≪真の関係≫は、訓練して初めて身につくもの。頭だけではとても身に付かない。
p63下から3行目途中から。
しかしながら、同時に新しい場面も始まります。つまり、神様はノアと約束します。その約束では、神様は人間を再び殺したりなど決してしない、と約束したのでした。その約束は、ノア自身が縛られる約束でもあります。ノアがその約束に縛られているというだけじゃぁありません。ノアは自分自身の指針、すなわち、正義の指針にも縛られていました。だからこそ、神様は、その方針に基づいて、正しい人か10人いれば、ソドムの街を救ってほしい、とするアブラハムの求めに譲らなくてはなりませんでした(創世記第18章16節~33節)。しかし、この発達によって、神様は専制的な部族長から、人を大事にしてくださる父親に変わります。すなわち、ご自分が求めた指針に自分も従う父親に変わります。それは、神様が、1人の父親のシンボルであることから、父なる指針、すなわち、正義、真理、≪真の関係≫という指針のシンボルへと変わる方向性に沿うものです。そう、神様は真実で「あり」、正義で「あります」。この発達の中で、神様は1人の人であったり、1人の男であったり、1人の父親であったりすることを止めて、多様な現象があっても、それをまとめ上げる指針や、心の中にあるスピリチュアルな種が育って心の花になる、というヴィジョンを持つ指針になります。神様は名前が1つもありません。名前はいつでも、1つの物事、1人の人、決まった何かを示します。神様が1人の人でも、1つの物事でもないとすれば、神様はどうやって、1つのお名前を持つことができるというんでしょうか?
神様は発達の中で、専制的な神であることを止めて、慈しみの神様になりました。正義、真実、≪真の関係≫という指針を、人間に求めるばかりではなくて、ご自分も、その指針に従って生きているからです。それは、≪人間皆兄弟≫≪みんな違って、みんないい≫(多様な現象があっても、それを一つのまとめあげる)指針となり、みんながその指針に従って生きられるように自らを鍛え直すことができる指針(心の中にあるスピリチュアルな種が育って心の花になる、というヴィジョンを持つ指針)にもなるわけですね。
しかし、このように柔軟、このように寛容で、しかも、このように多様性や、時には争いもあるところに一致をもたらしてくれる存在である神様に、どうしたら、1つのお名前を持つことになるのかしらね? それは簡単ではないんですね。
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