国立、矢川駅北側の桜
東京電力は、世界史に残るような大事故を起こしたのに、1人の逮捕者も、出ていません。小さなバス会社が、衝突事故で何人かの人がなくなれば、その社長が逮捕されたばかりではなくて、会社までつぶれちゃっいました。勝俣元会長などは、責任を取らないだけではなくて、今はドバイの高級リゾートマンション暮らしと言うのですから、仮設で不自由な生活をしている人がそれを知ったら、いたたまれないだろうと想像します。あの人には、そんな想像力もないんでしょうね、東大出ててもね。
また、JR西日本の福知山線の大事故。ウィキペディアによれば、「犠牲者は死者107名(当該列車の運転士含む)、負傷者562名を出す未曾有の大惨事」だと言います。これも、社長は無罪になっています。「労働者虐め」と言われた、「日勤教育」で運転士を縛り上げていたのに、自動列車停止装置があるのに、それも設置していなかったに…。
そして、宮城県石巻市の大川小学校。東日本大震災の時に、全校生徒78人の内、74人の子どもが殺されているのに、誰も責任を取らない。校庭で50分間待ちぼうけの挙句に、津波に流された。死亡率95%。しかも、山に逃げるのならまだしも、津波が来る北上川の近くに逃げようとした非常識。しかも、誰も責任を取っていません。
それから、群馬大学医学部の腹腔鏡手術の死亡事故。これもほとんど殺人ではないか?との印象を私は持ちます。まだ事件の詳細が明らかでは必ずしもありませんし、親しい友人が群馬大医学部で仕事をしているので、批判がましいことは言いにくいのですが、パレーシアステスになりましょう。朝日新聞デジタル版によれば、http://digital.asahi.com/articles/DA3S11520572.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11520572
「群馬大付属病院で腹腔(ふくくう)鏡を使った肝臓の切除手術で患者8人が死亡した問題で、肝臓の開腹手術でも過去5年間で84人中10人が死亡していたことが22日、厚生労働省への取材でわかった。腹腔鏡と同じ第2外科助教の40代男性医師が執刀したという。1割強が死亡したことになり、厚労省は、患者の手術前の状態などを調べる必要があるとしている。」゜
「10~14年、腹腔鏡を使った高難度の肝臓切除手術を受けた肝臓がんなどの患者8人が術後100日以内に死亡」とある。患者には「簡単な手術」と言っていたのに、この医師はウソを言っています。この人まだ群馬大にいるんですね。
どの組織も、隠ぺい体質。ウソとゴマカシの組織。
何故なんでしょうか?
無責任体制。でも、これは今に始まったことじゃぁない。
丸山眞男教授がハッキリと指摘しています。「超国家主義の論理と心理」(もともとは、『現代政治の思想と行動』(未来社)所収。いまは、『丸山眞男集」第3巻(岩波書店)の他、岩波文庫でも読めます)。今からうん十年前、これを読んだ時の感動を忘れられません。こんな経験は、何度もない感動ですね。
それは、権威と権力の合一。権威は、教会に代表されるような、内的価値、倫理の基です。しかし、日本には、そのような倫理がない。丸山眞男教授が分析した軍国日本では、天皇との距離が、権力の多寡を決めるだけではなく、価値や倫理の高さにもなる、と言う不思議。近代国家ではないから「超国家主義」、ウルトラになる。国を超越する価値がない。
じゃぁ、今は?
いまも同じ。
天皇の代わりにそれぞれの「組織」が権威にも権力にもなる。今も変わらず、権威と権力の合一。組織を超越する価値や倫理がない。だから、大川小学校が生まれ、東京電力福島原発事故が起こり、福知山線大惨事に責任を取るものがおらず、群馬大の「殺人事件」の「犯人」が平然としているんですね。
無責任な私たち。ではどうすればいいのかな?
それは皆さんひとりびとりが、「心底、嬉しいな」、「素晴らしい」、『不思議だぁ』と感じることを育て、それを倫理として、自分が生きるオリエンテーションとして、内面化することなんですね。
それは、組織よりも「本当の自分」を大事にすることで、組織そのものも大事にする、という生き方になりますね。
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