「知る」は頭でっかち、「分かる」は身に染みること
今日は p.30第2段落。
人と繋がっていくこと、宗教的に申し上げれば、神と繋がっていくことは、けっして理にかなわないことではありません。それどころか、アルベルト・シュヴァイツェルもハッキリと指摘している通り、繋がっていくことは、理詰めの結果であって、しかも、その最も大胆で、最も徹底したものです。繋がっていくことは、最深欲求を私どもが知るところに基づいているのであって、思いつきの知識や私どもの限られた知識に基づくものではありません。私どもは、人間の神秘や宇宙の神秘を、理解することなどできません。ところがです。それにもかかわらず、≪真の関係≫で繋がることによって、人間の神秘と宇宙の神秘のなにがしかを知ることができるのです。科学としての心理学は、高が知れています。神学を突き詰めれば、神秘主義です。それと同様に、心理学を突き詰めれば、≪真の関係≫になるのです。
私の友人に、大学で心理学の教鞭を執っている人が何人かおります。その中には、お母さんが何人かおります。日本の大学は、一人のスタッフが受け持つ学生が多く、また、大学運営に関わる会議、学会関係の会議がとても多いそうです。その中で子育てすることには、どれだけのご苦労があるのか、想像もできません。
それでも、私は敢えて申し上げたいですね。業績や大学での「評判」は一時芳しくなくなるかもしれませんが、ご自分のかけがえのないお子さんとの、ほんの一時しかない、尊い時間と場所を、またとない喜びの時間にしていただきたいなぁ、とね。どうぞよろしくお願いいたします。
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