今宵のエリクソンも、Insight and responsibility p.232。タイトルは、『心の中の子どもを内省していると、目の前の子どもに応答し続けることができますよ』という程の意味で、『…と責任』という感じじゃない。さらに、やり取りの大切さがわかる、感じが続きます。
ここで私どもはもう1つの気付きについて付け加えておかなくてはなりません。その気付きとはこういうことです。すなわち、子どもの相手をしている親御さんが、ご自分がイキイキした生命力の点でも、ご自分が確かにされる感じにおいても、倫理的な行いに対する心構えの点でも、高められるのは、まさに、そのイキイキした生命力、将来自分が確かにされる感じ、倫理的な行いに対する心構えをお子さんに譲り渡す、様々な形の礼拝・世話によるものだ、ということです。
つまり、真心から子どもを世話することが、現代の礼拝になるのです。
礼拝・世話においては、親も子も、クライアントもサイコセラピストも、聴く者も語る者も、共に高められ、恵まれます。つまり、礼拝・世話は、恵みの分かち合いそのものなんですからね。
ministrationは、「礼拝」であると同時に「世話」でもあるんです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます