晴れ晴れと歓ぶ毎日礼拝の元があって初めて,形の上でも中身の上でも,その創造発達が,驚きと感激,という最高の恵みになる,ということです。おもちゃの舞台に当てはめてきた,大切な善い意味は,真新しいチャンスに挑戦する勇気を示している,ということです。聖書の神様がまします場では,スピリットと身体とが,確実に大切にし合うように(訳注:イエスのスピリットが受肉すれば)なればいいのになぁ,あるいは,何年にもわたって訓練して,キリストに従って,自分を引っ張り上げることから仲間がギフトをもらえることに,挑戦する勇気です。

 陽気で楽しいことが進むところではいつでも,遊びの偉大な理論家、ホイジンガが見事な要約の中に入れた,遊び場の視座があります。「あらゆる遊びは,あらかじめ区切られた結界の内側で動き,育ちます,それは,物の面でも,物事の見方の面でも,遊びが育つ,ということですし,完全に自由になるためにも,発達して心響く大人になる1人の母親としても,遊びが育つ,ということでもあります」と。ホイジンガは,この魂の中で遊びが育つ一筋の光に名前を付けました。「土俵,トランプ台,マンダラ,礼拝所,舞台,間仕切り,テニス・コート,裁判所等は,全て,形の上でも働きの上でも,遊び場です… 仲間から離れて立たされて,結界となり,気高くされる遊び場ですし,その中で,気高くなる人生の習慣を手に入れます。」全ての遊び場を,ホイジンガは,「つかの間の世界」と呼び,「そのつかの間の世界の中で,日常の世界は,シャローム平和を完璧に実現する努めを2人が別々に無心に行うことに,捧げられます」としました。

 私どもが発達する時に,遊び場を自分で選ぶようになります。いまここで私どもが指摘しておきたい唯一のことは,陽気で楽しい歓びの舞台と子どもが時間と空間を経験することには,たった一つの気高い関係があるということです。私は『子どもの頃と仲間たち』の中で申し上げましたように,子どもの頃の「演じる」遊びは,「過去を生き直し,現在を繰り返し目の前に表して,繰り返し新鮮にして,未来を先取りして確信する生き方を創造する人間の心の習慣の子ども版」を下さいます。人間すべてが本当の自分を生き直す場を育て始めましょうね,陽気で楽しい歓びのおかげで2人が共に本当の自分を生きることができる,ということを目の前に見ながら…。

 聖書の神様のいのちが一巡するど真ん中に諍いがあって,それこそ,その子どもが切り抜けなくてはいけない「人品を育てる時の危機」の特色になります。ロバートの積み木の中で,背が高い積み木は,私ども夫婦が申し上げていることですが,本当の自分になる結界では心響かせることに身を入れるものだ,ということを示しています。本当の自分になる結界では心響かせることに身を入れますと,舞台袖に隠れている諍いやトラウマに打ち勝つことができます。聖書の神様のいのちが一巡するど真ん中では,発達創造途上の男の子が1人いるイメージ,すなわち,キリストだけがまします。この発達創造途上の男の子は,身体の美しさと強さを,頭で理解し学ぶ力と,ピッタリと一心同体にする新しい生き方を体得底で身に着けることになります。しかしですよ,私ども夫婦が心掛けてきたことですが,この少年の身体が示すことと、少年の心が苦しんでいることとに真に折り合いをつけることに思い煩っていることは,この子の育ちと対人関係の場に、相当広がっています。この,ラテン語でpuer novus 「新しい少年」って, 聖書の神様のいのちが一巡する結界では,1人の「新しい人」,すなわち,1人の自由にされた大人,キリストが誕生するイメージがありますでしょ。

 



  暗号を解けば,サイコセラピーの現実は,極めて宗教的です。

 仏教にも,イスラム教にも,キリスト教にも,相渡る真実が,隠されています。

 それを見付けた者は,跳び上がるほどの心からの歓びと自由をプレゼントされることになります。

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« #聖書の言葉 #単独者の恵み... | トップ | #気づきの塊な子ども #子ど... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿