エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

「希望」の発展型としての 「本気の関わり」 改訂版

2015-07-25 16:16:13 | エリクソンの発達臨床心理

 

 年寄りが老賢者であることを止めて久しいですね。日野原重明先生や柴田とよさんなどのごく少数のお年寄りと、福祉と医療の世話になる、大多数の高齢者に分かれてしまいました。

 The life cycle completed 『人生の巡り合わせ、完成版』、p62の第2パラグラフから。

 

 

 

 

 

 間違いなく、老人の役割は、見直す必要がありますし、考え直す必要がありますね。その見直しと考え直しのために、私どもはここから私どもの表を見直してみたいと思います。ですから、表に戻りましょう。老人の位置取りは、表の縦と横とでは何かしらね? 年齢的に言ったら、老人は表の右上に位置取られますから、その最後の耳触りの悪い方の特色は、despair 「良いこともあったけれども、“人生に何の望みもありゃしない”という感じ」と私どもは言いましたね。それから、左下の角もちょっと見ときましょうか。私どもが思い出すのは、そこを戻れば、最初の耳触りのいい要素が、hope 「困難があっても、信頼し続けること」でしたね。スペイン語では、少なくとも、esperanza エスペランザ 「希望」と desesperanza デスペランザ 「絶望」を、このhope「困難があっても、信頼し続けること」は繋ぎます。また実際に、どの言語でも、hope 「困難があっても、信頼し続けること」は、≪私≫の最も根源的な性質です。もしも、このhope 「困難があっても、信頼し続けること」がなかったら、人生は始まりませんし、意義深い終わりにもなりませんからね。私どもは、空欄になっている左上の角に上がるにつれて、分かってくるのは、そこに上がって来るには、私どもは最後に抱き得る形のhope 「困難があっても、信頼し続けること」に対して一言必要で、このhope 「困難があっても、信頼し続けること」は、最初の垂直線を登るにつれて成熟するものだ、ということです。これにふさわしい言葉は、faith 「低きに立たされている人たちから、本気で学ぶつもりで、関わること」になります。

 

 

 

 

 

 実に上手く出来たライフサイクルですね。なるべく生活の実感に近づける翻訳を試みました。特にfaith は時間を掛けました。「信仰」とやったら、もう意味をなさないと感じます。信仰と関係のない生活をしている日本人がほとんどだからですね。

 でもそれだけじゃぁ、ないんですね。「信仰」と一般に考えられていること、たとえば、日曜礼拝に行ったり、そこで献金したり、祈りのチェーンに加わったり、お御堂のおミサに参加したりすることが「信仰」という印象をもつのが、一般的かもしれません。しかし、「信仰」と訳されることが多い、元のギリシア語のピスティス πιστις「信頼」は、そういうこととは、全く関係がありません。  

  ですから、今回も本田哲郎神父の助けを借りました。本物のクリスチャンだと感じるからですね。クリスチャンと言っても、私に言わせれば、偽物が多いし、かく言う私も簡単に偽物になります。ですから、いつだって、あの方を見上げていたいんですね。それも本田哲郎神父や西村秀夫先生や野村實先生に見習いながら…。

 faithは、日曜礼拝に行くことでもなければ、おミサに参加することでもない。それは「低きに立たされている人たちから、本気で学ぶつもりで、関わること」です。

 

 

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