今朝の聖書の言葉,ἐλευθερία エレウセリア,自由です。2回目の登場です。前は,『新約聖書』のパウロの手紙,「ローマの信徒への手紙」から引用しました。朝日新聞の「折々の言葉」で取り上げられたばかりだったからです。
けさは,『新約聖書』の4番目のイエス・キリスト物語「ヨハネによる福音書」第8章から。
「31そこでイエスは彼を信じたユダヤ人にいわれた、『わがことばにとどまっていれば、あなた方は真にわが弟子である。32あなた方は真理を知り、真理はあなた方を自由にしよう』と。」
日本人が束縛されがちなのが,人の目です。あるいは,同調圧力です。人の目や同調圧力から自由になることも,自由ですね。真理は,人の目や同調圧力の束縛からも,私どもを自由にしてくれますね。
でも,そういう,いわば受け身の自由だけが自由ではないはずですね。
能動的自由。
それは,自分らしく生きる自由です。私のいつもの言葉で言えば,≪本当の自分≫を生きる自由です。それは,禅仏教でいう「自由」と同じで,「自分に由る」こと。それは,在りのままでオッケーということ,μακάριοι,マカリオイ ということですね。
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