エリクソンの小部屋

エリクソンの著作の私訳を載せたいと思います。また、心理学やカウンセリングをベースに、社会や世相なども話題にします。

現世考 : #中三女子自殺 #懲りない腐敗の教員たち #世も末体質な教員たち #最も醜悪な姿に辟易と暗澹

2017-08-13 03:12:00 | 間奏曲

 

 

 

 

インターメッツォ:コミュニケーションの前提条件
   あなたは、「未来を上手く描けます」か?  困難や試練に出会ったら、そのたびごとに、根源的信頼感を豊かにするチャンスとしたいものですね。 The l......
 

 先日,テレ朝の夕方のニュースやニュースステーションで,取手市の中学三年生の女の子が自殺に追い込まれた一件で,「いじめはない」と一年以上ホッタラカシにした張本人,取手市教育委員会の指導課長,鈴木浩二さんのお役所仕事強い憤りを覚えました。謝りに行ったということですが,頭は下げても,心はフンゾリカエッテいるその姿勢に,辟易と暗澹のないまぜになる気持ちになりましたね(http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000107560.html)。

 「いじめはなかった」と一年以上ホッタラカシの鈴木さんに対して,母親が「いじめと感じたのはいつですか?」と問われると,答えに窮します。母親がさらに「組織ではなく個人として,述べられないんですか?」と重ねて問われても,だんまりでしたね。

 なぜでしょうか? 

 そんなところで,何かを言えば,学校組織に対する裏切り教員仲間に対する後ろめたさがあるからです。今は小学校の校長だという鈴木さん。ごくごく平均的な教員です。死を選ばざるを得なかった子どもを前にしても,まだまだ,学校組織,教員仲間を優先するのは,自分の出世,自分の居心地の良さを優先する自己中で狭量な人だからです。そういう類の教員が,平均的なのが,ニッポンの学校の「世も末体質」です。母親もその姿勢を悔しがりますが,こちらは,人間として当然です。

 それは,さっきのルターとは真逆で,学校組織,教員仲間,お金以上の価値を知らないからです。偶像崇拝が示す最も醜い姿です。辟易と暗澹を強烈に感じます。

 

 

 


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