私事で恐縮ですが,私は,落とし物,失くしもの,忘れ物が多い。名前の書けるものにはすべて名前を書き,ネーム・シールを貼る始末。時計も何度か落としましたが,ネームシールのお陰で,何度ももどっと来ることができました。戻ってくる時って,時計はもちろん,マグカップでも,鉛筆一本でも,嬉しいものですね。
私がウッカリだからではありませんが,今宵の聖書の言葉は,失くしものἀπόλλυμι アポリューミ,です。
この言葉は,『新約聖書』の3番目のイエス・キリスト物語「ルカによる福音書」第15章の3つの,失くし物の物語に出てきます。迷える(いなくなった)羊,失くした銀貨,放蕩息子(行方知らずの息子)のたとえですね。
人間にとって,一番大事なのは,もちろん,命でしょ。いのちを失くしたら,元も子もない。でも,命の次に大事なのは,心=≪本当の自分≫ではないですか? 心=≪本当の自分≫を失くしたら,誰の人生なのか? 何のために生きるのか? が分からなくなりますでしょ。
でも,すべての人が心ある人,≪本当の自分≫を生きている訳でもない。心理職でも,自分を売りながら,心ないウソを平気で言いながらの人さえいる位です。つまらなそうな顔をした大人は,もっとたくさんいますでしょ。自分が死んでいるとも知らないでね。
でも,そんな人でも,心を取り戻し,≪本当の自分≫を取り戻したら,どんなに嬉しいことでしょう。
心を,≪本当の自分≫を取り戻すためには,誰かと≪共に(探して)見る≫ことが必要ですね。
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