現世考 : #子どもの言葉にならない思い #私が誕生する時発達トラウマ障害(DTD)のご相談は,こちらへ。agape☆gmail.com 但し,全て半角にしてから,☆→1430777@に変換してください。当方,年間7......
ヴァン・デ・コーク教授の The body keeps the score : brain, mind, body in the healing of trauma 『大切にされなかったら、意識できなくても、身体はその傷を覚えてますよ : 脳と心と身体がトラウマを治療する時どうなるか?』
第2章。「心と身体を理解する,革命」,p.24,8行目途中から。その前もご一緒に。
1960年代後半,医学校の1年から2年生になる1年間,精神的に苦しみを医学的に治療することにおける,根底的な変化をたまたま目撃しました。私がついた割のいい仕事は,マサチューセッツ州立精神医学センター研究部の研修医でした。そこで,そこの患者さんたちに,レクリエーション活動を統括する勤めでした。マサチューセッツ州立精神医学センター(MMHC)は,アメリカで最高の精神科病院の1つ,ハーヴァード医学校帝国の国の宝と,長い間みなされていました。私の部門の研究目的は,サイコセラピーと薬のどちらが,統合失調症と診断された精神病に初めてなった若者を治療する治療法として良いのか,ということでした。
お話し療法は,フロイト流の精神分析から枝分かれしてきたものですが,当時のマサチューセッツ州立精神医学センターの精神科では,いまだ主流な治療法でした。ところが,1950年代初め,フランスの科学者グループが,新しい化学化合物,クロロプロマジン(ソラジン,という商品名で売られました)を発見しました。この薬は,患者さんたちを「静かにさせる」ことができてましたし,患者さんたちが,盾突いたり,幻覚を見たりすることを,減らすことができました。これで火が付いた希望が,薬が開発できたら,重たい精神病,うつ病やパニック発作,不安症,躁病も治療できるかもしれないし,統合失調症の一番重たい症状も何とかなるかもしれない,ということでした。
研修医として,私はその部局の研究は全くしませんでしたし,患者さんたちが受けている治療についても一度も話したこともありませんでした。患者さんたちはみな私に近しかったんですし,ハーヴァード,MIT,ボストン大学の大学生でした。自殺しようとした者もあれば,ナイフやカミソリで自分を傷つけた者もありました。ルームメートに食って掛かる者も多かったし,さもなければ,自分の親や友達を,予想もできないような,訳の分からない仕方で怖がる者も多かったんです。私の仕事と言えば,,大学生らしい普通の活動に関われるようにすることでした。それは,地元のピザ屋さんで食事をしたり,近くの森にキャンプに出掛けることでしたし,レッドソックスの試合を見に行くことや,チャールズ川で船遊びをすることでした。
この分野では全くの新参者として,私は,部局の集会の間,心魅せられる思いで意識を集中して,患者さんたちの入り乱れた話や話の展開を読み解こうとしました。また,訳のわからない感情の爆発や,怖がって気持ちを引っ込めてしまうことの相手になる仕方も学ばなくてはなりませんでした。ある朝,1人の女性の患者さんが,身を守る格好で片手を上げて,恐怖に引きつった顔して,部屋で銅像のように突っ立っているのに気が付きました。その女性は,そのまま,12時間以上もの間,動かずにいました。医者たちは,彼女は,カタトニア,緊張病だと教えてくれましたが,私が頼りのしていた教科書には,カタトニアをどう治療するのかは,載っていませんでした。私どもは,カタトニアをほっておくだけでした。
夜明け前のトラウマを負わされた人たち
私は夜や週末に,病棟で過ごすことが多かったんですが,そのおかげで,医者が短い病棟巡回では見逃してしまうことに触れることができました。患者さんたちが寝ていないときに,きつく締め付けたバスローブを着て,うろつき回って,暗いナース・ステーションに話に来ることが多かったんです。夜の静けさのおかげで,患者さんたちは話しやすかったようです。ぶたれたこと,暴力を受けたこと,性的に弄ばれたことを話してくれましたが,それが,その患者さんの親だったり,親戚だったり,クラスの友達だったり,ご近所の人だったり,しました。夜ベッドの横になっていると,助けてくれる人もいないし,オッカナイままにされて,お父さんや男友達にお母さんはぶたれるのが聞こえるし,両親が,お互いに恐ろしい脅し文句を言い合っているのが聞こえるし,家具が壊れるのが聞こえます。父親のことを話す人もいました。その父親は飲んで帰ってきて,階段を上がったところで足音が聞こえて,父親が入ってくるのを待ち,ベッドから引きずり出されて,ありもしないでっち上げの理由で罰を受けた,というわけです。寝られずに,身動きもできずにベッドの中で横になり,逃げられないことを待った,という女性もたくさんいました。お兄さんやお父さんが入ってきて,性的ないたずらをしたんです,と。
朝の巡回の間に,若い医者たちは,指導教授たちに自分のケースを報告しましたが,その儀式は,病棟の研修医たちも,黙って参加することが許されていました。若い医者たちは,私が闇夜に伺った話みたいな話に触れることはほとんどありませんでした。しかしながら,後々の研究によれば,真夜中の告白は的を射たものであると確証を与える場合が多かったんです。今は分かっていることですが,精神病の治療を受けている半数以上の人が,暴力を受け,見捨てられ,気持ちを省みてもらえず,子どもの時にレイプされたり,家族内の暴力を目にしている人たちです。しかし,こういった(訳注:発達トラウマの)体験は,医者たちの巡回では,話題に上りませんでした。私がよく驚かされたことは,患者さんたちのいろんな症状を話すときに,感情がこもらないことでしたし,自分が絶望したり,助けがなかったりする原因を理解するよりも,自殺を考えたり,自分を傷つけたりする行動に出ようとすることがあまりにも多いことです。
発達トラウマ障害。自分がありませんから,感情がこもりません。自分がありませんから,身体も傷つけ,なくそうとします。
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