遊びに現れる、子どもの最初の人間関係と子どもの自由な物語
積み木遊びが子どもの心を映し出す鑑の働きをするものとして紹介されました。日本では、世界技法を発展させた箱庭療法が主流ですから、このエリクソンの積み木遊びをしている人を、私は寡聞に...
遊びは、子どもが自分の物語を作るものであると、今日のエリクソンは言います。その物語は、「再生の物語」であることがとっても多いと感じます。
この子どもの遊びを「約束」としてやることが非常に大事です。
今の日本のように、ウソとゴマカシだらけの社会状況では、子どもの最初の発達課題である信頼、根源的信頼感を育てるためには、大人が根源的信頼感を育てることに意識的であることが必要だからです。今は≪真の関係≫をやるよりも、ウソとゴマカシをやる方に、世間全体が引きづり込まれているので、意識せずにやれば、ウソとゴマカシの方に引っ張られてしまいます。
今日、宗教の時間で、唐招提寺宗務長の西山明彦(みょうげん)さんが、日本の仏教を確立したおひとりの鑑真が仏教をどのように、日本に伝えたかを教えられ、大変いい学びをいたしました。
その学びの一つが、鑑真は、在家(平信徒)に、仏教の門戸を開いたこと(従来の仏教は、出家した坊さん向けだった)、そこでも、良い生活習慣(五戒:1]殺すな、2]盗るな、3]浮気するな、4]ウソつくな、ゴマカスな、5]薬やるな)をする、という未来に向けた約束を、三世(さんぜ、過去・現在・未来)の神仏とすることを、信心の柱にしたことがありました。
私の感じでは、良い習慣としても、「共に見る」目標としても、「約束に基づく子どもとの遊び」は、この「良い習慣を三世の神仏と約束すること」と、全く同じだ、ということです。ですから、「約束に基づく子どもとの遊び」は、「宗教としての遊び」と言っていいと考えます。
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