怖がらなくてもいい、というのは福音ですよね。
p352第3パラグラフ。
「≪私≫という感じ」に関して、「アッバ」は、家父長的な、罰を受けるかしれない恐れという、根っから引き下げられることの他に、父親に付け加えることができるたくさんの意味に、「私のお父さん」と言う確かな特質を付け加えた感じです。実際、かなりの家父長的な場面でも、「アッバ」には、母親が「触る」感触がありますね。なかでも、「私の」と言う響きには、自分が選ばれている感じを強めてくれますし、自分は息子なんだという立場を確かにしてくれる上に、さらには、父親が自分の面倒を見てくれることや世代が続いていくことも確かにしてくれます。このことが特に大事になってくるのは、「生物的な」父親との世代の繋がりが、「生き方」のこの世的条件と考えられている場合です。
「アッバ」(父ちゃん)と呼べるのは、娘と息子だけ。頭をなでてもらえるような感触があるのが分かりますよね。
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