昨晩は、信濃町の思い出で、雨宮慧先生の思い出や、教えていただいたことをお伝えしましたね。「ツェダカー」についてお話しましたね。でも、雨宮慧先生先生から教えていただいたことは、それだけではありません。
神と人との約束についても、大事なことを教えていただきました。『旧約聖書』の「創世記」15章に神様がアブラムと交わした約束について述べられています。新共同訳には「神の約束」といタイトルがありますね。この「神の約束」は、神様がアブラムに対して、一方的に約束を守る、というものです。
かくして、アブラムは、アブラハムとなり、「信仰、ピスティス πίστις の父」=「神さまを信頼して生きる手本」となりました。
赤ちゃんは、母親から夜昼分かたず、オッパイを貰ったり、オシメを取り換えてもらったり、あやして貰ったりします。それは、最も誠実な約束を忠実に実行しているかのようです。今「かのように」と申しました。赤ちゃん、インファント=infantは、「しゃべらない」という意味ですから、母親は赤ちゃんと、「○○しますね」と言葉で約束を交わしたはずがありません。でも、母親がしていることは、赤ちゃんのためになる約束を一方的に実行している訳です。少なくとも、それか最も適切な子育てです。
かくして、一方的に自分のために約束を守ってもらった赤ちゃんは、根源的信頼感、ピスティス πίστις を人生の基礎に据えて、希望をもって生きることができます。
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